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4話:屋上にて

 奏音はどこへ行ったのか。確信はない。根拠もない。けれど、おおよその見当はついていた。


 俺は立ち入り防止の三角コーンを跨ぎ、重い足取りで階段を上り、錆びれたドアノブに手をかける。


「――やっぱり、ここにいたのか」


 ギィィ…と、音をたてながらドアを開く。あまり人が出入りしていない、そう実感させられる金属音。


 その先に見えた少女に、俺は声をかけた。


 普段から目立つ紫色のボブは、風に靡いて余計に際立つ。横から見た彼女の顔は変わらず可憐で、まつ毛の長さがよく分かった。


「奏音……大丈夫か…」


 そう、そこにいたのは奏音。俺が探していたクラスメイト――妻夫木奏音は、学校の屋上にいた。


 なぜ分かったのか。そう問われれば、上手く答えられない。けれど、強いて言うならば"なんとなく"だ。


 なんとなく、奏音はここにいる気がした。


 冒頭でも述べた通り、確信はなかったし根拠もなかった。なんとなく。その直感だけで俺は探り、案の定彼女は屋上にいた。


 神妙な面持ちで柵に肘を置き、どこか遠くを眺めている奏音は、俺の問に反応しない。聞こえていないのか。はたまた聞こえた上でスルーしているのか。分からない。


 俺はそれ以上言葉を投げかけることなく、ただ静かに彼女の元へと歩み寄る。そして、そっと隣で同じように柵に身を委ね、辺りを一望する。


(割と……いい景色だな)


 俺たちの暮らす広い町も、四階建ての学校の屋上から見れば案外美しいものだ。対してお洒落でない住宅も、立ち並ぶことで色とりどりの屋根が割かし映える。この景色も、意外と見ていられるな。


 そう感傷に浸る俺は、別に景観や街並みを眺めるのが好きな訳ではない。これは一種の時間稼ぎ。何の考えもなしに奏音を見つけたはいいものの、どう接すればよいか俺には分からなかった。


 深刻に思いつめた表情を浮かべる奏音。慰めるべきなのかもしれない。彼女が少しでも楽になるように、優しく寄り添うべきなのかもしれない。


 けれど不器用な俺には、"気の利いた一言を放つ"という単純な行為ができなかった。余計に傷を掘り進めてしまうのでは。そっとしておいてほしい、そう思ってるのでは。などと、勝手に頭の中で妄想が膨らみ、俺の決心を歪ませていた。


 それ故、現在辺りには妙な気まずさが漂っている。誰も何も喋らない、沈黙の空間。


 俺たちは言葉を交わすことなく、ただ静かに変わらぬ景色を眺め続けていた。


「――ごめんね」


 その時だった。俺の横から聞こえたのは、細々とした謝罪の言葉。すぐさま俺は視線を向ける。


「ごめんね、達川」


「な、なんでお前が謝るんだよ」


 一番謝られるべき奏音が口にしたのは"ごめんね"の四文字。落ち着いた表情を崩さぬまま、真っ直ぐと俺に視線を向けている。


「私、失敗しちゃった。あれ……私なの、私が黒板に紙を貼り付けたの」


「そうだったのか……」


 俯きながら放たれる彼女の言葉はどこか悲しく、とても弱々しい。


 紙を貼り付けた正体が奏音だったのは、正直分かっていた。復讐を決意した昨日の今日で、俺たち以外には考えられない。けれど、ここで"知ってるよ"と受け流すのは少し違う気がした。これもまた、特に根拠はない。なんとなく、そんな気がした。


「私、噂を流したいだけだったんだ。秀次たちが浮気をしている。信じてもらえなくても、クラス内で多少その噂がたってくれれば、それで十分だった」


「……」


「そうすれば、後は証拠を提示するだけ。先に噂がたっていれば、クラスメイトもその事実をすんなりと信用してくれる。そう……思ったのよ」


 失敗を悔やむように、奏音は自らのやろうとしていたことを俺に伝える。


 確かに、事前に噂が広まっていれば、証拠を提示された時の受け入れやすさは高まるだろう。


「でも結果は、噂がたつどころかクラスメイト全員を敵にまわしちゃった。私……秀次にフラれてなんかないのに。なんであんなに……平然と嘘がつけるのよ…」


 奏音は、眉間に皺を寄せて怒りを噛み締める。


 なぜ秋月は平然と嘘がつけるのか。無論、その答えは単純で明白だろう。秋月は浮気をするような男。平然と人を裏切れる男。そんな人間にとって嘘の一つや二つ、吐いたところで何の違和感もない。


 性根の腐った人間に、普通を求めてはいけないのだ。


「――ごめんね」


 改まって、謝罪の言葉を述べる奏音。なぜ俺に謝るのか。再びそれを聞くのは彼女の思いを踏みにじるような気がして、気が引けた。俺はそっと、彼女の本心に耳を傾ける。


「私が余計なことをしたせいで、達川にも被害が及ぶかもしれない。私が余計なことをしたせいで、達川にも迷惑がかかるかもしれない」


「……」


「ごめん…。謝っても何も変わらないのは分かってる。でも、ごめん。私の方から復讐の後押しをしておきながら、いきなり失敗するなんて。私……情けないわね」


「……」


 そんなことないよ。すぐにその言葉が出てこなかったのは、彼女に情けなさを感じている証拠なのだろうか。秋月の巧みな言葉に転がされ、あっという間に立場を逆転させられた彼女を見て、俺は情けないと思っているのだろうか。


「私……ダメなのかもしれない。秀次に復讐を決意しても最初から失敗してるし、私には復讐なんて……ただの強がりだったのかもしれない…」


「……」


 強がり、あながちそれは間違っていないのかもしれない。裏切った恋人に復讐をし、どん底に落とすことで満足感を得る。俺たちがやろうとしているのは、つまりそういうこと。


 必ずできる保証がある訳でもないのに、復讐してやる……と意気込むのは、ある意味の強がりではなかろうか。でも……


「私には無理だった。無理だったのよ…。できもしないことを軽々しく夢みて、呆気なく玉砕して、本当に私……何やってるんだろ」


「……」


 いくら高い壁にぶち当たったとて、すぐに諦めることが正しいとは思わない。復讐をする。そう決意したのなら、多少の困難には悶えてでも乗り越えようとする。その位の覚悟が必要なのではないか。


「結局、私みたいな人間には無理だったのよ。口先ばっかりだし、すぐかっとするし。大人しく、現実を受け入れるしかなかったのよ……」


 奏音の全てが、諦めの色に染まっていく。昨日の彼女からは想像できない、やる気の喪失感。半ば公開処刑のような形で、秋月に言い負かされた奏音のメンタルは、限界を迎えていた。


 諦めるべき。今の彼女を見たら、誰もがそう思うだろう。でも……


「私にはもう……戻る場所がない…。復讐したいなんて……思うんじゃなかった」


 俺はそうは思わない。復讐をやめるべきだとも、諦めるべきだとも。


 だって――


「諦めるのか?」


「えっ……」


 奏音が教えてくれたのだから。

 如何なる理由があろうとも、浮気が正当化されることはあってはならない。そう、教えてくれた。


 だから俺は、復讐を決意した。どんな手を使ってでも、この怒りを千冬にぶつけるまで絶対に諦めない。俺は昨日、そう誓ったんだ。


「お前は復讐を諦めるのか?秋月に言い負かされたくらいで、諦めるのか?悔しいとは思わないのか?」


「そ……それは…」


 俺は、奏音のお陰で決意ができた。復讐をしたい。そんな普段はしないであろう決断を、奏音のお陰で下せたんだ。


 悔しい。悲しい。だったらやることは1つ。彼女にそう言われて俺の気持ちは掻き立てられ、千冬に対する憎悪は高まったんだ。


「私には無理。もう諦めたい。分かるよ。憎い相手にあれ程まで叩きのめされて、心が痛い。それは分かるよ。でもさ……」


 浮気をされ、嘘を吐かれ、復讐したい程に憎んだ相手。俺は一呼吸置いて、


「だからこそ、復讐したいんじゃないのか?」


 力強く言い放った。


 心の折れた奏音がとるべき行動は、復讐を諦めることなんかじゃない。その怒りや憎しみを力に変えて、より一層復讐心を高めることだ。


「私は……」


 俺の言葉を浴びた奏音に、段々と気力が戻り始める。もう何も残っていない、そのくらい空っぽに見えた彼女の表情は、次第に怒りを帯びていく。


「秋月に言い負かされた。だからもう、私は諦めます。冗談じゃない。お前の復讐心はその程度だったのか?いいや、違うね」


「……」


「お前の秋月に対する憎悪は本物だ。復讐したい、本気でそう思ってる。だからお前は……俺を誘ったんだろ?」


「私は……」


 言い過ぎじゃないか、偉そうだな。そんなこと、俺が一番自覚している。でも、許せなかったんだ。昨日あれ程まで俺に言葉を並べ、復讐心に火を灯させた奏音が、簡単に復讐を諦めようとしている。その仕方のない事実が、俺は許せなかった。


 俺は、昨日の奏音のように言い放つ。


「一つ聞かせてくれ。お前は秋月に、何がしたい?」


「私は……」


 最後まで責任を持ってやり抜け……とまでは言わない。けれど、せめて可能な限りは足掻いてほしい。どんなに高い壁が行く手を阻んだとしても、諦めずに前へ歩んでほしい。


「私は……秀次に……」


 俺に問われた奏音の表情は徐々に怒りに満ち満ちていき、やがて絶頂へと達すると。


「復讐をしたい」


 昨日の俺のように、そう言い放った。

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