第九十六話 選んだ答えは、答えにならない(中編)
T区に来れば、ジェイデンはバイクを乗り捨て、輝夜を俵抱きにして赤子のハイハイして踏もうとする腕から逃げ回る。まだ目的地にたどり着いていない様子だった、言動から判断すれば。
赤子の無邪気な笑い声は不愉快に虚空に響き、ばしんばしんと潰された人々が体内に取り込まれていく。
ジェイデンはぜいぜいと息を荒げながら走って、体力の限界がきたのか輝夜を下ろす。
あと少しで、鬼子母神の神堂の看板が見え、あれに行きたいのかと気づいた。ジェイデンは呼気を整えるも、その間にも腕は迫り来る。
「捕まえた、ジェイ♡」
「走れ、輝夜。頼んだぞ、オレのヒーロー様、女神さま!」
「ジェイデン……ッ」
「邪魔だ行け!!!!」
ジェイデンは輝夜を突き飛ばすと、自分が幼児の体内に取り込まれ。愛しの人を取り込めた乙姫はキャーキャーと喜んでいて五月蠅い。
市松が降りて来て、輝夜の手を引く。後ろを振り返り気味につんのめって走る輝夜へ、市松は叱咤する。
「ジェイデンが」
「今はあと! 僕たちもね、あれから調べたんです。いやいやながら、吉野と、ジェイデンと連絡を取り合って。
聞いてよ僕らの喧嘩ばかりのメッセージグループ窓の苦労!? 毎日嫌みの応酬でしたよ。それでもね、頑張って見つけたの」
「……解決策があるのか」
「ええ、しっかりと練ってきました、だから貴方は安心して……」
「駄目だ、私が解決する、私がやらなきゃだめだ」
「なんで。なんでそこでその答えなんですか!?」
「君たちに頼っちゃ駄目なんだ! 君は、君は妖怪の世界に行かなきゃ! 吉野だって神域に戻らないと! 一人で大丈夫にならないと……」
「……先生……」
「ほんとは……行ったら、やだよ。行っちゃ、やだ、いちまつ。置いていかないで、ほしい」
「……あなた……」
「ほんとは乙姫の気持ち、分かるんだ。でも、でも私は大人だから。堪える方が立派だから、言わないだけだ。否定したいのも、ああなるのがとてもわかるからだ……」
「輝夜」
「間違いない、乙姫の姿は間違えた私だよ。いやだよ、いなく、ならないで、文字」
輝夜はぐし、と鼻を鳴らし、俯いた。
「私は……情けなくも君に縋っているんだ、寂しさという平凡さで。君の望む赤い靴が、脱げてしまった……嫌うかい?」
市松が輝夜の宣言で放心した瞬間に輝夜が転ぶ。
市松は慌てて、輝夜を起き上がらせ、遠くへぶん投げる。
その間にも赤子の腕は市松に迫っている。
輝夜は痛みの中目を見開き、市松を見届ける。
手を伸ばし、なんとか立ち上がれば、市松は狐面を外し。輝夜によく似た笑みを見せた。
輝夜は涙を零し、市松へ手を伸ばすも市松は首を振る。
「普通に、なれたのね、善良な人間に。わがままでもなんでも、それがなんだかひどく嬉しいの。あれだけ狂気に満ちないと嫌だったのに。人間らしい貴方を可愛い可愛いってできない状況だけが残念。
お逃げ、僕はもう、だめだ」
「文字! 嫌だ!」
「泣くな、あと少しで解決する。僕らが見つけた解決策、貴方なら解ける、ここまで運んだんだから。名探偵さん、あとは頑張って」
市松が可憐な笑みを見せれば、腕の中に取り込まれ、幼児の腕に押しつぶされた。
輝夜はひっと息を飲み込むと、周りを見回し、あと少しで市松がたどり着きたかった場所なのだと判明する。
(鬼子母神の神堂……? どうして、どうして此処に)
「輝夜さん、あとは貴方だけね。そしたら邪魔者は全部全部いなくなるし、幸せなみんなとの生活が待ってるの」
「……そんなの、幸せじゃない」
嘘だ。幸せだと分かる。でも自分は大人だから。輝夜は唇をかみしめた。
「どうして? 市松さんもジェイも、桃もこの中にいて。私が操ればみんな好きにしてくれる」
「……そんなのの何が楽しいんだ、分からないよ。わから、ないよ……」
そう分からない。会話して引き延ばす、あと少しで気づきそうだから、自分たちの助かる道が。
何故鬼子母神の神堂に連れてきたのか、あの三人の結論がどうしてこれなのかも分からない。
ただ明確に分かるのは、その狙いを明確に当てて祈れば、自分たちは助かる意味。
ただ助けてだの、どうすればいいかをなしに祈っては駄目だ。
具体的にどうしてほしいかを、明確に伝わったときに初めて助かるのだろうと分かる。
一つ、脳裏に過ったろうそくから思いついたものがある。
「今まで君たちは、ずっとずっと子供の姿をしていた」
「そうね、うちのひとは子供の形ばかりね」
「どうしてか考えた? 私は一つ思いついたんだよ」
輝夜は吸収しきれずに場に残された狐面を睨み付け、改めて巨大な幼児を見つめる。
たくさんの人々を吸収しすぎて肌がブツブツでこぼこだ。それらは数沢山の子供がくっついて形を成している。
「きっと、そうか。君たちがずっと滅ばない理由。君たちは、水子なんだね」
「……だからなに」
「お母さんが欲しくてずっと寂しかったのだね、でも、もう大丈夫だよ。
此処は、たくさんの子供の味方だ。誰よりも子供の味方だから。だから、鬼子母神様……この無垢なる水子を浄化して、貴方の子にしてあげてください」
輝夜が明確に、市松たちのしたかった祈りを当てれば、閃光が走る。
閃光の中には、翡翠の腕輪をした吉野が和装で現れ、金色の眼差しが印象的だった。
吉野の腕輪の中から鬼子母神が現れ、誰か様の群れを一つずつ掴んでいく。幼児の形が四散するようにばらけた。
全員が浄化するまでに時間がかかるな、と吉野は微苦笑していれば、桃が乙姫に近づいている。
乙姫が泣きわめいている。どうしてどうして、と。
桃は撫でているが、桃の指先が乙姫の浄化の力から消えている。
乙姫は気づいていない様子だった。あと少しもすれば、乙姫に触れるだけ桃は成仏して消えていくだけだろう。
それこそ乙姫が望んでいないのに、乙姫のせいで早まったとは皮肉なものだと吉野は少しだけ哀れんだ。
それまで吸い込まれていた幾百人もの人々は元のいた場所へ、吉野は息を吹きかけるだけで届けた。
市松も、ジェイデンも、意識を飛ばしている。
吉野は輝夜に歩んで、膝を折って傅いた。
「カグヤ、もう大丈夫だ」
「……吉野。桃が……」
「そっとしてやれ。二人で積もる話もあるだろう」
「……そう、だね。でも、でもさ、君まで何で体が透けてるの?」
「……ああ、ずっとな。決めていたんだ。誰か様が解決したら、俺は転生すると。経典が俺の意思をくみ取ったんだろう」
「……いなくなるって意味?」
嗚呼、泣きそうな顔をするんだな貴方も、と吉野は小さく呟くとはにかんで、輝夜の頬を手の甲で撫でた。
「大丈夫、すぐ会えるよ。ずっとずっと、貴方のそばにいる。貴方をずっと愛している」
「……よし、の。みんな、みんな、いなくなる。桃も、市松も、お前も。ジェイデンだってもうめったに会えない」
「……輝夜、一期一会だ、人生は。永遠に皆ずっと一緒にいる、なんてことないんだよ。だからずっと一緒にいたい人を選ぶんだ」
「そんなのやだ。みんながいい……こんなに寂しがりにしたのは君たちだ。君たちが私を弱くしたんだ。なのに、いなくなる。皆勝手だ、勝手にかまちょして勝手に命狙って勝手に好きだと言って、いなくなる。責任とってくれ!」
輝夜は涙腺が一気に弱まり、目から大粒の涙を子供のように零した。
吉野はおろおろとしながら、頬を掻く。
「初めて聞くなあ、輝夜の弱音。でもさ、大丈夫。俺はずっと貴方のそばにいて、貴方とおなじ時を過ごせるようになる。
そのための転生だ、見つからなくても側にいる」
「……吉野。私は君に、何かできただろうか。もらってばかりだった、まもってもらってばかりだった」
輝夜の弱々しい言葉に吉野は、目を見張り、大笑いする。
大笑いしたら、吉野は輝夜を抱きしめて、そのまま火花が散るような動きで閃光ごと消えていった。
声だけが残る。
その場には声と泣き騒ぐ乙姫、意識がなく横たわる市松とジェイデンだけが残っている。
吉野と桃は消えていく。桃が輝夜と目が合えば、べーっとしてから悪戯めいて笑っていた。
『神様に人間が与えてやろうなんて、早いんだよ』
なるほどもっともだ、と輝夜は納得するのが悔しくなるのだった。




