ワイバーンの襲撃
エルフはテオと名乗った。彼女は細い金髪をサイドテールに結っていた。
アイル達の小舟は八人が乗るには手狭だった。積載量としてはこれがギリギリだろう。船べりは水面にどっぷりと沈んでいた。アイル達は支流を少し遡り、川に張り出した枝の中に小舟を差し入れて陸地に上がった。少し岸の斜面を登ると、そこからはラインベルクの本流が直接視認できた。
アイルたちは車座になって斜面に腰を下ろした。
「ねえ……ここ大丈夫なの」イブが言った。アイルは何のことかと訝しんだ。
「オーガのことね。あいつらは筋肉がつきすぎてて水に浮かべないらしいから、川さえ渡れば多分大丈夫でしょう」テオが言った。
「オーガに追われているのか?」
「ええ。でも多分もう撒いたわ……」
「ふうんそうか。俺たちはスホルトから逃げてきた」アイルはあらためて言った。「今はブリスコーに向かって川を下っている途中だ。ここらの地理にはそれなりに詳しいんじゃないか。そっちは?」
テオが答えた。「私達はリッテンベルクという山脈の奥にある村から出てきたわ。二日前にオーガの軍隊に村が襲撃されたの。私たちは本体と分かれてかなり遅れて川を下ってる。目的地は同じくブリスコーよ」
「山奥ってここよりも北か」アイルが訊いた。
「そうよ」テオが答えた。
「そんな山奥で赤竜に襲われないのか?」ルイが訊いた。
「千年前だかに描かれた魔法陣が私達を守ってくれていたの。私は詳しくは知らないけど」
「へえ。俺らんとこは龍が降りてくる度にバリスタ打ち込んだり矢を射ったりで村中てんやわんやだけどなあ」
「そうだな。まあとりあえず飯にしよう」アイルが言った。
アイルは荷袋を漁り干し肉を取り出すと皆に配った。肉はかなり湿気っていたが、贅沢は言えなかった。アイルは革袋をルイに放り投げて言った。「それに水汲んできて」
「ちょっと待って」テオはそう言いルイから皮袋を受け取った。そして袋の口を開けて地面に置き、その穂口の上で両手を掲げた。
みなテオを注視していた。テオは口中で静かに呪文を唱えはじめた。
「öum el jackt …… 」アイルの耳には聞き取れない異国の呪文がテオの口から発せられた。
突如掲げた手間に一本の長いつららが形成された。テオはつららをボキボキと追って皮袋の中に入れた。
「地面においておけばすぐ溶けるわ」
「へえ、すごいもんだな」ルイは言った。
ネネとララは燃えさしの木の枝を集めに山を登っていった。アイルは釣り竿を持ち、口中に噛んだ干し肉を針先につけると、川へ下っていった。
アイルは支流のさらに奥まった場所にある流れ込みを見つけた。流れ込みと支流は岩で段差ができており、水が白い泡を立てて落ち窪んだ支流に注いでいた。アイルは枯れた藪の隙間から川面を観察した。川底の茶色い小岩の隙間にブラウントラウトが泳いでいるのが見えた。
アイルは足を忍ばせて川縁にい近づいた。そして身をかがめて餌を流れ込みの上に放り込んだ。やがて流れに乗った餌が白く逆巻く支流に巻き込まれ、ブラウントラウトの頭上に差し掛かった。
しかしトラウトは尻尾をふらふらと揺らし見つめるだけで食いつかなかった。
アイルは餌を手元に戻し、指でこねてより細くなるように加工した。そしてより上流域から餌を流した。
今度はトラウトは素早く反応した。勢いよく餌をついばみ激しく糸を引いた。
瞬間アイルは竿を直角に立てた。トラウトの巨体が激しく竿を倒した。しかしすぐに水面に浮き出てアイルの手元に収まった。
黄金色の細かい鱗が鮎のように鮮やかな美しいブラウントラウトだった。
アイルはもう一尾ブラウントラウトを捕らえると、短剣でエラを取り除き皆のところに戻った。
斜面の上では焚き火が焚かれ鍋が煮立っていた。
干し肉と乾燥マッシュルームで出汁をとったスープは透明な黄色に染まっていた。
皮袋には新たに作られた氷で満杯だった。そしてその隣ではテオが膝を抱えて頭をうずめていた。あれは瞑想しているのだろう。魔法使いが魔力を使用したあとに必要な儀式だ。村長も魔法を使った後に座禅を組んで何も答えなくなる時があった。
アイルは枝を取りトラウトを串刺しにした。そして火のそばに突き立てた炙った。
ネネが荷袋の中からお椀を取り出した。三つのお椀にスープを入れて、皆で回し飲みした。
トラウトが焼けたので、皆で直接かじり合う事になった。アイルは腸の部分を丸かじりにした。ブラウントラウトの腸は、寄生虫が住み着いていることも多いが、今は知ったことではなかった。脂のおおいトラウトの腹身は苦さと甘さが混在して美味しかった。ルイは背中を、ネネとララはそれぞれ側面の身をかじった。
腹がふくれるとアイルは急に眠くなったので、草むらに横たわり眠った。
アイルは体を揺すられてわずかに目が覚めた。
エルザの顔が目の前にあった。彼女の橙色の髪が青空を背に透けて美しく光り輝いていた。彼女はなにか切迫した表情で叫んでいた。
「……きて……起きて!」アイルは頭を起こし目をこすった。まだ頭に霞がかかっていた。「起きて!!!ワイバーンが……」
アイルは飛び起きた。そしてエルザの指差す方向を見た。空気が澄んだ高緯度地方特有のコントラストの激しい空と雲の間に、一つの小さな黒い凝固点が蠢いていた。アイルはそれに目を凝らした。寝起きの眼球は焦点を合わせるのに苦労したが、遠く小さく見えるゴミ粒のようなそれが、翼を広げ尾を立て滑空姿勢をとるのをようやく認めることができた。
その龍は両の翼が等しく左右に開いていた。そして尾が体の影に隠れて見えない。それが意味するところは、こちらに向けてまっすぐ滑空しているということだ。
みな既に荷物を持ち慌ただしく動いていた。アイルは焚き木の跡に土をかけると、皆に続いて坂を駆け下り森の中に逃げ込んだ。
アイルは振り返って梢の隙間からワイバーンを探した。さっきより大きさを増した黒黒とした点が、青空のグラデーションの中に水に落ちた油滴のように張り付いていた。
「もっと森の奥へ入れ!ここにいると焼き殺される!!」アイルは叫んだ。八人は薮をかき分け高い木立の中に入ると、身を低くして隠れた。しかし鬱蒼とした木々の隙間を越えて、ワイバーンの空を裂く羽ばたきがだんだんと距離を詰め近づいてきた。
皆息を詰めその瞬間を待った。
森が一瞬静寂に包まれた。次の瞬間翼のはためく大きな音が響き、ワイバーンは体躯を広げアイル達の頭上を通過していった。巨大な翼の影に入り周囲は一瞬だけ暗くなった。そして竜は大河の方へ飛んで行った。
アイル達は小一時間ほど森の下生えに身を潜めていた。やがて雨が降り出した。 アイル達はゆっくりとこわばった表情で森から這いでてきた。




