8話:謝罪⑴
「昼休み、あんたの全てを終わらせてあげるわ」
秋月に向けて、奏音はそう言った。堂々と勝ち誇ったような顔で、自信満々に。
何か策があるのだろう。あの発言以降、彼女は教室に戻ってきていない。昼休みまでまだ時間はあるし、一体何をしているのか。
「蓮君……!」
そんなことを考えていると、何やら声が聞こえてくる。俺の名前を呼ぶ、小さな声。俺はそれを耳に入れた瞬間、勢いよく視線を向けた。
「千冬……?」
間違いない。艶のいい金髪に色白の肌を浮かべるこの少女は、天谷千冬だ。思わぬ展開に俺の脳は混乱するも、立て続けに千冬は追い討ちをかける。
「いきなりごめんね…。ちょっと……こっちに来て」
手招きされるがままに俺は千冬に連れてかれ、たどり着いたのは人気のない階段裏。一体なんの用だろうか。よりによって、今一番気まずい相手に呼び出されるなんて、嫌な予感しかしない。
呼び出しておきながら暫く千冬は無言で、数秒の時が流れた後ようやく口を開いた。
「あのね……蓮君。話があるの…」
「話……?」
このタイミングで千冬から話されることなんて、心当たりがない。目線を逸らしながら言いずらそうに髪をいじる千冬に、俺は疑問の眼差しを向けていた。
「ごめんね、蓮君。いきなりこんなこと言われても、意味分からないよね。でも、謝りたかったの」
「……え?」
「ごめんね、蓮君……!」
深々と頭を下げる千冬。
突然の出来事に、一瞬にして俺の頭を疑問が埋めつくした。
「ごめんって……どういうことだよ」
「私……蓮君にずっと謝らなきゃって思ってて…。酷いことしちゃったから…」
「……」
いきなり何を言い出すんだ。ずっと謝りたかった?千冬が?俺に?
「謝るくらいで許してもらえないのは分かってる。でも、ごめん。本当に……ごめんね」
「……」
嘘には思えない千冬の言葉に、俺は呆然とする。彼女の罪悪感、謝罪したいという誠意。全てが偽物には見えなくて、俺は言葉を失ってしまう。
「今更……何を…」
「ごめん…」
「お前は……浮気をしたんだぞ」
「ごめん…」
「そんなの……簡単に許せるわけ…」
「ごめん…」
俯きながら放たれ続ける、謝罪の言葉。信じる信じない以前に、意味が分からなかった。
「浮気したのもごめん。ずっと隠してたのもごめん。全部、全部……ごめんね」
「……やめろよ…」
他の男と浮気をし、その上クラスメイトには嘘をつき。千冬のやったことは、到底許されることではない。
「私のことが嫌いになってもいい。でも、ごめん。私はずっと謝りたかったの。これは……嘘じゃない」
「……」
信じてくれと言わんばかりに訴えかける千冬。
――だったら
「秋月とは……別れてくれるのか?」
「えっ」
そんなに許しを請うのなら。千冬は秋月との関係をたってくれるのだろうか。
"ごめん"…その言葉が本心なら。千冬は秋月との関係をたってくれるのだろうか。
「そ、それは……」
「どうした、申し訳ないと思ってるんじゃないのか?」
「……」
最初から分かりきっていた。千冬が並べた言葉の中に、本心が一切ないことくらい。結局は、自分の立場を守るため。大方、先程の奏音の宣言に不安になったのだろう。
申し訳なさも、謝りたい気持ちも、全く持っていない。そんなこと、最初から分かりきっていたのに。
「う……うん……。別れる……。絶対に、別れるよ……!」
「そうか」
もう、彼女の発言全てが嘘に聞こえてくる。醜い。一体この女は、どこまで嘘をつき続けるのだろうか。
「だから、ごめんなさい。全部……全部私が悪かったから……!もう、許して。お願いします…。」
「……」
信頼が大きい程、裏切られた時の反動もまた大きくなる。
どうやら、俺は自分が思っていたよりも、心の広い人間じゃなかったらしい。むしろ、俺の心は狭かった。俺は器の小さい人間だった。
だって俺は今、こんなにも千冬に謝られているというのに、許す気どころか、彼女に対する怒りが全く収まらないのだから。
「冗談じゃねぇよ」
「えっ」
「許す?俺が?お前を?笑わせるな」
「ど……どうしちゃったの…蓮君?」
許さない。そう改めて決意した途端、するすると言葉が流れ出た。今まで彼女にぶつけたことの無い鋭い言葉も、一切の躊躇なく飛び出していく。
思った展開と違ったのか、千冬はオドオドと慌てている様子だった。
少し謝れば許してもらえる。千冬にとって俺は、それだけ簡単な人間に見えていたのかもしれない。
「蓮君……私、謝ってるんだよ。本気で……申し訳ないと思ってるんだよ?」
「だからなんだ。もうお前の言葉なんざ信じる訳ないだろ」
「なんで……酷いよ、蓮君。許してよ」
全く、どの口が言ってるのやら。俺は呆れすぎて、もはや言葉すら出ない。
「用件はそれだけか?なら、もう行くぞ」
俺は振り返り、その場を立ち去ろうとする。
「ちょ、ちょっと……待ってよ蓮君……!」
後ろから呼び止める千冬の声が聞こえるも、俺は足を止めない。
千冬を許さない。
そう改めて誓った俺は、彼女を置いてその場を後にした。