第九十話 君を助けるために、心中しよう(後編)
蒼は乙姫の居場所を知らないかと聞かれる教師の言葉で、悟った。
乙姫は巻き込まれ、輝夜は浚われたのだと。
学校の中を探し回り、ふと蒼は思いつくと保健室に駆け込んだが、かけられている担当教諭の名前は違うものになっている。
又玄紫など最初からいないように、消えていた。
「いよいよ正体を現したのか、くそっ!」
守ってやれなかった。
乙姫の騎士を自称していたのに守ってやれなかった悔しさは計り知れない。
親に持たされたスマホから通知がなる。着信音だ。匿名からの着信音に普段は出ないが、このときばかりは第六感が出たほうがいいと主張しているのが明らかだった。
蒼はスマホでスピーカーを押すと、響いたのは桃の声。
「乙姫はいないか」
「その声、乙姫さんの王子様? あの女の子みたいな」
「そうだ、女みたいは余計だ。乙姫のGPSが不可解になっていてな」
「どこにいるのかわかるの!?」
「どこだとおもう。その学校にある保健室の鏡の位置で、GPSは消えたよ」
「……鏡の世界か。ってことは鏡の妖怪?」
「その調べはしていたんじゃないのか」
「それもあるけど、僕が調べていたのは……え? ちょっとまって、て。ねえ、ねえ!! 金糸雀さんだよね!? 妖気は金糸雀さんだ、でもどうして、その見た目……!」
蒼はスマホをテーブルに置いて、大慌てで窓を開ければ、金糸雀が校門から一階の保健室のまどまで乗り込んでくる。
金糸雀は大きな人が入れるほどの袋を抱えて、やってくれば前を向いた。
金糸雀は蒼に気づくと、微苦笑を浮かべ、肩をぽんと叩いた。
「大丈夫。もう、君の心配する出来事はもうすぐなくなりマス」
「金糸雀さん……? ねえ、なにかしってるの、ねえ!」
「君も気づいているデショ? ワタシはこの世の万物で出来ている。不可能を可能に、それがボク。怪異だもの、鏡の中にくらい入れる。
先生と乙姫さんを、君に返してあげる」
蒼は金糸雀の言葉にほんと、と喜べなかった。
表情は死相というべきものではないが、儚さが浮かんでいる。これからいなくなる者の顔だ。
蒼はぐっと何かを言いたくなるのを堪える。
このまま金糸雀が目の前で消えていくのは少しだけ嫌な気持ちになるが、金糸雀自体がいなくなり世界がまるくおさまるなら龍脈的には正解だ。
金糸雀はこの世界のものになってはいけない体をしている。
この世が受け付けてはいけない体を持っている。
「金糸雀、さん、僕。卑怯だ。貴方が何をしたいか分かってしまった。そのうえで、見過ごそうとしている」
「それは卑怯じゃない。子供だ、君は。おとなしく指をくわえて見ていナサイ、大人の出番なのデス」
金糸雀はにこやかに笑えば、とぷんと保健室の大きな姿見の鏡から姿を入れていった。
白いカーテンが大きな風に揺れる。
*
鏡の世界に入れば、三つ鏡が現れる。一枚は輝夜、二枚目は乙姫、三枚目に市松たちが映り込んでいる。
それ以外は青い宇宙空間のような不思議な色味をした空間だ。
市松がどうやら紫に何か話しかけて気を散らしている鏡が現れた。
衣服が大きくなって倒れている輝夜が映り込む。
乙姫をまずは外へ連れ出そうと企む。乙姫のはいった鏡はきらりと黄金の枠で出来ている。
金糸雀はそっとポケットからメスを取り出すと円を描いて、乙姫の鏡から乙姫自身を受け取った。ふわりと腕の中に入り込む乙姫。
市松は気づいた様子だが、市松との討論に紫はヒートアップしていてこちらに気づかない。
それだけじゃなく、市松が気をそらす術か何か張っているのかもしれない。
憎たらしいやつだ、と金糸雀は乙姫を外に追い出した。
さて、それから次は輝夜だ。
輝夜の見目はもう、すっかり元通りになり呪いは解けている。
「なるほど、意識ないうちに二十歳を通り過ぎれば、紫鏡を覚えていないもどうぜんにされるのデスね。当日もこの人のことだから、二十歳になった瞬間寝てたのデスカネ。
まったく詭弁の天才たちめ」
袋の中に輝夜を納めて、それも外へ放り投げようとした瞬間だった。
「金糸雀?」
「……先生、起きたのデスか」
「……金糸雀か、どうしたんだ。どこにいる? 真っ暗だ」
「何もしゃべらないで、気づかれてしまうヨ」
「そうか。なあ今度新年会みんなでやるんだ、おいで」
「……なぜあんなことをしたワタシを誘うの? 何をされたかもう忘れたの?」
こんなにあっけらかんとするほど、金糸雀の存在は薄いのだろうと感じると、金糸雀は少しだけ泣きたくなる。
予想外の返答が返ってきた。
「お前が今、助けようとしているのが伝わったからだ」
輝夜の察し能力のよさは、こういうときだけ高すぎる。
金糸雀は小さく笑って、涙ぐみ。袋越しに頬を撫でさすりおでこを合わせて、微笑んだ。
「幸せに、なってネ。さよなら、ワタシの心臓……いえ、花嫁」
「いやだね、私はさよならをする覚えはないよ」
「ひどい人だな、綺麗にお別れもさせてくれない、口説き文句が駄目なんだから別れくらいかっこよくさせてクダサイヨ」
「だめだ、私は我が儘なんだ。エゴで生きているんだ。いつか、又遊ぼう。おいで」
「……駄目だヨ。これから、もう。二人きりなんだ。貴方はワタシを選んでくれなかった。愛していたよ。ひどいこともしちゃったけど、ほんとなんだ」
「金糸雀、手を出して」
「なんデスか」
「隙ありだ」
輝夜は金糸雀の油断をついて、袋から姿を現し、ぶはっと呼吸した。
衣服が千切れ千切れの輝夜は髪の毛もぼうぼうと伸びていて、野生児みがあった。
金糸雀は驚いて、輝夜が上に馬乗りになって倒れ込む。
「先生、分かっているんデスか」
「分かっているよ。二人で、紫を納得させよう」
「なんで。無理かもしれない」
「大丈夫。やるだけやってみるよ。私は、全員救いたい。全員助けたいんだ」
輝夜の妖艶さにあてられて、金糸雀はぐうっと唇をかみしめた。
*
市松たちの元にくれば、紫は大きく目を見開き金糸雀に驚いた。
やがて捕らえていたはずの者たちがいないことに気づくとうろたえる。
「輝夜、輝夜!」
ひょこっと金糸雀の後ろから輝夜が現れる。
ひゅっと息を呑んだ紫。
「そんなばかな! いつの間にか乙姫もいない……逃がしたのか!」
「乙姫は関係ないからね。あの子は私に巻き込まれただけだろう? 紫、さみしかったならまた会いに来るよ。また遊ぼうってずっと待っててくれて、有難う」
「そういう問題じゃないんだ!」
「そういう問題だろう? 私とずっと遊びたかったんだろう? 他の願いがあるのかい」
「……僕を、忘れないで。ずっとずっと覚えていて、一人にしないで欲しかったんです」
「うん、忘れないよ。だから、みんなで今日は遊ぼう。缶蹴りでもどうだね。君が鬼で、金糸雀に指示して捕まえて貰うんだ」
さらっと輝夜は何をされたのか忘れたかのように、提案するものだから紫はぽかんと間抜け面をする。
悲壮に浸っている方があほらしいと感じ始めた紫は市松の小さな噴き出しにつられて、大笑いし始め。
目元に涙を浮かべた。
「そうか。こんな簡単なことだったんだ。そうか、また遊ぼうって誘えば良かったんだ」
「そうだぞ、私と君の仲だろう? 寂しいじゃないか私の方が、勝手に壁を作られて!」
「す、すまない」
「だからほら、服をよこせ。それから、みんなで缶蹴りだ。もちろん、乙姫の三者面談が終わってからな!?」
「は、はい」
市松と金糸雀は顔を見合わせる。
ぽかんと呆れた様子で、二人は肩をすくめる。
初代助手と、二代目助手は小さく互いに「苦労するね」とねぎらいあった。
乙姫との三者面談を終えて、知り合いを皆集めて校舎で缶蹴りする輝夜たち。
紫は散々輝夜の俊足ぶりに泣かされ、市松の抜け目なさに苦労し、ぜいぜいと久しぶりにたくさん遊ぶ。
やがて時間がもう夕刻になる頃合いに、輝夜は帰らなきゃ、と切り出した。
「私たちは帰るよそろそろ。紫、また今度な」
「うん……今度は、今度はもう待たせないでくださいね」
「さあな、気まぐれ次第だ!」
輝夜の大笑いに一同は帰る準備をするが、金糸雀は動かない。
輝夜が不信に想っていると、金糸雀は小さく笑って先に帰るよう促した。
輝夜たちがいなくなってから、金糸雀は紫に切り出す。
「紫さん、これは提案なのデスが。ワタシをそちらの世界に置きマセンか」
「……そうか、君は龍脈でしたね。鏡の中にいれば時間を停止するから? でも一度閉じこもると、もう金糸雀さんはこちらに姿を現せないかもしれませんよ」
「どうして」
「一度せき止めた時間を、また現れれば一気に時間が進んでそれこそ劣化が激しくて災害が頻繁になるかもしれない」
「それなら、もうこの世界には顔をみせマセン」
「……輝夜にそれは言ったんですか」
「……いいえ。黙っていなくなる方が、心配してくれるでしょう? 心に残っていたい」
「そう、君は。鏡の中で生きた心中をするつもりなんですね。分かりました、一緒に鏡の中へ参りましょう。なるほど、パートナーは先生じゃなくても僕はいいのかもしれない」
「ありがとう。……先生、全員じゃなくて、ごめんね」
金糸雀は紫の案内で、大きな姿見の鏡へ向かい。
入る直前に輝夜たちが帰って行った方角を見つめ、ばいばい、と手を振って自ら封印された。




