第九十五話 選んだ答えは、答えにならない(前編)
乙姫が家に帰らなくなったと連絡が届いた。桃も見かけなくなってから日にちも経っている。
その頃に翁に会いに行けば、翁の体にたくさんの誰か様を背負っていて。
黒い幼児が家中に溢れていた。
「父さん!」
「ああ、悪いね。少し体がだるくてね、寒くてね」
「無理をしないで! いつから……こんな……」
「一週間前から、乙姫を探しているんだが帰ってこなくて。思春期のものかなと思っていたが。
この子たちを見ていると違うようだな」
「……ごめん、多分、私由来だ」
「違うよ輝夜。これは私たちの村のせいだ。お前が気にしなくて良い物だ。
それでな、看病の方はしなくていい」
「そうもいかないよ!」
「看病を優先するより、誰か様をなんとかして欲しいんだ。そのほうが、きっと私もよくなる」
「……うん、わかった。私に任せてくれ、なんとかしてみせる。だから父さんは、ゆっくり鼻歌でも歌ってスキップして待っていてくれ」
「ふふ、今でもできそうだな。お前を立ち向かわせたくはなかったんだが……すまない」
「いいんだ、乙姫は私が連れてきたし。私が面倒みないと、お姉ちゃんだもの」
「お姉ちゃんだなんて図々しいな、年齢差あるだろう」
「ふふ、元気がでてきたね、父さん」
輝夜は翁の看病を一日だけでも見てやると、夜間になるまでそばにいてやり。
夜間にやっと翁の調子が少しだけよくなったので、帰路につく。
輝夜は帰り道にできるだけ人通りの多い道路を選んで帰る。
妖怪の心配はもうしなくてはいいが、あの猿田彦との会話では悪い神もいるだろうし、幽霊だって悪霊がいるのだろう。
自分にできる行為を探さなければ。
誰か様について、以前調べたときに思いついた覚えがある。
複数の存在からできる個になっているのではないかという、推測はきっと当たっている。
だからこそ、市松たちの攻撃を受けても滅ばない。
猿田彦と会話して、更に感じたものがあった。
「……もしかして、現世でも信仰を問わずに、生まれ続ける原因があるのか?」
信仰を力にしているのはきっとあるだろうけれど。
そうなると確かにいたちごっこだ。
だとすれば何をどうすれば解決できるのか、今のところは思いつかない。
そもそも誰か様の正体とは?
「……いかん、腹が減る」
輝夜は帰りがけに、安さと早さで有名な牛丼屋へと立ち寄った。
何も思案する力がなかったので、店内の期間限定メニューであるチゲチーズ豚丼定食を頼めば、ぼんやりとする。
今回は市松にも吉野にも頼ってはいけない気がする。
市松は引っ越しするのだし、果てには吉野だってもう偉い神様になろうとしているのだ。邪魔はできない。
一人で解決できるすべを探さねばと意気込んで、豚丼定食をもっもっと食べていると、寒気がした。
「いらっしゃー……」
店員がぎょっとした声で挨拶をやめた。
息呑んで見惚れている。それもそうだ、清純だった者が帯びた堕落さに惹かれない者はいない。
目に浮かんだ闇たる魅力にいくら幼くても惹かれないものはいないだろう。
こいつは、もしかしたらファムファタルの才能を秘めていたのかもしれないなと思案しながら、輝夜は定食を急いで掻きこんだ。
「ああ、いいのに。輝夜さん、もっとゆっくり食べて」
魔性の笑みを浮かべた乙姫は、以前とは違った色濃い笑みで、誰か様を大量に背負いまとわせ、輝夜の隣に座った。
「店に来たからには何か食べなよ、私が奢るよ」
「ううん、こんな時間に食べたら太っちゃう」
「そうか、ではしょうがない。勘定ここに置いておくよ、おつりはいらない」
「あ、ありがとーござーした……」
見惚れる店員たちを放っておいて、輝夜は乙姫を連れ歩くと、乙姫は一緒に歩くのが徐々に誰か様を踏みつけ、虚空へ飛んで浮遊した。
浮遊する乙姫は、愚かな者でも見るように輝夜に笑いかけた。
「輝夜さん、私、あの人のお嫁さんになるの」
「誰か様の? やめたまえ、もうそんな責務背負わなくて良い」
「ううん、私が望んでなるの。だってそうしたら、魂を思い通りにできる、私だって神様になれるかもしれない」
「……桃を操るつもりか」
「聡いよね輝夜さん、たったそれだけで分かっちゃう。……桃はね、私のそばにずっといて。幸せにずっとずっと暮らすの」
「お前だけの幸せだな」
「それの何が悪いの、桃は私を助けてくれた。私を助けたのは桃。だから責任をとって、桃は私とずっと一緒にいなければいけないの。ずっと私の王子様よ」
「そのために間男に嫁入りするって? びっちだな、君は」
「……だってそうしないと。桃は消えちゃうじゃない」
乙姫は一筋涙を零せば、誰か様の黒い幼児たちの群れは乙姫に群がり、乙姫は誰か様の媒体となり黒い大きな幼児を形にする。
都庁ほどの大きさの赤子は、物理上建物は壊さずともその身に人々を吸収していく。
幼児の頭上で吸収された乙姫は大笑いすれば、輝夜は幼児に踏み潰されそうになる。
「死んじゃえ、輝夜さん! そしたら貴方も私が操って、みんな一緒に幸せになろうよ!」
「参ったな、否定したことのない私が否定したくなる唯一だ、お前が。……まずいな」
輝夜は逃げ回りながらも、幼児と追いかけっこを始め。
幼児は輝夜を探し回りながら、街中の人々を吸収していく。
おぎゃあああと泣きわめきながら探し回るのだから、耳がきんとするどころか、鼓膜が破れそうだ。
路地裏に追い詰められ、幼児の手が輝夜に伸びた瞬間。
バイクのエンジン音が響き渡る。
バイクには市松とジェイデンが乗っていて、ジェイデンの運転で赤子の体をバイクで駆け回り、腕の上を走り輝夜の目の前に現れれば。
市松は輝夜をバイクに乗せ、自分と立ち位置を交換させた。
輝夜よりも乙姫の驚嘆が響いた。
「ジェイ!?」
「よう、じゃじゃ馬お姫様。少し見ねえ間に乳臭さはなくなったかと思えば、子持ちにでもなったんか」
「ジェイ……! 市松、お前ね!? ジェイを連れてきたのはお前ね!?」
「ええ、ええ。然様です。桃の言葉が通じないなら、貴方の初恋を連れてくるのは自然の摂理でしょう?」
「……ッ卑怯もの! 卑怯もの、卑怯もの、卑怯もの! あなた、いいわ! 全部壊して! ジェイも殺しちゃえば、みんな一緒なのよ、好都合だわ!」
「ヤンデレに好かれる才能あるなあ、オレはつくづく。元かのたちを思い出すわ、廃人になったあいつらを。
お前もさ、目にやられただけなんだよ。オレの目に」
「そんなんじゃない!!!!!!! 私の恋は本物なの!!!!!!」
「うるへー、お子様。輝夜、とりあえず、走るぞ、捕まっておけ!」
「わ、分かった!」
バイクは一気にどこかの地域を明確に目指しながら、輝夜はしっかりと捕まる。
輝夜の豊かな胸に、ジェイデンは「おっ、Eカップ」と呟けば、輝夜はジェイデンの頭を殴った。
「運転してるときになにをしやがる!」
「集中したまえ、この阿呆!」
「推しに久しぶりに会えた感動くらい許せよ! しかしまあ、事情は聞いた」
「事情。桃と何かあったんだな、乙姫は。桃もみなくなってな」
「桃は乙姫に浚われたんだと、狐野郎が言ってた。速度あげるから、舌噛まないおしゃべりしろよな!」
「ひいっ、運転が荒くて吐き気する!」
「うるせえ、黙って胃袋黙らせておけ! こっちへおいで、ませガキ!」
ジェイデンはバイクで乙姫ならぬ、巨大幼児を引き連れ、細かい先導や位置調整の囮は市松が引き受け、そのままT区へ向かうのだった。