遺跡と大雨
真夜中の土砂降りの中、彼らは船に乗り出発した。
雨雲に月の明かりは遮られ水面は暗黒に閉ざされていた。アイル達は流速の増した支流の流れに船を任せた。
そのうちに船は本流に合流し、大河のゆったりとした流れに合わせ減速した。遠くで激しい雷鳴がとどろき、時々炸裂する稲光が一瞬だけ周囲の森を青白く照らし出した。
男達は交代で船を漕いだ。女は船底に貯まる水をかき出していた。
幸いなことに夏の雨は生ぬるく、さほど体温を奪うほどでもなかった。この雨と暗闇の中ならば森の獣すら彼らの存在に気付くものはいないだろう。
アイルは船を漕ぎ続けた。雨に濡れた木製のオールが水に濡れふやけて柔らかかった。
アイル達は一晩中船を進めた。そしてようやっと分厚い雲の向こうで太陽がのぼり始めた。空気がだんだんと白み始め、気づいたときには彼らの船は濃い霧に覆われていた。この濃霧の中ならば朝方のうちも多少は進行できるだろう。
アイル達は船を進め続けた。段々と気温が上がり体が汗ばんできた。アイルは力を込めオールを握り直した。
その時、風が吹き一瞬だけ霧が途切れた。
アイルの眼前には、雨後の快晴の青空と、水を吸いいきいきと輝く緑の森と、茶色く濁るラインベルクの静かな川面の光が見えた。
「後ろ!」船の後方でエルザが叫んだ。アイルが振り返ると、エルザが後方の一点を指差していた。霧の切れ目の中に一瞬だけ巨大な帆船が見えた。
霧は再びすぐに周囲を覆った。
アイルは急いで船を旋回させ、目についた支流の一つに入り込んだ。そして陸地に飛び移ると、梢の隙間から下流を観察した。
帆船は近づいているように見えた。そのまましばらく観察していると、小舟が船べりから降ろされていた。アイルは急いで船に戻った。
「まずい、見つかった」アイルはそう言った。
彼らはオールを全力で漕ぎ支流を遡った。周囲の霧が完全に晴れて初めて、アイルはこの支流に何度も来たことがあることに気づいた。
「俺はこの場所を知ってる」アイルは言った。「斜面の上にドワーフの村がある!そこに逃げむぞ!」
アイル達は支流を遡り、水面に張り出したクルミの木の真下に船を止めた。
「みんな船を降りて。船は一旦ここに沈めよう。水を入れて石を積むんだ。」アイルは命じた。
女は荷物を運び出し先に崖を登った。男は岩をいくつか探し出し船に積み込んだ。ルイは両舷にまたがり船を激しく揺らし船に水を入れた。梢の真下で小舟はゆっくりと川底に沈降していった。
アイル達は斜面の草むらを駆け上った。斜面が終わり平地に差し掛からるところで、アイルは皆を先に行かせた。そして体を伏せて草むらの隙間から支流の河口を覗き込んだ。
小舟が三艘支流の中に入ってきた。アイルは体を屈めたまま立ち上がり、みなのもとへ走った。
「村の中へ走れ!」アイルは叫んだ。しかしアベル達は門柱を数歩入ったところで立ち止まっていた。アイルはドワーフの短い頭が掘られたトーテムポールの門柱をくぐると、皆と同じく立ち止まった。
村はすでにもぬけの殻だった。屋根同士の間に張られたタルチョが微風を受けてゆらゆらとたなびいていた。同じく空中にはられた紐が、大雨に濡れた洗濯物の重みで大きくたわんでいた。
石積みの小さな家々は物音一つ立てずに佇んでいた。アイルは勝手口の開け放たれた家に半身を入れて中を覗いた。
家の中は食事の途中に放り出された食器類が投げ出されていた。固くなったパンが転がり、茶色く変色したスープには蝿がたかっていた。
この村、フーケンはすでに打ち捨てられていた。
「どうする」テオが訊いた。
「ひとまず裏通りに入ろう」アイルは答えた。
アイル達は西側の建物と城壁の間の隘路を通った。東日の影に入る暗い路地裏は雨後にも関わらすどこか埃の匂いがした。アイル達は音を潜めて素早く走った。
その時、遠く村の入口の方から雑踏の音が響いてきた。
アイル達は路地裏を出て、北外れのため池まで来た。大雨直後の小さな池は濁った水で満水だった。
「よし」アイルは言った。「あそこの排水管の縁が見えるか?あの奥は上り坂になっていて進むと空間がある。あそこに隠れる」
「水に潜るの?食べ物だめになっちゃうけど……」エルザが言った。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう」テオが諭した。
アイルが先導して水の中に入った。排水管の縁まで立ち泳ぎで進むと、息を大きく吸い灰色に濁った水中へ体を沈めた。
アイルは平泳ぎで水を漕いだ。指先がザラザラとした排水管の壁面にあたった。足元は苔のようなヌメヌメとした物体で覆われ滑って踏ん張りが効かなかった。しばらく進み、息苦しさを感じた頃、足は上り坂の斜面を捕らえた。アイルは水面に顔を出した。
その空間は壁面の割れ目から僅かな陽の光が指していた。しかし周囲は暗くわずかにものの輪郭を捉える程度であった。アイルは眼前にあるものに気づき、硬直した。
何者かが刃の切っ先をアイルの鼻面に突きつけていたのだ。
アイルは身動きが取れず固まっていた。そのとき眼前の輪郭がわずかに揺らいだ。
「アイルか?」その影は言った。
「ジェイ?」アイルは言った。
それはドワーフの若き戦士ジェイであった。
アイルの目がようやく暗がりになれる頃、残りの仲間たち全員が排水管をくぐり終えた。みな先客の存在に驚いていた。
ジェイの他に一人子供のドワーフが隠れていた。名はハンと言い、くせ毛の茶髪を結った寸胴体型の子供だった。大きな水色の瞳にそばかすだらけの肌をした子供だった。
「この子の親が寝たきりでな。どうしても動かないって言うもんだがから、それで逃げ遅れてな……」ジェイはそう言い口をつぐんだ。おそらく彼女の親は、アイルたちが見なかった村のどこかに取り残されているのだろう。みな事情を悟り何も聞かなかった。
しばらく沈黙が流れた。
「食べ物、駄目になっちゃった」エルザが言った。彼女は皮袋の口を開けると、ふやけて湿った干し肉を取り出した。
「別に食えなくもねえだろう。大雨のあとの新しい水だから、濁っちゃいるがそこまで汚くはないはずだ」ジェイが言った。
アイル達は他の荷袋も開けた。小麦の袋は水に浸かり泥状になり、このまま放置するとすぐに腐敗を始めそうだった。彼らは部屋の一番乾燥した場所を見つけ、小麦を床に薄く引き伸ばし乾燥させようと試みた。
干し肉はいま全て食べてしまうことになった。マッシュルームは火がなければ調理できないため、これも床に並べて干すことにした。
アイルは干し肉を噛みながら濡れた服を脱いだ。下着以外は裸になり、あぐらをかいて女子の方を横目で見た。
女達も服を脱いでいた。ネネは上着を広げながらこちらを観察していた。
「見ないで」ネネは言った。男たちはのらりくらりと体をそむけた。
ふとアイルはある事に気づき振り向いて尋ねた。「アマンダ、火薬は?」
アマンダは服を脱ぎ半裸だった。サラシを取り小ぶりのツンとした乳房が暗がりの中で顕になっていた。アマンダは胸を隠し一瞬で半泣きになった。
テオが舌打ちをして睨みつけた。アイルは顔を背けた。
「村が襲撃を受けたのは三日前でよ」ジェイが話し始めた。「その一日前にブリスコーから北部連隊が来て、女子供は避難させられてよ。いま男は森ん中に籠もって遊撃戦やってる。」
「じゃあ生き残りはいるんだ?森の中に」アイルが言った。
「ここにはいねぇ。下流のルナン川との合流場所で戦ってる」
「ルナンか。ルナンだとここから十マイルぐらいか。徒歩でもなんとか行けるが……」
「あとルナンの手前にでかい中洲があるだろ。なんか昔のボロボロの遺跡がある場所だ。あそこの取り合いで戦闘があったらしい。もし負けたんならあそこに防衛戦が敷かれてるんじゃないか」
十マイルならば森の中を歩いても一日でたどり着ける。アイルが計算していると、ルイが言った。
「四日前にルーってやつが俺らの村からブリスコーに向かったんだけど、知らないか?」
「悪ぃ。わからん」
「まあ急げば一日でここまでは来れるし、多分助かってるんじゃないか」アイルが言った。
そのとき壁の外で足音が聞こえた。壁から差し込む光が影に遮られ明滅を繰り返した。皆身じろぎ一つせず固まっていた。
外から小さな話し声が聞こえていた。砂利を踏む音が響いたあと、やがて足音はどこか遠くへ離れていった。
「一旦寝よう」アイルは言った。「夜になったら外を見に行く」
アイルが起きとき、部屋の中はほんのりと明るかった。火の付いたろうそくが排水溝の床に置かれていた。壁の隙間は土くれで塞がれていた。
「夜よ」テオが言った。
アイルは上半身裸でズボンだけ履き、再び排水溝の水の中にゆっくりと入っていった。水中に潜ると、ろうそくのか弱い炎は濁った水に遮られ、視界は再び暗黒に包まれた。手で暗渠の壁面を探りながら進み、やがてそれが途切れると、水音を立てないようゆっくりと水面に浮かび上がった。アイルは目の真下まで水面から顔を出し、周囲を観察した。あたりに敵の気配はなかった。アイルは鼻面まで水からだすと深く呼吸をして息を整えた。そしてゆっくりと水からでた。
アイルは腰をかがめて道を進み、草むらの影から村の様子を覗いた。いくつかの家には明かりがついていた。門柱のそばには荷車が五台も置かれ、その上にはいくつもの荷袋が積まれていた。
やつらはここを拠点にするつもりなのだろうか。アイルは一歩村の方へ踏み出した。
猟犬の吠声が遠くで響いていた。リードか何かだろうか、金具のガチャガチャと鳴る音が小さな音が聞こえ、オークが明かりの付いた家からぬっと腰をかがめて出てきた。そして肉のこびりついた骨を犬に与えていた。
アイルは暗渠に戻った。
「猟犬がいた」アイルは村の様子を話した。「陸路での脱出は難しいかもしれない。ジェイ、この排水溝の奥はどうなってるんだ?」
「北の山間から水を引いてるんだよ」
「外に出られるのか?」
「わからんが多分出れるんじゃないか?」
「一旦奥の様子を見ておきたい。案内してくれ」
ジェイは立ち上がった。そして排水渠の奥を先導した。
暗渠は細かいレンガ積みの壁面で覆われていた。幅三フィートほどの狭い上り坂の道をかがみながら進むと、やがて岩がむき出しになった道の行き止まりにたどり着いた。その行き止まりの上方から僅かな月の光が降り注いでいた。
アイル達は排水渠から這い出た。暗渠に導かれた竹樋の水道から水がチョロチョロと流れていた。そこは斜面の中腹だった。
アイルはそこからフーケン村の様子を観察した。アオバズクのホー、ホー、という鳴き声が背後の森から響いてきた。村の家々には明かりがつき、大通りの中央では大きな篝火が焚かれていた。
「どうする?」ジェイが訊いた。
アイルは答えた。「陸路を選択できない以上、船を使うしかない。しかし船は河口に沈めたままだ。見つからすに浮かべて、十人そろって脱出できるか……」アイルは首を振った。「無理だな。もしやつらがここに拠点を作るつもりなら、とどまっても状況は悪くなるだけだろう。しかし一時的に停留しているだけなら、やつらが去った後に脱出したほうがいい」
「なるほど?」
「一日様子を見たい。今日はもう戻ろう」




