2話:浮気女と学校へ向かえ
"復讐をしたい"
昨日、浮気現場を前にそう決意したものの、具体的な手段は分からない。
当たり前ではあるが、俺に復讐経験なんてものはないし、露骨に人を貶めた過去もない。
それゆえ、決意したはいいとして、自らの足で行動できずにいた。
(奏音に頼るか……)
そんな中、当たり前のように脳内に浮上した名前、奏音。彼女はフルネームを妻夫木奏音といい、やや色素の薄い紫で染められたボブが特徴的な俺のクラスメイト。と同時に、俺の復讐の決意を引き出した当事者でもある。
彼女は昨日、用事があるから着いてこいと半ば強制的に俺を連れ出し、浮気現場である屋上へと案内した。
その結果、俺は千冬と秋月の浮気を知ることになった訳で、要は奏音のお陰で俺は事実に気づけた。
それがいい事なのか、はたまた悪いことなのか、今となっては分からないが、今後も何も知らぬ状態で千冬と接していた未来を想像すると身震いが止まらない。
そういう意味では、奏音に感謝している。
彼女自身も秋月に浮気された身として、思うところがあるだろうに。まあ結局、俺に浮気現場を見せたのは復讐の手伝いを頼む為だったと聞いて、かなり驚いたが。
彼女は、大分前から千冬たちの浮気に気づいていたらしい。そして、1人で着々と復讐計画をねっていたそうだ。
どういう風に仕返しをするか。
どうやったら彼らを絶望に落とせるか。
それだけを聞くと、かなり危なっかしい女に見えるかもしれない。いや、実際に危ない人なのかもしれないけど、俺目線では共感できる部分もある。
同じく浮気された側の人間として、相手に少なからずとも怒りを抱くのは必然。むしろ、浮気をさらっと見逃す方が稀であろう。余程の広い心の持ち主か、既に冷めきったカップルぐらいだろうか。
その点、俺と千冬は前者。俺は千冬に対して怒りを抱いている。復讐してやりたい、そう決意してしまうくらいに。
だからこそ、俺には奏音の気持ちが分かってしまう。怒りの発散対象を恋人に向け、復讐という形で解放するという行為に、多少なりとも魅力を感じているのだから。
*****
何はともあれ、復讐を決意した俺にはやらねばならぬ事がある。
カーテンの隙間から眩しい陽光が主張する、始まりの朝。普段なら、清々しい気分に満たされるはずの俺の心も、先の見えない未来のように重く、暗がりに包まれていた。
それもそのはず、俺に与えられた最初のミッションは超過酷で。名付けるならば"浮気女と学校へ向かえ"だ。
その名の通り、浮気女――天谷千冬と共に学校へ向かうイベント。浮気を目撃したとて、彼女はそれを知らない訳だし、俺はルーティーンである彼女との登校を継続しなければならなかった。
いや、確かに連絡先を持ってるから、メールで「ごめん、今日は一緒に行けない!」的なメッセージを送ればいいんだけど、そう簡単にはいかない。
できるだけ怪しまれぬよう、相手にはいつも通りに振る舞うべき。これは俺の意見でも、奏音の頼みでもある。
俺たちが浮気に気づいた。その事実を千冬らに知られてしまっては、復讐するにあたって何かと都合が悪い。だから俺たちは、普段通りの自分を演じる。そう誓い合った。
まあ、念には念をってやつだ。
何とかなる。
これでも俺たちは、付き合いが長い。
"浮気"という衝撃の事実を受けても尚、平常心を維持できるはず。
――そう意気込んで迎えた、待ち合わせ時刻。
調子良く家を飛び出したはいいものの、やはり千冬との対面に気が引けていた。
俺は足取りを重くしながら進み、やがて彼女の姿は視界に入る。
公園に、1人佇む少女。
目立つ金色の髪の毛は彼女の魅力で、目に入った途端それが千冬だと理解する。
落ち着け。
いつも通りに。
確かに高まる心拍を抑えながら、俺は彼女に向けて言い放った。
「おはよ、千冬」
「あっ、おはよ~蓮君」
俺に気づいた千冬は、駆け足で向かってくる。
落ち着け。
いつも通りに。
ことある事にそう呪文のように言い聞かせ、俺は心の安定を図る。大丈夫だ。第一声は割と違和感がなかったし、このままいけば何とかなる。
「今日は、ちょっと遅かったんだね~」
「ごめん、いつも待たせて悪いな」
「ん~ん、気にしなくていいよ。私が待ちたくて待ってるだけだし」
くしゃりと笑みを見せる千冬。思わず俺の脳内に昨日の記憶が蘇りかけるも、再び呪文を唱えて打ち消す。
けれど、完全に逃避することはやはり困難で。この笑顔も偽物なのか。今の千冬の頭には秋月しかいないのか。……などと、マイナスな疑問が飛び交ってしまう。
そんな障害に阻まれながらも、俺は普段通りに会話を紡いでいく。
「昨日のテレビ見た?特番で放送されてた、バラエティのやつ」
「あ~!見た見た!あれ面白かったよね~」
普段通りの、自然な会話。
「でさでさ、私の妹がさ~」
「はは、それは面白いな」
普段通りの、幼馴染との会話。
「なんか……駅前に新しいクレープ屋ができたんだって!」
「そうか。じゃあ、今度一緒に行くか?」
「えっ……いいの!行きたい!」
普段通りの、彼女との会話。
――怖い。
俺と同じように、千冬も平然を装って会話を繋いでいる。そう考えると、猛烈な恐怖に襲われた。
――怖い。怖い。
恋人のような、甘いやり取り。周りから見れば、ただのカップルにしか見えない。
――怖い。怖い。怖い。
けれど実際は、浮気を隠している彼女と、その彼女に復讐を目論む彼氏という、類を見ないどす黒い関係。
――怖い。怖い。怖い。怖い。
まるで、当たり前の日常が流れるように、言葉のキャッチボールは行われ続けた。
――そしてようやく。
俺の心が限界を迎える前に、無事学校へとたどり着いた。いつもならあっという間の登校時間も、今日は断然と長く感じた。
俺は校門をくぐり抜け下駄箱へと向かい、靴を履き替えるや否や、教室へと向かう。
千冬とは同じクラスにつき、教室まで一緒である。
まだ気の抜けない俺は、巧みに会話を繋ぎながらもついに教室にたどり着く。
――とその時
「嘘~~、これホント~?」
「本当なら最低じゃない~?」
「ないわ~。奏音と蓮翔君、可哀想」
教室のドアに手をかけたところで、何やら中が騒がしいことに気づく。
何を話しているかまでは聞き取れないものの、間違いなくいつもより賑やか。
気になった俺は、勢いよく教室に駆け込む。
すると、声の正体らしき人物は前方に集団となってかたまり、揃って黒板に視線を寄せていた。
「どうしたんだ……?」
その正体は、クラスメイトほぼ全員。
どういう訳か、2…30人はいるであろう人々の集団は、皆して黒板の白い何かに釘付けだった。
俺は、恐る恐ると興味本位に歩みを進め、やがてその白い何かが紙だと理解し。と同時に、そこに書かれた文字らしきものを読み取る。
――が
「なんだよ……これ」
読み取ったはいいものの、俺は思わず言葉を失う。
なんで。どうして。誰が。
押し寄せる疑問。混乱する俺の頭。突然の展開に、俺の理解は追いつかない。
見間違いか。いいや違う。確かにそこには、こう書かれている。
『秋月秀次と、天谷千冬は、浮気をしている』