21話:命
違和感を覚え始めたのは、ここ最近のこと。蓮翔に二度も突き放された千冬は、謹慎があけてからも部屋に閉じこもる日々を送っていた。
誰も頼れない。学校に行ったところで、嫌な視線を浴びるだけ。全部自分の手で招いた状況なのに、なぜか無性にイライラする。
信じたくない。けれどもしそうだとすれば、震えが止まらない。果たしてこの震えも、その違和感によるものなのか。
謎の腹痛。謎の吐き気。謎の倦怠感。謎の眠気。謎の微熱。
千冬の体を襲うこれらの異常は、一体何を表しているのか。
母は何も言わなかった。いや、言えなかったのだろう。これらの症状を説明すると、ただ顔を真っ青にして互いの顔を見つめあっていた。否定の余地もない、明確な答え。
――千冬のお腹には、一つの命が宿っていた。
何とか冷静さを取り戻した母に催促され連れていかれた病院で、妊娠だと断定された。まだ初期の段階に過ぎないものの、その体には確かに小さな命が芽生えていた。
相手は誰か。無論、秋月以外に考えられない。蓮翔とは付き合っていたが、彼の慎重さも相俟ってそういう行為に至ったことはなかった。
だからこの小さな命は、秋月と千冬の間に生まれたもの。浮気という許すまじき行為の過程で生まれた、予想外の出来事である。
母は落胆した。
その子供が浮気相手との間で芽生えたものだと聞いて。そして、彼は今警察に捕まっていると付け加えて。産むのか産まないのかという、究極の二択を千冬に投げかけた。
「産むよ……私、産むよ……!」
命の重さを知らない子供の千冬は、そう言った。根拠のない決心で。子育ての過酷さを甘く見た、軽い意志による決意と共に。
中絶という選択肢を跳ね除けて、命を捨てたくないという本心か怪しい旨を述べて。天谷千冬は、高校生にして母親になると誓った。
母は、否定しなかった。というより、否定できなかった。子供に向かって命を捨てろと命ずることなんて、余程の固い意思がなければ不可能だ。それに、浮気をして幼馴染を裏切った自身の娘が、産まないと軽々しく言い捨てなかったことに、喜んでさえいた。
結局、母親は子供の味方なのだ。
どんなに性格の歪んだ人間でも、どんなに醜い見た目の人間でも、自分の子供はただ一人。母は、自分も可能な限りサポートすると後押しし、二人の間で産むという決意を固めたのだった。
*****
千冬の決心の裏には、小さな甘えが紛れていた。
産みたいという意思は本物。けれど、一人でずっと上手く続ける自信はない。可能な範囲で母もサポートしてくれると言っていたが、それも最初だけ。いずれ一人で支えていかなければならないのだから、支援するのは千冬が慣れるまで……と言われた。
つまり、最終的に千冬はシングルマザーとして子供の成長を見守っていかなければならない。もちろん、その事実を理解した上で千冬は産むことを決意した。が、それを後押ししたのが先程述べた"甘え"だ。
――秋月の手を借りればいいか。
千冬は思った。秋月は警察に捕まったけれど、それは永遠ではない。いずれ彼は外に出て、再び元の場所で生活を始める。
だから、この小さな命は秋月と共に育てていけばいいのでは……と。
その甘えが頭の片隅にあったからこそ、千冬は軽々しく産むことを決意した。何も分からぬまま、秋月が自分の元へ帰って来るという前提で。
秋月は千冬のことを道具としか見ていない。そんな過酷な事実を、微塵も知らずに。




