6話:奏音の思惑
「何だ……これ」
「秋月と……千冬?」
「ここって屋上だよな」
1枚の写真を前に、ザワザワとクラスメイトが群がっている。これは何か、そう疑問に思っている人はいないだろう。昨日の貼り紙もあり、クラスメイトは状況をすんなり飲み飲んでいた。
秋月と千冬が身を寄せ合う写真。
無論、これは浮気現場を盗撮したもの。誰の仕業か。それも単純に明白で、昨日紙を貼り付けた人物――妻夫木奏音しか考えられない。
いつ撮ったのだろうか。一昨日浮気現場を目撃した時には、撮影している様子はなかった。だとしたら、それよりもっと前。奏音の口ぶりからして、千冬たちが浮気をし始めたのは大分前からのようだし、奏音はその時から一人で追っていたのだろうか。
俺に頼る前から一人で千冬たちの浮気を調査し、証拠として写真を残していた。そう考えれば繋がるが、どうも引っかかる。
二人が身を寄せ合う姿は、浮気の徹底的な証拠となる。だとしたらなぜ、昨日これを貼らなかった。
わざわざ紙なんか貼らずに、最初からこの写真を掲示していれば、俺たちの状況はもっと良好だったのでは。クラスメイトに嫌な視線を向けられることなんて、なかったのではないか。
そう疑問を浮かべたところで、俺の頭に昨日の奏音の言葉が蘇る。それは、屋上での会話。彼女が述べた、悔やみの言葉である。
「私、噂を流したいだけだったんだ。秀次たちが浮気をしている。信じてもらえなくても、クラス内で多少その噂がたってくれれば、それで十分だった」
「そうすれば、後は証拠を提示するだけ。先に噂がたっていれば、クラスメイトもその事実をすんなりと信用してくれる。そう……思ったのよ」
噂を流したいだけ。先に噂がたっていれば、クラスメイトもその事実をすんなりと信用してくれる。
奏音はそう言っていた。その時は理解できなかった言葉も、今なら分かる。
彼女は、噂を流すために紙を貼った。『秋月秀次と、天谷千冬は、浮気をしている』そう書かれた紙を黒板に。それによって、少しでもクラス内に噂がたってくれればいい。そう思ったのだろう。
そしてその後、奏音は証拠を提示するつもりだった。それが、この写真だ。彼女は、秋月と千冬の浮気を匂わせた後に、証拠として写真を出すつもりだった。
より信憑性の高い状況で。確実に信頼してもらえる状況を作りあげた上で、彼女はトドメの証拠を突きつけようとした。
が、結果は失敗。機転をきかせた巧みな秋月の言葉により、奏音は見事に言い負かされてしまった。"念のため"の行為が、かえって仇となってしまった。
信頼されやすい状況を作るどころか、結果できたのはクラスメイトから痛い視線を浴びる、居心地の悪い空間。奏音のいう失敗とは、つまりそういうこと。
だからこそ、この展開はまずい。
クラスメイトの意思が千冬ら側に傾いている今このタイミングでの証拠写真は、あまり意味をなさない。千冬と秋月は、皆からすればカップル。イチャつくという行為に、なんの違和感もないのだから。
「なんだよ、またかよ!」
写真の存在に気づいた秋月が、不満を吐きながら現れる。後ろには千冬の姿も見受けられ、どうやら二人は一緒に登校してきたようだ。
そのまま秋月は黒板の前まで足を運ぶと、少し写真に視線を当てた後、ビリッと剥がして今度は捨てず制服のポケットにしまう。
まずい、まずい、まずい。いくら証拠を強くしたところで、写真程度じゃまた秋月に言い負かされる。秋月は奏音をフッた。そのデマが流れる限り、写真程度じゃ浮気の証拠にならない。
奏音には、何か思惑があるのだろうか。
もし仮に、写真以上の徹底的証拠を持っているのだとしたら。今回の写真も、浮気をクラス内に匂わせるための餌だとしたら。何か状況を覆す、大きな爆弾を持っているのだろうか。
「冗談じゃねぇよ。妻夫木、いい加減お前……しつこいぞ」
不満、というよりは怒り。秋月は顔に怒りを貼り付け、教室後方に着席する奏音を睨みつけていた。
「何かしら。そんなに怒っちゃって、らしくないじゃない」
「当たり前だろ。お前……どういうつもりだ」
今度はかっとせず、落ち着いて挑発をかける奏音の口調に、秋月は珍しく熱が入る。
「どういうつもり。それはこっちのセリフよ。嘘までついて浮気を守り抜いて、仕返ししたくなるのは当然じゃない」
「浮気……?だから、いい加減にしろよ。俺はお前をフッたんだ。俺の恋人はお前じゃない、天谷だ。だから別にこの写真も、不自然なんかじゃねぇだろ」
あくまでも浮気をしていない。そう貫く秋月。確かに、写真の登場で多少秋月の勢いが落ち着いているようにも見えるも、優勢なのは秋月だ。彼の言う通り、この写真は不自然じゃない。本当の恋人が、イチャついているだけなのだから。
「不自然じゃない……か……」
「な、なんだよ……」
「確かに、あんたたちが本当の恋人なら、不自然ではないし違和感もない」
「そうだろ?」
「うん……でもね、今はそんなことどうでもいいのよ」
「は?」
訳の分からぬ奏音の発言に、秋月は問い返す。どういう意味だ……と。それに対し奏音は落ち着きを崩さず、淡々と言葉を並べる。
「私が言いたいのは、場所のことよ」
「場所……?」
「この写真の場所。ここって、屋上よね?」
「……そうだが?」
何を思ったのか、奏音はフッと鼻で笑って
「屋上って、確か立ち入り禁止だったわよね」
「……」
屋上は立ち入り禁止。それは生徒誰もが知る常識。だが、あまりにも奏音が得意げに言うため、何か確信のつく一言を放たれるのではないかと錯覚し、秋月は身構えていた。
「だ、だからなんだよ」
「つまりね、私が言いたいのは――」
大した内容でなくても、言い方によっては大袈裟に聞こえる。奏音は、できる限り言葉に重みがでるようにと、力強く言い放った。
「立ち入り禁止の屋上で、生徒同士がみだらな行為をする。それって恋人以前に、人間としてどうなのかしか?」
「なっ――!」
自信に満ち満ちた表情で、軽蔑の眼差しを向ける奏音。恋人云々の前に、人としてどうなのか。彼女の言い分は、確かに分かる。けれど、立ち入り禁止の場所で盗撮をしている奏音も大概な訳で、説得力はあまりない。が、それは全てを知る俺だからこその分析。
どちらが悪で、どちらが善なのか。断定できないクラスメイトからすれば、正しいことを言ってる方ではなく、正しいことを言ってそうな方を選んでしまう。
奏音の言葉を聞いたクラスメイトは、先程よりも増してザワザワとしだしていた。
「確かに……屋上って立ち入り禁止だね」
「そんなところで……千冬たちは…」
「恋人だからって……許されるのかな」
浮気の有無は置いておいて、屋上は好ましくないのではないか。クラスメイトの話題はそうシフトされているものの、秋月らに対するマイナスの感情が芽生え始めているのは事実だ。
浮気に直接的には関係ないが、奏音の自信に溢れた口調も相まって、彼女の言っている事は全て正しいのではないか。そう思い込みそうになる。
これで俺たちの立場が回復することはないが、秋月らの印象は少し下がったはず。もしかして、奏音の狙いはこれだったのだろうか。
信頼されやすい状況を作る。
確かに、イメージの悪い人間の働いた悪事は、あっさり受け入れられる。何も違和感がないから。お前はそういうやつだもんな……と。
つまりここで少しでも秋月らのイメージダウンを図れれば、証拠の信憑性も増すかもしれない。秋月と千冬は、浮気をしてもおかしくない奴。少しでもそう思わせることができれば、復讐計画も成功に近づくかもしれない。まあ、証拠があればの話だが。
「ああ、そうだよ!」
一度は言葉を詰まらせながらも、開き直る秋月。彼には余裕がある訳ではない。辛うじて巧みな嘘でクラスメイトを味方につけているものの、それらを繋いでいるのは、言葉という細い細い糸。いつ切れてもおかしくない。
秋月と千冬は浮気をしている。それに証拠がないのと同じで、秋月が奏音をフッた。そのことにもまた証拠がない。今クラスメイトが秋月を信用しているのは、冷静で堂々としていた彼の方が本当のことを言ってそうだったからだ。
いつ奏音側に意思が傾いてもおかしくない。それ故、彼は彼なりにクラスメイトからの信頼度を下げまいと必死だった。
「俺らは、屋上が立ち入り禁止だと分かってたよ。でも別にそこまで悪くはねぇだろ」
「なんですって?」
「フラれた腹癒せにデマを流そうとするやつの方が、余程頭がおかしいって言ってんだよ」
「――っ!」
痛いところをつかれるも、奏音はなんとか食らいつく。
「だから、何度言えば分かるのよ。デマじゃない、全部事実。あんたたちは浮気をしている」
「証拠は?何か証拠はあるのか?」
「証拠も何も、立ち入り禁止の屋上で隠れるようにイチャつく奴らが浮気をしたって、誰も驚かないわよ。それに、証拠がないのは同じじゃない。私の言葉がデマだって証拠は、どこにあるのよ?」
「そんなもん、どこにもねぇよ。まさかお前があんなな紙を貼り付けるなんて、思いもしなかったからな」
激しい言葉。醜い口喧嘩。徐々にヒートアップしていく彼らの会話に、周りのクラスメイトは若干引いていた。印象を下げたくない。どちらもそう思っているはずなのに、双方とも目的を見失っていた。
その後も言葉による争いは続き、やがて奏音の方から締めくくる形で終わりを告げる。
「まあ……いいわ」
思わず熱くなりすぎて周りが見えてなかったことに気づいた奏音は、一度深呼吸をして息を整えると
「証拠はあるのか、そう聞いたわね?」
「……」
「分かったわ。そんなに気になるなら、教えてあげる。昼休み、あんたの全てを終わらせてあげるわ」
そう言い放って、奏音は教室を後にした。