19話:最悪の来客
秋月を家に上げたことは何度かあった。仮にも付き合っていた訳だし、それ自体がおかしいとは思わない。むしろ、恋人同士なら当たり前だろう。
好きな人を家に呼び、恋人らしい行為をする。ごく普通の平凡な関係。けれど、そんな人並みの過去が後にこうも影響を与えるとは、かつての奏音は考えてもいなかった。
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ドンドンドンと、重い扉が呻き声を上げる。何者かにノックされている――と言うよりは叩かれているであろうその音は、二階の部屋にいる奏音の耳まで微かに届いた。
来客ならインターホンを鳴らせばいいのに。そんな不満を脳裏に抱きながらも、奏音は階段を降りる。仕事でいない母親の代わりに客の対応をすることは慣れていたし、どうせ教育の不十分な宅配業者か何かだろう。その程度にしか思っていなかった。
が、やがてその足取りは聞き慣れた声と共にピタリと止まる。
「妻夫木!!おい、いるんだろ!?」
玄関の向こうから聞こえる、怒声。
瞬時にその声が秋月のものだと理解したのは、言うまでもなく。奏音の足取りは、流れ込む数多の感情にあわせて後退りする。
(秀次……何でここに……?)
妻夫木家を訪れたのは、最悪の来客。よりによって仕事で母が不在のタイミングに秋月が現れたのは、奏音が過去に教えていたからだろう。
二人きりで会う時間を増やしたいという、いかにも恋人らしい発想。いつ母が仕事で留守にするのか。何時に帰ってくるのか。恋人であった秋月には、全てを教えてしまっていた。
「おい……出てこい!!」
強く拳で打ちつける音は、家内の奏音にハッキリと聞こえる。扉という厚い障害を挟んでも尚この声量ということは、辺り周辺には秋月の声が響き渡っているのだろう。
そんな危うい状況の中、奏音の心中に浮かんだ感情は恐怖でなく、疑問だった。
"秋月らしくない"
自分の身を守るためなら、手段を厭わない。それが秋月秀次というクズ人間の特徴であり、強さでもある。
自分の立場を維持するためには平気で嘘をつき、相手に罪を擦り付けさえする。浮気という行為に何の罪悪感を抱いてないし、謝罪もまともにできない。
そんな腐った秋月だからこそ、この展開は予想だにしなかった。
他人の家の前で大声を撒き散らす。自分の安全が第一の秋月にしては、随分と頭の悪い行動だ。
これではいくら証拠がないと言い張ったところで、奏音を言い負かせても付近の通行者の目撃情報でお終いだ。
ミスか。はたまた全てを失って頭がおかしくなってしまったのか。事実として、鍵を開けない限り安全な奏音には、正直どうでもいい話である。
けれど一応、念には念を入れて。奏音は携帯を取りだしドアの方へレンズを向け、証拠という形で一部始終を撮影した。もちろん、音声付きで。
ドンドンと強く扉を叩く音と、奏音が無視を続けるにつれて次第に怒りの幅が大きくなっていく秋月の声。何もかも全てが、鮮明に録音された。
「おい、ふざけんな。開けろ!!」
「絶対に許さねぇ。早く出てこい!」
「いい加減にしねぇと、殺すぞ?」
放たれ続ける大量の暴言。
心を抉るような鋭い言葉も、今の奏音にとっては期待感さえ芽生えてしまう。脅迫じみたそれらのワードが彼の口から飛び出すほど、彼の罪は重くなっていく。もっと、もっと吐き出してくれ……と。
「おっ、おい……なんだよ。何すんだよ!」
やがて、夢中になっていた録音会は、遠くから聞こえてきた音と共に終わりを告げる。響き渡るパトカーのサイレン音。その音が家の前で止まったのは言うまでもなく、警察に取り押さえられたのか、扉を叩く秋月の音も鳴り止んだ。
無論、通報したのは彼の奇行を見た通行者。
じっくりと録音をして証拠を掴みたかった奏音からすれば、少し早めの警察の登場となってしまったが、いずれにせよ結果は同じだろう。
連れられる秋月と共に、重要参考人として奏音も警察と一緒に家を後にした。
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「――そういう訳で、秀次は警察に連れていかれたわ」
「う……嘘でしょ。秀次君が警察に……なんて、そんなの……ありえないよ」
奏音の語った一連の事実に千冬は否定を示そうとするも、その場に崩れ落ちる彼女の体が全てを物語っていた。
信じたくない。けれど信じざるを得ない。
これまで積み上げてきた秋月の悪業を振り返れば、彼が警察のお世話になるのは別におかしな事ではない。今まではたまたま上手くいっていただけで、彼のやっていた行為は常にギリギリだったのだから。
「そう?信じられないのなら、これを見せてあげるわ」
「……」
奏音は携帯を取りだし、画面を千冬の顔の前へと突き出した。何を見せるのか、それは奏音が撮影をした一部始終の動画。秋月の悪行を決定づける、動かぬ音声である。
「おい、妻夫木!出てこい!」
怒りに満ち満ちた怒声の迫力は顕在で、臨場感の衰えぬまま全てがハッキリと録音されていた。
「嘘よ……そんな、そんなわけ…」
動画が進むにつれ、千冬の顔は青ざめていく。
「秀次君がこんなことするはずない…」
言いきるその声はやはり震えていて、願望を述べているのだとすぐに分かった。
奏音はヒビの入った千冬の心にトドメをさすように、腰を低く目線を座り込む千冬の高さに合わせて、嘲笑うかのように言い放った。
「これであんたは、本当に独りぼっちね」
「――っ!」
押し寄せる現実に耐えられなくなったのか、千冬は勢いよく立ち上がりその場を駆け出した。
ただ、がむしゃらに。振り返ることなく。
その瞳には涙が浮かんでいるようで、今の彼女の表情を言い表すのなら"絶望"の二文字が相応しいだろう。
やがて千冬の姿は、奏音の視界から消えた。




