前の日は
「……ソフィア、もう帰っても大丈夫だよ」
「……いえ、まだ仕事が残っていますので」
文化祭前日、ディランとソフィアは生徒会室に残っていた。
年に一度の文化祭の最終確認作業に追われていたのである。
一年生も手伝いに来てくれていたが、もう外がすっかり暗くなってしまったために、少し前に帰してしまった。
「……殿下こそ、お帰りにならないのですか」
「今日は無理かな」
2人の顔には疲労が浮かんでいた。
貴族の通う王立学園の文化祭はそれは規模の大きいもので、その準備の中心となるのが生徒会だった。
そんな繁忙期にもヴァルター、アーガトンの両名は帰ってくる気配を見せず、2人で終えていたのだ。
「私、今日は帰らないで作業します。終わりません」
「……ご両親が心配する」
「父は今外国へ出張中ですし、母には先程許可を頂きましたので大丈夫です」
仕事ができる女、ソフィアの行動は早かった。
帰るのは無理だと悟った瞬間に屋敷に遣いをやり、母に学園に泊まる旨を伝えておいたのだ。
ふわふわとしたソフィアの母であるエーレンフェルス侯爵夫人は「分かったわ〜」と即オーケーであった。
これがもしも侯爵の方だったら話は違っただろうが、その侯爵は現在外務大臣らしく出張中である。
「仕事が早いね」
「ありがとうございます」
2人は会話をしながらも手を動かし続けていた。
ずっと羽ペンを握っている手には跡がつき、もう握るのも嫌になる程痛かったがやめるわけにはいかなかった。
「殿下こそお休みになられるべきでは……? 明日もお仕事がたくさんですし」
裏方がメインのソフィアと違って、ディランには生徒会長として、王子としての表向きの仕事がいくつもある。
そんなディランがやつれていては皆に心配されてしまうとソフィアは思ったのだが、ソフィアを置いて1人寝るなどディランがするはずがなかった。
「大丈夫だ。それより……こっちを片付けないと」
文化祭は、始まってしまいさえすれば後は楽だ。
今日だけだと体に鞭を打って2人は手を動かした。
◇◇◇
手が止まっているソフィアに気が付いてディランが顔を上げると、そこには半分眠りかけているソフィアがいた。
コクコクと船を漕いでいる様子が可愛らしくてつい微笑んでしまう。
時計を確認すると、もう日付が変わってから大分経っていた。
徹夜も日常茶飯事の自分とは違い、慣れないぶっ通しの作業はきつかっただろうと、ディランは申し訳ない気持ちになった。
負けてたまるかと奮闘していたソフィアだったが、ついに睡魔に敗北し手に持っていたペンを離してしまった。
物音一つしない生徒会室にソフィアの静かな呼吸の音だけがする。
(……寝るならちゃんとしたところで寝たほうが良い)
この生徒会室、本当に設備だけは充実しているのだ。
ディランはソフィアの膝裏に手を回し、そっと持ち上げる。
眠りについたソフィアの体温は高く、それから少しフローラルな香りがした。
ディランは軽々とソフィアを抱えて歩き、奥にある仮眠室に入る。
そこにあるベッドの一つにソフィアを寝かせ、そっと布団を被せた。
(……可愛いな)
ディランはソフィアの顔にかかった髪をそっとどける。
気持ちよさそうに寝るソフィアの寝顔は穏やかで、下心を抱くのが憚られるような神聖な雰囲気を纏っていた。
作業に戻ろうとディランは立ち上がりすやすやと眠っているソフィアに微笑む。
「……おやすみ」
ディランはそっと電気を消した。




