第八十八話 鬼神からの北風と太陽
真っ白い靄がかかったような森林。
鬼神が白い霧の中、指先にともったテントウムシに、手のひらをかざし、ふんわりと空気を送り込めば神が揺らめく。金色の輝きを辺りに散らばらせ、力を与えればテントウムシは金色となった。
吉野はふ、と笑い、指先に乗ったテントウムシを空に飛ばす。
テントウムシはのびのびと空を飛んだ。
テントウムシを見上げて、カグヤのための吉兆はほくそ笑んだ。
*
香りとはフェロモンであり、良い匂いだと思った相手が運命の相手である。
博士から聞いた覚えがする、そんな昔話を思い出して金糸雀は湖の底の異空間で人間を捌いていた。
あれから人さらいをしては、人体解剖をし、次なる手術に向けて練習をしていた。
人体を解剖しおえれば血まみれの金糸雀は、ふうと呼気を落ち着かせ、水面にあがると湖畔に腰をついた。
湖畔にて空を眺めていれば、ふと何かの気配が騒いでいるのに気づく。
金色のテントウムシが蜘蛛の巣にかかっていた。
輝夜であれば助けるのだろうな、と思案した金糸雀は思い出したから行動をなぞらえて、テントウムシを助けてやった。
空に飛ばせようとした瞬間、金のテントウムシは少女に変わり、おしとやかな可憐さを笑みに表した。
「どうした、逃げると良いデスよ」
金のテントウムシだった少女は金色に輝いたまま首を振り、金糸雀の隣に座った。
金糸雀のそばを離れるつもりがないらしい。
なつかれた事実に顔を曇らせ、金糸雀は脅してみることとした。
「指先。匂いかいでごらんナサイ。血のかおりがするでしょう?」
「ふ、ふ」
少女は楽しげに差し出された指をぱくと食むと、そのまま甘噛みをしている。
動物じみた所作に金糸雀は瞠目してから笑い。
金糸雀はその日から気まぐれに、少女に「天童」と名をつけ面倒を見る意思をもった。
天童に自分の持つ医療知識を与え、助手にしていこうと思案したのだ。
天童は金糸雀に好意があることが一目で分かるくらいに、懐いていて。時折、金糸雀は輝夜のまわりの妖怪どもを思い出す。
こんな状態に近いのだろうかと。
最初に教えたのは言葉だった。
少女は簡単な言葉を話せるようになったり、文字を覚えたりしていく。
「かな! お花! あげる!」
天童は金糸雀のことをかな、と呼ぶようになり。休憩の合間に、花を摘んでは金糸雀にあげた。
金糸雀は無駄なことをと感じ取りながらもむげに出来ない。
金糸雀は、輝夜に懐いていた頃を思い出すからだ。自分が報われなかった事実を思い出せば悔しく、天童だけでも報われて欲しくなる。
そうはいっても、思いに答えるわけには行かない宙ぶらりんのままだが。
「今日の花はネモフィラ?」
「ねも、いう? あおい、きれい! かなに似合う」
「そんなわけがない」
「あなたを許す」がネモフィラの花言葉だ。
当てはまらない。
許せるわけがない。自分を置いていったあの輝夜に似た心臓の女の子も、輝夜も許せない。
だからこそ輝夜を自分の心臓にして、手に入れて、永遠にともにあろうとするのだ。
「ネモフィラは、あなたを許すが花言葉デスよ。ワタシ違う」
「かなの目、いつも暖かい。だから、大丈夫。かな、いつかカグヤゆるす」
金糸雀は輝夜の話を寝物語に天童にしていたが、天童はすっかり輝夜の話を気に入ってる。
間接的で敵対してる話ですらこうやって魅了するのだから、今もほら許せない、と嘆息をついた。
「先生はワタシに興味ないし。許さないし、許せないよ」
「永遠ににくむ、できない。かなとても疲れる思う」
「ずっと疲れても、エネルギーになるんデス」
「いきる、エネルギー? かな、暗いね!」
にこおと笑う少女をほら許せないと、金糸雀は天童のほおをつねれば天童は大笑いした。
少女は金糸雀がどんなに非道な解剖をしても、ずっとそばにいた。
自分を救ってくれた金糸雀を疑わず、金糸雀のする行為をすべて応援する。
いつからか居心地の良さに甘えていたけれど、それでも輝夜の良さには敵わない。
あの香りがバフなのは分かっているが、それ以上に何をも寄せ付けたがらないのに惹きつけるあの少女が欲しくてたまらない。
「かな、そんなに輝夜ほしい?」
「どうしたんデスか、天童」
「かなに持ってきてあげる! 輝夜いたらかなきっと喜ぶ」
「駄目だよ、天童。先生は来てくれないんデスよ」
「ううん、きてくれるよきっと。かなのこと嫌いなひといない!」
あまりにもまぶしすぎる笑みで告げられれば、否定するのは怖くなる。
嫌いな人がいないと否定するのは、自分を嫌う人がいると肯定する意味にもつながる。
輝夜に嫌われてると、意味を持つ。
そんな現実認められず、金糸雀はうつむいて言葉を失った。
そのすきに金糸雀は外に向かい、ふらふらと飛んでいこうとした。
刹那。
がらあん!!!!!!! と大きな稲妻が一撃、天童に降り注いだ。
天童はたったそれだけで体が燃え、泣き叫んだ。
金糸雀は天童の叫びに気づけば慌てて駆け寄り、湖の水をかけてやったが、もはや虫の息。
金糸雀は虚空を見上げた。
空高く、雲の方には青い髪の鬼神が見えた。
輝夜と人間以外には冷たい鬼神。
吉野を恨む気持ちすら消える。何せカグヤに関わるときは心臓を奪うときだと、悟られているのだから。
吉野はカグヤを守ろうとしただけ。自分も記憶がないころであれば、そうした。
理解できることが悔しい。理解できなければ、憎めたのに。
テリトリーを侵そうとしたのならどちらが悪いか明白だ。逆恨みですらわかない。輝夜を守りたい気持ちだけは一時の自分を見ているようだから。
「だから、関わるなと、言ったのに。先生に」
「へ、へ、かな、しっぱい。ばいばい」
「何言ってるんだ、すぐに別の体を用意して別の貴方に移植しましょう。次は赤いテントウムシが良いですか?」
「ねえ、かな。それね、ほんとにてんなのかな。てん、ぜんぶ自分の体だから好き。短い命、ぜんぶじぶんなの」
「……天童、何言ってるんデス?」
「かなはね、まだわかっていない。永遠じゃない、ずっとずっと素敵。この世界だって永遠じゃない、でもずっとずっと綺麗。
てんを撃った雷でさえ、美しい。もう一度みたい」
「天童、手が冷たいです。呼吸も小さい。やめて。いかないで。いっちゃいやだ」
「かな、大好き。輝夜、仲良しなれる。かなが、輝夜を思いやれば、きっと仲良く。なれる」
天童は人間の姿を解き、あっという間に金のテントウムシ姿になれば、体はぼろぼろで。
綺麗だった羽もすっかり黒焦げで息絶えた。
金糸雀は目からぼろぼろ涙をこぼし、天童が思っていたより大事な存在だったのだと気づく。
それを眺めていた朱雀がすっと後ろに立てば、金糸雀は朱雀に声をかけた。
「間に合うかな」
「……カグヤのこと?」
「でも、心臓を手に入れなければ。ワタシだけじゃなく、てんが愛した世界を失う。どうすれば」
「それについて、良い考えがあるの。龍脈様、この世界からいなくなってまでカグヤとの和解を望みますか、カグヤのいる世界の無事を選びますか」
「……そう、だね。なあ、朱雀。君にまだ、言ってなかった」
「何を?」
「ごめんね」
背中越しに告げられた謝罪に、朱雀は瞠目してから微苦笑し。
それがこれからの金糸雀の覚悟を示したのだと受け入れた。




