3話:貼り紙
『秋月秀次と、天谷千冬は、浮気をしている』
そう書かれた紙を前に、クラスメイトは群がっていた。ザワザワと騒がしく、何事か……と。
そして、もう1人。青ざめた顔で、張り付くように紙を凝視する少女が俺の隣にいた。
「何……これ。どういうこと……」
天谷千冬。何を隠そう、紙に名前が記された張本人。彼女は状況が理解できないといった様子で、声を震わせていた。
「千冬……本当なの……?」
「千冬……浮気してたの?」
「嘘だよね……?」
千冬の登校に気づいたクラスメイトが、続々と質問攻めをしてくる。大方、紙に書かれた内容の事実を確認するものばかり。
状況を飲み込めていない千冬は、アタフタと後退りしながら弁明の語を探す。
「えっと……その……」
――が、余程焦りに陥っているようで、千冬は頭を上手く回転させることができず、中途半端に言葉を途切らせてしまう。
「本当なの……千冬?」
「否定しないってことは……事実なの?」
「嘘でしょ……浮気なんて……最低」
有耶無耶な反応がかえって仇となり、クラスメイトが千冬に怒涛の追い打ちをかける。
「違うの……!違くて……その…」
再び千冬は弁明しようとするも、やはり言葉は出てこず。クラスメイトの圧に飲み込まれていた。
そんな一部始終を近くで眺める俺――達川蓮翔。俺も千冬と同じで、今の状況に混乱していた。
俺が昨日知った、千冬と秋月の浮気。その事実を、誰かが紙に記して黒板に貼り付けた。つまり、俺と奏音以外にも彼女らの浮気を知ってる奴が居るというのか。それとも……
俺がそう思考を巡らせる最中も、千冬に対する尋問は行われている。
「ねぇ……千冬。なんとか言ってよ!」
「千冬って達川君と付き合ってたよね?」
「浮気とか最低。見損なったよ」
クラスメイトから飛び交う鋭い言葉。
千冬の目には涙が浮かび、反論どころではなさそうだ。やがて、彼女はその場に留まることすら困難になり、俯きながら教室を立ち去ろうとする。
――その時だった。
ガラガラガラ…と、音をたてながら扉が開く。
「秋月だ」
「秋月が来たぞ」
「秋月君よ」
姿を現した、ガタイのいい高身長の男。彼の名は、秋月秀次。言わずとも、紙に記されたもう1人の人物。即ち、千冬の浮気相手の男である。
秋月は教室内の異変を感じ取ると、黒板に貼られた紙の存在に気づいたようで、じっとペンで書かれたその文字を眺めていた。
「秋月は確か……奏音と付き合ってたよね」
「秋月も最低ね」
「奏音に悪いとは思わないのかしら」
などと、彼に対する不満も飛び始める。が、千冬とは違い、秋月はそんな言葉には動じてない様子で、じっと紙を見つめた後。
「冗談じゃねぇよ」
そう言ってビリッと紙を剥ぎ取り、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ入れた。そして続けざまに、言葉を並べる。
「なんだよそれ。俺が浮気?なんの事だよ」
鋭い視線で放たれた彼の言葉に、クラス一同ざわめく。まるで、一切心当たりがないかのような言い方。自分は何も知らない、そう聞こえる発言。
「なによ……とぼける気?」
「正直に言えよ…」
「千冬だって、何も言えずに逃げ出そうとしてたのよ?」
千冬同様、秋月への不満も止まらない。クラスメイトは、尖らせた言葉を彼に投げ続ける。
が、それでも尚、彼は一切の動揺を見せない。むしろ、秋月は終始堂々とした態度で、平然と否定を述べていく。
「とぼける?だから何の事だよ」
クラスメイトの野次を拾っては反論し。蔑みの視線にはケロッと惚けた表情を見せ。あくまでも何も知らない人間を貫き通していた。
そして次の瞬間、秋月が放った一言により、クラスメイトの意見がガラリと変わる。
「お前らどうしちまったんだよ。俺が浮気とか……そんな訳ないだろ。そもそも俺は、妻夫木の事をフったんだよ」
「「……えっ」」
クラス一同、揃いに揃って言葉を失う。妻夫木奏音をフった、そう述べる秋月。
無論、これは完全なデタラメだ。彼は奏音をフってないし、紙に書かれた通り浮気をしている。
が、クラスメイトは真実を知らない。秋月にそう言われてしまっては、それ以上彼のことを責められない。辺り一体を、不穏な空気が漂う。
「浮気……じゃないのか?」
「惚けてた訳でも……」
「だったら、あの紙は……」
秋月の言い分に、クラスメイトの主張は揺れ動く。先程まで飛び交っていた彼への言葉が嘘のように消え、自身の勘違いを疑い出す。
「嘘言うんじゃないわよ!」
その時だった。
教室後方から怒鳴る声が響き、視線を向けた先には奏音がいた。憎悪という憎悪を顔に貼り付け、鋭く力強く睨んでいる。
「どうしたんだ、妻夫木。そんな怖い顔して」
「――っ!」
相変わらずケロッとする秋月に、奏音の顔はより一層強ばる。そして、その表情に見合った鋭い声で秋月に不満を言い放つ。
「あんたが私をフった?ふざけないでよ!あんたは私を裏切った……あんたはその女と浮気したじゃない!」
奏音は扉の前に立つ千冬を指さしながら、声を荒らげる。ご最もで、正しい主張。けれど、それは俺から見た時の話。何も知らないクラスメイトからすれば、この状況は中々にマズイ。
「もしかして……」
「あの紙って……」
「奏音……まさか…」
ざわめき出すクラスメイト。まずい、まずい、まずい。惚けた秋月に、かっとする奏音。ざわめくクラスメイトに、誰かが貼った白い紙。揃いに揃ったパーツ。これに、彼の一言が加わってしまえば全てが逆転する。非常にまずい、何とかしなければ。
――が、そう思った時にはもう手遅れで、秋月はこの展開を想定してたかのようにニヤリと口角を上げ、目を見開きながらトドメをさした。
「もしかして、さっきの紙……妻夫木が貼ったのか?」
「えっ……」
決定打を放つ秋月。けれど、その表情は未だにケロッとしている。
奏音が紙を貼った。おそらくこれは、事実だ。断定はできないものの、彼女の仕業だと思っていいだろう。けれど、重要なのはそこじゃない。彼女の行為でなくても、秋月の思惑は成立する。
「待てよ……俺が天谷と浮気をしている。もしかして、お前は俺にフられた腹癒せに、そんなデマを流したのか?」
「なっ、何を言ってるのよ!?」
「俺をクラスの悪者に仕立て上げ、貶めようとしたんだろ。なぁ、そうだろ!?」
「ちょっ、ちょっと……待ちなさいよ!」
秋月の訳の分からぬ主張に奏音は歯止めをかけようとするも、もう手遅れ。先程まで奏音を擁護していた故、直接その言葉が彼女に飛ぶことはないものの、クラスメイトはザワザワとしだしていた。
「あ~あ。やっぱりお前は、そういう奴だったのか」
「待って……、違う……違うの」
奏音はクラスメイトの勘違いを防ぐように宥めるも、やはりもう遅い。これ以上、彼女が何を言おうとも、クラスメイトが奏音側に傾くことはないだろう。
「わざわざ貼り紙まで用意しちゃって。そんなに俺と別れるのが辛かったのか」
「何よ……何を……言ってる……のよ…」
勝ち誇ったように言葉を並べる秋月に、奏音は反論の余地がない。声も体も震わせながら、立っているのがやっとだった。
「まあ……お前がそんなに俺の事を思ってくれてたのなら嬉しいよ。……でも、」
フッ、と秋月は鼻で笑って。
「――ごめんな」
見下すように奏音に言い放った。
デタラメな言葉。嘘で塗り尽くされた言い分。けれど、クラスメイトには終始冷静で堂々としていた秋月の方が正しく見えたのだろう。
奏音は教室を飛び出した。逃げるように、俯きながら、振り返らず。
彼女が姿を消すと、向いていたクラスメイトの視線が俺の方へと集まる。大方、俺も共犯。そう思われているのだろう。
俺も教室を出て、奏音の後を追った。