第九十一話 そして鬼神は壊れた
フラペチーノが売りの喫茶店で、吉野はニット帽を目深にかぶりながら、季節限定スイートストロベリーチョコフラペチーノを口にする。
ストローで混ぜると赤と白がどろどろに解けていくのが、どこかグロテスクだ。
吉野が顔をしかめていると、隣にいた白虎が大笑いした。
「あのテントウムシ、お前が形を与えたんだろう? 形を与えといて奪うのもお前か」
「役目を果たしてくれた。ああやって目の前で命がけで、世界の美しさを語れば好きな人の好きなものなんて壊したくないでしょう?」
「そう、だから金糸雀に自ら、時間のない世界へ入水させたのか。そうすれば金糸雀の影響はなくなり世界は安全だしな。残酷だなお前」
「約束は守ったからいいだろう? お前たちを解放してやった。北風と太陽に習っただけですよ」
「そうだな、暖かいところからえぐい攻撃したな……」
「おかげで先生は無事だ。元に戻ったし、あの汚くて薄汚いどぶみたいな香りも消えた」
白虎は呆れながらカプチーノをずずっと飲むと、心から甘やかな笑みを浮かべる吉野に身を震わせる。
もう今宵は大晦日。人々はせわしく町中を歩き、帰宅を急いでいる。
この時間の先には吉野も、輝夜と待ち合わせだ。
久しぶりに会う輝夜にわくわくするし、その他の数多はどうでもいい。
人間じゃなければどうでもいいのだ。
白虎は吉野はどこかネジが外れかけていると気づいた。
目の奥に狂気さが見え隠れし始めている。それまでは他のあやかしにだって、若干の温情のあった鬼神だった。
恋に取り返しがつかないほどもう狂ったか、と白虎は心の中で念仏を唱えた。
「まあお礼にいいものをやる。これは、秘蔵の品だ。大事に使えよ、使うなら」
「これは……」
二つの経典。
片方の経典は人間に転生する方法が書かれている。神だろうと妖怪だろうと。たった一回転生をする方法が描かれている。
吉野は大きく目を見開き、白虎を振り返った。
「あのお姫様を狂って壊さないうちに、それ使うかきめな。同世代近くになれるよう、設定だけはしてある。使ったとしたらもうそばにいるかもな、輝夜の」
「……怖いな、そこまでくると。欲しいものが分かられるのは。同時に俺と来世の俺は存在できるのですか?」
「できるよ、お前は過去でありながら、信仰対象である鬼神だ。使ったら近いうちにお前がいなくなって、そいつの意識にお前の意識が戻るだけだ。ほんとに使ったとしたらな」
もう一つの経典は確かめずとも分かる。
ずっとずっと吉野が喉から手が出るほど欲しがっていた、鬼子母神への繋がり。
この力を影響される行為ができれば、誰か様を消し去る方法へときっとつながるはずだ。
「さあ。デートにいって決めると良い。人間になるかならないか」
白虎はカプチーノを飲み終えると、席を立ち上がりそのまま人混みに紛れ込んでいった。
吉野は席を立つと、フラペチーノを飲みながら紙ストローを囓り。
待ち合わせの場所に現れた輝夜に心浮かれる。
「今年もお世話になりました」
二人は顔を見合わせ同時に放った言葉に笑いあった。
並んで歩いて、中華街で遊んでから海近くの公園にて落ち着いた。
公園で腰を落ち着け、輝夜はそっと切り出した。
「あの若返りと香りの呪いは、鏡越しにされたんだな」
「そう、金糸雀とのキスがきっかけじゃない。たまたま重なっただけなんだ」
「いつの間にか好かれて、いつの間にかさよならされる毎日だ。金糸雀の気配が時々鏡から伝わるけども、関わるつもりはもうない様子だった。薄情なやつめ」
「諦めて去って行くんだろうな、貴方に好かれないからって」
「だって待って欲しいよ。そんなすぐに大好きだってならない」
「時間の経過しても、俺や市松はどうなんだ。見たところ市松辺りは一番深い仲で長い仲だろうけど」
「……このままじゃだめなのかな。君は市松に怒って、市松は私をからかって。私はあくび、という」
「輝夜は恋が嫌い?」
「ううん、いつか運命的なものを望むよ。私にだって理想があるんだ。背の高くて、かっこういいひとだ。料理は得意だといいな。でもね、それよりも思うものもあるんだ」
「なあに」
「ずっと遊んで暮らしたい」
輝夜のしみじみとした言葉に、吉野は真面目な顔をして損した気分になり、頬をむにっとつねった。
「それは珍しく平凡的な望みだな」
「実際のところ私は平凡なんだと思うよ。ある人は私を怖がるし、ある人は私を崇拝するけど。でも、私はそこらへんにいる小娘だ。
吉野から見た私だってそうだろ?」
「……カグヤ。ただの小娘であってほしいのは確かだ。だけれど、俺は……」
吉野は輝夜の手を握り、意を決して告白しようとしたが、瞬間。
ボールが飛んできて、子供がとってくださいと強請る。
ああもうしまらないな、と吉野は力んだ手を解き、ボールを拾って投げた。
輝夜はきょとんとしたまま吉野を見上げる。
吉野は前回の恋をした輝夜を思い返す。あんな輝夜がみたいわけではない。
それでも、この変化が一切ない態度もそれはそれで悔しい。
少しくらいは動揺しろ、と念じて吉野は輝夜にキスをした。
手を握る体温が冷たい気がするのに、驚くほど顔は熱く感じる。
触れた唇は柔らかでぬるりとしていて、甘さに焦がれてた甘みを感じて、一気に心臓がどっと強く鼓動を感じる。
「……君、は」
「……カグヤ。ずっと、俺は。俺にとっては、カグヤは異性だったよ。忘れてるだろう?」
自分を拾ったときからずっと好きで。自分を思って花のしおりを作ってくれたのを見つけたときから、ずっと愛していた。
だからこそ、吉野は喉を鳴らして顔をくしゃりと歪ませて、輝夜を抱きしめた。
「貴方の生涯を、ずっとずっと囲ってあげる。もう逃がしてもあげられない、逃げるのも許さない」
出来ればそばに。願いを込めて、すり、と首根に甘えるように身を寄せれば輝夜がびくっとした。
それでも突き飛ばされないあたり、うぬぼれても良いのだろうか。
「吉野……わ、たしは。私にだって色々あるんだよ」
「色々? なあに」
「仕事に、趣味に、睡眠」
「それは俺もだね。カグヤだけじゃない」
「……神様なのに人間の気持ちが分からないのか」
輝夜の声が震えている。ふと身を少し離して輝夜を見つめれば、下がり眉で顔を赤くしていた。
「君も市松も、何なんだ」
「嫌がらせだよ。俺たちだけ貴方に囚われているのが悔しいから、貴方の記憶に永遠に残る嫌がらせ」
「ばか」
輝夜の子供じみた反抗に、吉野は大きく笑った。
「貴方に呪いをかけてあげる。俺たち人外以外が目に入らない呪いを、貴方に」
「とんでもないやつらだ。神様からの呪いなんて、強い奴じゃないか。駄目だよ、君は助けられたから勘違いしてるんだ。私のことが好き、なのではなく。執着だよ」
「……付き合ってくれるつもりはないんだね」
「君の恋にいる私は気高すぎて、現実が負けそうだからね」
吉野は笑いながら、そっと決めた。
(神様である限り受け入れるつもりがないんだカグヤは。
ならあの人間になる経典を使おう。使える条件をそろえて、使ってしまおう。
そうすれば、カグヤと対等になれる。同じ目線でいられる。このまま好かれないで狂ってしまう前に、正常になろう。
人間になればきっと、正しい愛し方がわかるはずなんだ。正しく愛せば貴方だって愛してくれるはず。
同じ人間なら、愛してくれるはずだ。
怪異の守り方は市松に任せて、すべての誰か様をなんとかした後に。俺は――貴方を愛する人間になろう)
吉野はカグヤにそっと手を絡めて、指先を撫でてそうっと甘く低い声で囁いた。
「俺は諦めないからな、カグヤ。執着だとしたら、神の執着はでかいんだ」




