後日談(1)面会
読み返したらアフターストーリーを書きたくなったので、投稿させていただきます。
内容を忘れてしまった方がほとんどだと思うので、是非暇なときにでも読み直してくれると幸いです。
自身の娘を公園に遺棄し、育児放棄の罪で警察のお世話になっている千冬は、生気を失い絶望に打ちひしがれる日々を送っていた。
刑務所の労働は案外軽く、けれど細かな作業をひたすらにやり続けるという意味では精神的にきつい。話し相手も碌におらず、つい最近まで平凡な学生として生活していた千冬にとっては、地獄と言っても相違なかった。
そんな先の見えない文字通り檻の中に閉じ込められた千冬は、限界を迎えていた。
こんなところ早く出たい。なんで私がこんな目に。全て自分が悪いのにも関わらず、そんな自分勝手な発言が飛び出してしまうほど千冬は追い詰められていた。
これは、そんなある日の出来事。
思ったより育児放棄の罪は重く、やっとの思いで千冬が刑期の半分を乗り越えた、そんな時だった。
看守の一言で、千冬は檻を出ることになる。……出ると言っても刑務所からではなく、少し場所を移動しただけ。
案内されたそこは、看守の人曰く面会ルームとのこと。何者かが千冬との対面を望んで面会したいとやってきたらしい。
(会いたくないな……)
父か母か。おそらく身内に違いないだろうと考えた千冬は、面会に行くのを躊躇った。父と母に今の自身の姿を晒すのは、なんとも言えない気まずさがあるのだ。今まで何度か来てくれたことはあるが、その度に地獄を味わった。
罪が罪ということもあり、子を捨てた自身に母がどんな態度を見せるのか、またそんな母にどう接すればいいのか。半ば両親は自分を心配するような言葉を投げたが、それも本心かは分からない。
前のめりに子を生むことを決意し、呆気なく命を捨てた。そんな自分に呆れているのではと、千冬は人間不信に陥り、それは自身の親にさえ発動していた。
ーーガチャリと扉が開く。
「……えっ」
そこに誰がいたのか。目を見開く千冬の様からして、両親でないのは明白だった。……では誰なのか、千冬は幽霊と対峙したかのように言葉を震わせ、絞り出すように呟いた。
「奏音……ちゃん」
「久しぶりね」
妻夫木奏音の姿がそこにはあった。
なぜ、どうして……と、思わぬ来客に疑問が飛び交う。そんな様子を悟ったのか、限られた時間に気をつかったのか、奏音は「いいからこっちに来なさい」と椅子に座るよう促す。
中央を透明なガラスで仕切られた面会ルーム。それを境に椅子が置かれ、受刑者との面会は成立する。よくドラマで見るようなセットも、実際に見たら閉塞的な檻の中。灰色一色の壁と後ろから見守る看守の視線も相まって、辺りを冷たい空気が漂っていた。
「別にそんなに怯えなくていいわよ。説教しに来たわけじゃないんだから」
「……」
説教しにきたわけじゃない。だったら何の用だと、千冬はより身構えた。罵倒か、愚痴か、無様な自分に対する嘲笑か。震える千冬を見て、奏音は温かく微笑んだ。
「私、あなたに感謝してるの」
「……えっ?」
「今日も、そのお礼を言いたくて」
お礼を言いたい。その言葉を聞いた途端、千冬の奏音を見る目が変わる。絶対に傷を抉ってくるに違いないと思っていた千冬の震えは、先ほどより軽くなった。
「お礼って……私に?」
「そうよ」
あまりに信じられず、千冬はもう一度聞き返してしまう。けれど答えは変わらず、奏音は千冬に謝りにきたと言うのだ。
「私、奏音ちゃんに……何かした?」
「ええ、あなたは自覚ないかもしれないけど、私はすごく感謝してるの。どうしてもあなたにお礼を言いたくて、だからわざわざ面会しにきたの」
勿体ぶるような奏音の言い方。釈放を待たずしてわざわざ伝えにきた感謝の言葉。一体どんな礼が飛び出すのか。
絶望続きの千冬に妙な期待感が芽生えたその時、奏音は言い放った。
「浮気してくれて、ありがと」
次の瞬間、奏音の顔つきが変わった。顔は暗く目つきは強く、例えるならそう……ゴミを見下すような視線。嘲笑まじりに千冬にそう告げた奏音は、先ほどとは別人のようだった。
「どっ、どういう……こと?」
「そのままの意味よ。浮気してくれてありがと。私、あなたが浮気してくれたお陰で救われたの」
「……えっ?」
何を言ってるか分からない。千冬の脳内はその一言で埋め尽くされた。
浮気してくれてありがとう? 浮気をしたことで感謝される? どう組み立てても理屈の通らない奏音の発言に、千冬は混乱するばかりだった。
「あなた、秀治との子をこさえて遺棄して、それで捕まったのよね?」
「……」
「もし、私があのまま秀治と付き合っていたら。多分……いずれ子供ができて、あなたと同じ道を辿っていたかもしれない」
「ーーっ!」
奏音は勝ち誇ったような笑みを宿すと、
「だから、浮気してくれてありがと。あなたのお陰でこんな汚い牢獄で過ごすことも、居場所をなくすこともなかった。だから、本当に感謝してるわ」
皮肉じみたことを言い捨てた。
やっとのことで半分の刑期を終えたこのタイミングで、無理矢理に心を抉るような奏音の言葉。多少めちゃくちゃな理屈でも、千冬に与えたダメージは確かだった。
一瞬芽生えた期待もすぐに砕けて、暗かった未来の上からさらに黒く塗りつぶされたような感覚。
黙り込んで絶望する千冬を見て、奏音は満足そうに立ち去って行くのだった。




