16話:クソ女
席替えで隣同士になったのを機に、深く関わるようになった秋月と千冬。最初は他愛ないクラスメイトとしての会話も、長く続ければ親密になる。
「俺たち……付き合わね?」
やがてそう秋月が提案するまで、差程時間はかからず。放課後の屋上で、千冬に向けて放たれたそれは告白だった。
千冬は困る。
どうすればいいのか……と。
彼女には先日、達川蓮翔という名の彼氏ができたばかりだった。高校入学を機に、幼馴染の彼とは自然と付き合う流れになっていて、千冬は快く受け入れた。
だから、今この状況で彼女が取るべき行動は一つ。秋月をフる。すでに彼氏のいる千冬にとって、この告白を受け入れたらそれは浮気。絶対に、千冬は首を横に振る必要があった。
が、そう簡単にはいかなかった。
どうすればいいのか……と、彼女が頭を悩ませる理由。それは、彼女の心の揺れ動き。断らなければと分かっているのに、告白をされて喜んでいる自分との葛藤だった。
この時、千冬は自覚した。
秋月からの告白を断りたくない。けれど、蓮翔との関係も終わらせたくない。
幼馴染の蓮翔に好意を抱いているように、隣の席の秋月にも好意が芽生え始めていた……と。
最初の印象は、強面でどこか近寄り難い人物。けれど話してみれば、その怖さの中にも優しさが混じっているような気がして。気づいたら千冬と秋月は打ち解けていた。
互いの本性を理解することなく。ただ上っ面の中身に惹かれあい、気づけば二人を好意という鎖が繋いでいた。
「でも……私、付き合ってる人いるんだ」
「別に平気だろ。俺だって彼女いるし。バレなきゃいいんだよ」
「バレなきゃ……いい。……そっか、そうだよね。バレなきゃいいんだよね」
――バレなきゃいい。隠し通せれば、それでいい。
頭の中で都合のいい解釈をし、千冬は浮気という許すまじき行為を受け入れた。
幼馴染の蓮翔なら、最悪バレても許してくれるだろう。そんな甘えた気持ちを、心の片隅に置きながら。
――だから驚いた。
ある日の、教室の光景に。天谷千冬と秋月秀次は付き合っている、そう書かれた紙を見て。
バレた、バレた、バレた。まずい、まずい、まずい。一瞬にして、千冬の頭は混乱に陥った。
一体誰が。考えたところで、答えはでない。
思考が巡らず、詰め寄るクラスメイトに上手く弁明できない。
もう無理だ。そう判断した千冬は何も言わず立ち去ろうとするも、タイミングよく秋月が登場する。
幸い、この時は秋月の巧みな立ち回りにより、千冬は蓮翔を、秋月は奏音を、それぞれすでにフッていたと嘘をつき、何とか事なきを得たもののその日から彼らの復讐は始まった。
一体いつから浮気に気づかれていたのか。考える間もなく展開は進んでいく。
両方との関係を継続したい、そんな欲にまみれた千冬の願いも自らの立場を守るために捨てることになる。
千冬は蓮翔を裏切り、今付き合っているのは秋月だけ。一時は危うく逃げ出しそうになったものの秋月の真似をし、そうデタラメをクラスメイトに流し千冬は自らの保身を図った。
「なによ……これ」
が、貼り紙を誤魔化した翌日。教室のこれまた黒板に、屋上で千冬と秋月が身を寄せ合う写真が貼られていた。言うまでもなく、蓮翔か奏音の仕業。
やばい、どうしよう。そんな焦りが脳裏を過ぎったのは一瞬。冷静に思考を回してみれば、千冬はこの写真が不自然でないことに気づく。
嘘をでっち上げたことにより、クラスメイトからすれば千冬と秋月は恋人。屋上でイチャついたところで、何もおかしくないのでは……と。
秋月も彼女と同じことを思ったようで、奏音に強気に反論していた。この写真は変じゃない、恋人なのだから当然だ……と。
一時はその弁明で納得しかけたクラスメイトも、異議を述べる奏音の言葉に揺れ動く。
「立ち入り禁止の屋上で、生徒同士がみだらな行為をする。それって恋人以前に、人間としてどうなのかしら?」
ご尤もだと思った。
いくら恋人とて、立ち入り禁止の場所となると擁護する人間も減る。奏音のこの発言はかなり的を射ており、一瞬にしてクラスメイトをざわつかせた。
恋人だからって許されるのか……と。
それからも秋月と奏音による口論は続き、やがて奏音は忠告のような予告のような、意味深な宣言を残してその場を立ち去った。
「昼休み、全てを終わらせてあげるわ」
***
――やばい、やばい、やばい。
奏音の発言により、千冬の頭を不安が埋めつくした。意味の分からぬ発言。終わらせるとは、具体的にどういうことか。
何もわからないからこそ、千冬の不安は増幅した。奏音の堂々とした顔つき、とても嘘をついているとは思えない。
何か、証拠を掴んでいる。千冬らを終わらせる手段を手にしている。そんな自信に満ち満ちた表情。
千冬は焦った。そして、すぐに秋月を呼び出した。
危ない。何とかしなければ。そう思った千冬の選択は、謝罪だった。もし奏音らが証拠を所持しているのなら、謝って提出を阻止するしかない。最終手段として奏音らに頭を下げよう。そう決断に至ったのだ。
けれど、案の定と言っていいのか、秋月は反対した。プライドという障害が無駄に邪魔をして、彼の判断を鈍らせた。が、結果苦戦しながらも何とか説得することはできて、千冬たちは謝罪することになった。
許される訳がないだろう。常人ならそう思うはずの行動も、千冬の脳内に浮かぶ"幼馴染の蓮翔なら許してくれるだろう"が甘えを生み。謎の自信が心中に湧き上がっていた。
――が、いくら自信を高めたところで直接結果に響く訳ではなく。
もちろん、言われた。許さない……と。
千冬には分からなかった。何で許してくれないのか。ちゃんと謝っているのに、蓮翔はなぜ許しをくれないのか。幼馴染なのに……と。
幼馴染だからといって、何をしてもいい訳ではない。そんな幼稚園児でも分かりそうな常識が、彼女の頭にはなかった。
――そして結局。
何の進展もなく、昼休みを迎えた。
すべて奏音のはったりで、本当は証拠なんて一切持ってない。そう理想の展開を心で何度も願うも、結果は残念。千冬と秋月の浮気の証拠は広められ、しかも放送を用いて学校中に、前に見た貼り紙と共に放出された。
あっさりと、千冬と秋月の居場所はなくなった。
教師からは、立ち入り禁止の屋上で良からぬ行為をしたとして停学を言い渡され。クラスメイトには"嘘つき"と"浮気女"のレッテルを貼られ。
奏音の言う通り。一瞬にして、全てが終わった。
学校には行けない。行ったところで、クラスメイトに痛い視線を浴びせられる。というか、停学を受けているためそれすら許されない。
全てを失った千冬は、大人しく謹慎生活を過ごしていた。そんな時、千冬は母親に言われた。
蓮翔に謝りに行きなさい……と。
停学諸々の内容が教師の口から母にも渡ったようで、浮気の事実も知られていた。どこまで詳細に告げられたのか、それは分からない。
千冬は、普段は優しい母の見たことのない鋭い視線に怯え、半ば強制的に向かうことにした。けれどその心の片隅には、やはり"何かの間違いで許してくれないか"という訳の分からぬ期待を抱いていて。もしかしたら、彼の許しがクラスメイトの信頼回復にも繋がるのではないか。そんな都合のいい妄想を持ちながら、千冬は蓮翔の家に向かった。
――言うまでもない。
結局、許しは貰えなかった。それどころか、謝罪を述べることすらできなかった。蓮翔と対面した途端、千冬は何をどう切り出せばいいか分からず言葉を失った。何かを言おうとしても、声が蒸発して消える。そんな事を繰り返し、ついに蓮翔の方から鋭い一撃が放たれた。
「もう、俺に関わるな。クソ女」




