1話:決意の時
「秀次君……駄目だよ……こんな所で」
――これは現実か
「大丈夫だろ。誰も来やしねぇよ」
――これは本当か
「で、でもっ……見つかったら私達……」
――信じられない光景
「だから、誰も来ねぇって」
――そこに、俺の彼女はいた。
「ほら、言ったでしょ。あの子、達川の彼女よね?」
「……」
放課後、クラスメイトの妻夫木奏音に言われて屋上に来てみれば、そこに俺の彼女はいた。
艶やかな金髪に色白の肌と大きな瞳は彼女の物で、俺は言葉を失い立ち尽くす。
「あの子。大人しそうな見た目して中々やるわね」
「……」
なぜ奏音は淡々と話し続けられるのか。俺には全く理解できない。だって……
もう1人の男――秋月秀次は、奏音の彼氏なのだから。
彼氏が他の女を抱きしめ、キスをし、身を寄せあっているのに、奏音は扉の隙間から澄まし顔で様子を見るだけ。
止めに入る訳でも、声を荒らげる訳でもない。
ただ静かに、彼らの様子を見守っている。
対する俺――達川蓮翔は、目の前の信じ難い光景に呆然とし、今にも倒れそうだ。
なんで。どうして。……と、疑問ばかりが脳内をぐるぐると徘徊し、俺の思考を鈍らせる。
天谷千冬――秋月とイチャつく女は、俺の彼女で幼馴染でもある。昔から仲が良かった俺たちは、高校入学を機に付き合い始めた。
「私と……付き合ってください」
今でも覚えてる。あの日。放課後の教室で告白をされたあの日のことは。
恥じらいながら千冬に気持ちを伝えられ、迷わず俺は受け入れた。
だというのに。今目の前に広がるのは、彼女が他の男と愛し合う姿。
少し躊躇いつつも、俺には見せたことのない幸せな顔つきで、みだらな行為は行われる。
今すぐ止めなければ。
そう思っても体は動かず。仮にも俺は千冬の彼氏な訳で、目前の状況を見逃す訳にはいかないのに、体が言うことを聞かない。
恐怖、驚き、不安。様々な感情が俺の心にまとわりつき、歩む足を竦ませていた。
「ねぇ。どう思う?」
俺が何も出来ず黙り込んでいると、奏音に真顔でそう尋ねられる。
「どう思う……って?」
場に不適切な冷静沈着といった様子に、俺の混乱は増すばかり。思わず質問を質問で返してしまう。
「この状況についてよ。あんたはあの二人がどういう関係だと思う?」
「どういう関係って……あれはどう見ても……」
「はぁ、やっぱりそうよね」
そう言って、彼女は再び扉の隙間から様子をうかがう。
なぜそんなに落ち着き払っているのか。不可解な奏音の態度に俺の疑心は高まるものの、今はそれどころでない。
俺たちが見ているのは浮気現場だ。俺の彼女――天谷千冬と、奏音の彼氏――秋月秀次が浮気をしている現場だ。
あの様子――千冬と秋月が身を寄せ合う姿は、間違いなく恋人のそれ。ハグ程度ならまだしも、キスは一線を超えている。
「千冬……なんでだよ」
状況を整理した俺を襲った感情、これは怒り。俺は、千冬に裏切られた。最近の彼女に変わった様子はなかったけれど、間違いなくこれは浮気。
俺は、千冬に浮気された。
その事実だけが俺の中に入り込み、砕けた。混乱に陥った俺の脳も、次第に冷静さを取り戻しこの状況を飲み込んだ。
が、受け入れることはできない。いくら状況を理解しても、受け止められない。信じたくない。
だって、千冬が浮気をするなんて有り得ないから。
誰にだって優しく、お淑やかで清楚な雰囲気が魅力の彼女が、他人を裏切るようなマネをするはずがない。
俺たちの関係は、本物だ。
朝だって、待ち合わせをして一緒に登校した。今日だけじゃない。昨日も、一昨日も、その前もずっと。俺たちは学校外でも、ずっと一緒にいた。
だから、千冬が浮気なんて有り得ない、あってはならない。千冬に限って、絶対に。
――が、いくらそう願ったところで、扉の隙間から見える僅かな景色が全てを物語っていた。
「秀次君……好き……大好き……!」
見たことのない彼女の姿。見たことのない幼馴染の姿。見るに堪えない現実が、そこにはあった。
人気の少ない学校の屋上。ここは普段から生徒の立ち入りが禁止されているものの、出入りは至って簡単。入るなと注意を促しているにも関わらず、施錠はされていないし、屋上に繋がる階段を塞ぐ3角コーンも楽に跨げる。それ故、立ち入ろうと思えば簡単だった。
が、そうは言いつつも禁止されている訳で、実際に人が立ち入ることは殆どない。無論、俺も奏音に連れられて今日初めて来た。
そんな場所にわざわざ身を潜めてまで、千冬たちは浮気をしている。俺たちがいることなんて知らずに。どんどん目の前の行為は激しくなっていく。
「やめろよ……やめてくれよ」
浮気現場を目撃し、千冬に裏切られた俺に残ったのは膨大な喪失感。
思わず、力が抜けるように地面に崩れ落ちる。
「なんで……なんでだよ」
何がいけなかったのか。何が間違っていたのか。考えたところで、答えは出ない。
俺は千冬に浮気をされた。その事実だけが明確で、どんなに否定しようとも揺るがない。
込み上げる感情に、俺の脳は限界を迎えようとしていた。
――とその時
「ねぇ。どう思う?」
先程と同じ質問を、再び奏音に投げかけられる。
「どう思う……って?」
意図の分からないその質問は、混乱に陥った俺の脳にさらに追い打ちをかける。
「彼女の浮気を知って、どう思った?」
「えっ……」
「実際にその現場を見て、どう思った?」
なぜそんな事を聞くのか。
疑問に思っても、尋ねはしない。奏音の目つきが真剣だったから。何か意味があるんだろう、そんな気がしたから。
俺は、積もるに積もった心情を吐き出した。
「悲しいし……最悪だよ」
「……」
「今の今まで、全く気づいてなかったんだ。千冬は俺の事を、1番に見てくれてると思ってたんだ。馬鹿だよな、俺も」
「……」
喋りだしたら、止まらなかった。
渋滞していた数多の感情が、言葉と化して流れ出ていく。
「今朝だって、千冬は普通だった。いつも通りの千冬だった。たわいない会話をして、笑いあって、本当に……普通だったんだよ」
「……」
違和感はなかったのか、そう問われたら迷わず「なかった」と答えるだろう。それくらい、千冬の態度はいつも通りで変わりなかった。
「だから尚更……悲しいんだ。いつも通りの千冬が、いつも通りの千冬の笑顔が、浮気を隠すために作られた"偽物"だったなら。俺は……悲しいし、悔しいよ」
「……」
笑う千冬の姿。微笑みかける千冬の姿。それら全てが、作られた虚像だったのなら。彼女の恐ろしさは計り知れないし、込み上げる俺の感情もまた計り知れない。
「なんで……だろうな。なんで……なんだろうな。どうして……こうなっちまったのかな」
「……」
千冬の性格からは想像できない、浮気という行為。それゆえ、"なぜこうなったのか"という問題は、単純なようで1番の難問だった。
優しい彼女に、浮気をさせてしまう程の原因。真面目な彼女に、浮気をさせてしまう程の原因。もしかして……
「俺が……悪いのか?」
千冬が浮気をしたくなったのも、してしまったのも、全て……俺のせい。
「俺が、彼氏として未熟だったから……千冬は他の男に……」
1人で千冬を満足させられる人間だったなら。俺さえいればいい、そう思われるような人間だったなら。千冬が浮気をすることなんて、なかったんじゃないのか。
「そうだ……そうだよ、全部……俺が悪いんだよ。俺がもっとちゃんとしていれば。俺がもっと千冬の事を思っていれば。こんなことになんか、ならなかったかもしれないのに」
千冬が浮気をしたのは、俺よりも秋月の方が良いと判断したからだ。彼の方が一緒にいて楽しい、彼の方が自分を満たしてくれる。そう、思ったからだ。
"全て俺のせい"
そう仮定した途端、自分に対する侮辱が止まらなかった。次々と俺を貶す言葉が浮かび、どれも的を射ていると錯覚してしまう。
情報に溢れた俺の頭は既に機能が鈍り、正常な判断ができなくなっていた。
何が正しくて、何が間違っているのか。
そんな簡単な事でさえ、今の俺には分からなかった。
――とその時
「自分を責めるんじゃないわよ」
ずっと無言だった奏音が、口を開いた。小さく、けれど力強い声で。奏音は、俺の心を包むように言葉を並べていく。
「浮気をされたのは、アンタのせい? 全部、アンタが悪い? そんな訳ないじゃない……!」
「えっ……」
俺の考えを、全て否定するような発言。屋上に聞こえてしまう、そんな事がどうでもよくなるくらい、俺の心に響いた。
「どんな理由があるにせよ、浮気が正当化されることなんてあってはならない」
「……」
「どんなにあんたが愚劣で、最低な男だったとしても、あんたのせいにはならない。悪いのはあいつら、その事実だけは絶対に揺るがないのよ……!」
「……」
力の篭った彼女の言葉には、凄まじい説得力があった。俺は悪くない、悪いのは千冬たち。先程の俺と真逆の主張にも関わらず、信じてしまいそうになる。
「悲しい、悔しい、そうでしょうね。私だって秀次の浮気を知った時、死にたくなるくらい落ち込んだわ。どうして、なんで……って」
「……」
「でもね、いくら心を沈めたところで、何も変わらないのよ。何も意味がないのよ。その事実が消えることなんて、有り得ないのよ」
「……」
最もすぎる奏音の言葉。彼女はいつから浮気を知っていたのだろうか。そもそも、千冬たちはいつから浮気をしていたのだろうか。次々と疑問が浮かぶ中、彼女は俺に言い放った。
「一つ、聞かせてもらうわ」
「……」
「あんたはあいつらに、何をしたい?」
「えっ……」
予想の外をついた、意外な質問。千冬たちに何をしたいか。なぜそんなことを聞くのか、俺には分からなかった。
「私たちに隠れて浮気をしているあいつらを見て、あんたはどう思った? 悲しいんでしょ、悔しいんでしょ」
「……」
「ずっと自分だけを見てくれていたはずの彼女が、実はとっくに他の男に乗り換えてたなんて、信じられないんでしょ」
「……」
「それを全部自分のせいだなんて、冗談じゃないわよ! そんなの、ただ逃げてるだけじゃない……!」
「……」
逃げているだけ。その言葉はどこか的確な気がして、俺の中にすんなりと入り込んだ。
俺は、逃げていたのだろうか。自分が悪かったと決めつけ、考えるのをやめ、現実から目を逸らそうとしていたのだろうか。
「さっきも言った通り、あんたが自分を責める必要なんてない。どんな理由があっても、あんたが悪いなんてことにはならない。だから……」
奏音は一呼吸ついて、
「もう一度聞くわ。あんたはあいつらに、何をしたい?」
「お……俺は…」
千冬に裏切られた俺がしたいこと。千冬に裏切られた俺にできること。そんなの……
「悔しいんでしょ、悲しいんでしょ。だったら、やることは一つじゃない……!」
「お……俺は……」
悔しさ、悲しさ。そして、入り交じる怒り。無論、これらの感情は千冬に裏切られたことで生まれたもの。
この行き場を失った気持ちを、俺はどうするべきなのか。諦めて受け入れるか、仕方がなかったと見逃すのか。いいや、違う。
「俺は、千冬に……」
今の俺がやるべきこと。それは、自身を悪者にすることなんかじゃない。
浮気をされたのに、俺が悪かった? そんな訳が無い、奏音の言う通りだ。如何なる理由があろうとも、浮気は罪。悪いのは千冬らだ。
だから――
「俺は、千冬に……あいつらに……!」
――なんと思われようとも構わない。どんな手を使おうが躊躇わない。もう、逃げない。現実を受け入れて、俺は絶対に……あいつらに……!
「復讐をしたい」
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