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第八十五話 ジビエのお肉は不明

 人づてに聞いた探偵事務所は、探偵事務所とは名ばかりの、怪奇現象に対して救済措置となると聞いた駆け込み寺だった。

 佐幸探偵事務所。噂では相当な美女がいて、美女を前にすると迫力のあまりにぺらぺらと嘘をつけない代わりに、過剰に話してしまうと知り合いは言っていた。

 浮気や不倫の証拠集めという庶民的なことをやりながら、裏メニューがある。


(そこでならこの対処も分かるかもしれない)


 男は真冬だというのに、額にたれた汗をハンカチで拭い、だらだらと流れる汗をひたすら拭いた。

 少しだけ都心から外れて、ビルの二階。一階にはピザ屋があって大変香ばしい香りがする。腹の減る匂いだ、帰りはくどいものが食べたくなる。

 あの日食べた肉よりうまいものはないだろうが。あの日飲み会で食べた肉は最高にうまかった。知人もそうだろうと得意げだった。

 その得意げだった知人は事故で亡くなった。最後に来ていたメッセージは「アイス」だった。近況を振り返るとぞっとするはなしだ。

 だからてっきり、アイスが原因だろうと思っていた。

 階段で上りきると、二階の磨りガラスでできた扉をきいと押してみる。

 知人曰く扉も最近改装したんだと聞いた。

 良くないもの対策だとか。


 扉を開ければ、美少女が金髪の男を膝に載せて尻たたきしていた。


「ジェイデン! 君というやつは!」

「悪かった! 悪かったって! さすがにゴミあさりはもうしねえからあ!」

「信じられないな、君の言葉はそれで二度目だ!」

「いてててて、いい加減この縄ほどけ! おお!? カグヤ、客だ客、誤解を与えるぞこれ!? いいのかこれ!」


 金髪の男は器用に美少女の膝からごろんと抜け落ちると、縛られていた縄を口で一生懸命解こうとする。

 カグヤと呼ばれた美少女は、男に気づくとこの世のものと思えない美貌で微笑んだ。

 心臓がそれだけで鷲づかみになる。ときめきでも動機でもない、ただ心臓を鷲づかみされた感覚だ。


「いらっしゃい、浮気の調査ですか」

「ええと、所長さんはどこかなお嬢さん」


 男の言葉にカグヤはむうと唸ると、隣の部屋にノックをする。

 隣の部屋から襖が開いて、そこから狐面の男が現れる。よく似た顔だと感じる。


「いらっしゃいませ、何のご用……おやあ、なるほどなるほど。困ってらっしゃるんですね、このところ眠れていないのはものの五日ってところかしら?」

「そ、そうなんです! ろくに眠れなくて……何をしてもどうしても、どこにいても。暑いんです」

「暑い?」

「はい、真夏のエアコンなし室内のように暑くて、干からびてしまいそうで。それでもからだは健康で、このままだとおかしくなりそうで」

「病院には行かれないんですか?」

「意地悪を言わないでください、もう私にはここしかないのです、いくらでも支払います」


 男の肩を落としながら財布を取り出す様子に狐面の青年はなるほど、と笑いさざめいて頷いた。男の財布から名刺がこぼれ落ちて青年は拾うのを手伝った。

 その中には焼き鳥屋、ジビエ店、焼き肉屋など肉好きだろう様子がうかがえた。

 金髪の男はそのまま滑り込むように今まで狐面の青年がいた客間らしい部屋に入り込み、はさみを借りると素早く器用に縄を切り自由を得た。


「しかし珍しいもんだな、幽霊に取り憑かれるのって普通は寒い、んだろう?」

 金髪の男が物珍しげに見てくるので、だらだらと汗をかきながらこめかみを拭う男はいたたまれない。

 視線が疑うものであり、常人には信じられない現象だろう。

 だというのに。


「それはさぞ辛かったね、もう大丈夫だ」

「真冬にかき氷食いたくなるって言うだけで奇異な目でみられそー」

「ご依頼ですね、任せてください」

 

 だというのに、この場は一瞬で男の現状を受け入れた。

 まるでそういった現象が自然であり日常のように。

 普段の男であれば逃げたくなる人たちだが、今はこの場がありがたい。


「まず、暑くなった日の出来事を教えてくれません? 原因に心当たり、あるのでしょう」

「不思議なことがたった一つだけあったのです。あれは会社帰りに、コンビニで一息ついているところでした」

「時間は?」

「夕方です」

「一番よくない時間ですねえ」

「どうしてですか」

「逢魔がどきだからです。誰の顔も見えない、誰が通ってもそしらぬ時間帯。一番、人との境界線が消える時間帯だからです。それで? 不思議なコトって」

「女の子がアイスをくれたんです。おじさんあげる、って」

「ええ……見知らぬ人からのものを食べたんですかあ」

「私も受け取りたくなかったんですが、自然と手は伸び、気づけば食べていました。そこからです、暑くなったのは。女の子はもういませんでした」

「なるほど……アイスだったんですね?」

「はい、ソーダ味のかき氷みたいなアイスでした」

「ではこれから三日間、貴方はこれから肉を食べてはいけません。野菜はオーケー、魚もまあいいでしょう。卵も駄目。ウィンナーだろうとベーコンだろうと、焼き肉だろうと肉はだめです」

「えっ」

「肉を三日間断ってからまた来てください」

「どうして……ですか」

「理由をお聞きになってから対処する場合、うまくいかない可能性50%あがりますし、特別追加料金いただきますけれども? 五十万ほど追加で」


 にこにことしながら狐面をつけなおした男が告げるので、男はぐっと唇をかんで頷いた。

 事前支払いに裏メニューの金額を支払えば、美少女と目が合う。

 美少女はこちらを見ているようで見ていない瞳で、微笑んだ。やはり、心臓が捕まれる気がした。


 *


 

 最初の日は耐えられた、なんてこともない。昨今は菜食主義向けの料理もあるので、三日くらいであれば楽勝だと感じていた。

 それでこの具合の悪さやめまいから解き放たれるなら楽勝だと。

 二日もすれば、非常に喉をかきむしった。肉が、肉汁が、これだけ食べたくなるのは何なのだろうと不思議だった。

 暑さよりも食欲のほうが異常で、暑さを忘れる勢いだった。それでも堪えた。

 三日目。「肉を食べろ」との声が聞こえてくる。幻聴だ。いや、これは呪いの声だ。

 食欲と洗脳するような声。欲望に負けてしまいそうになったときに、あの美少女に心臓を捕まれた感覚を思い出す。

 あのぞくりとした、生きた心地のしない無興味の瞳。

 優しいはずなのに、暖かな笑みのはずなのに、自分を向いていない笑顔。

 あの笑顔が印象に残り、口に運びそうになっていた、衝動的に買っていたチキンはダストボックスへ投げ入れた。


 約束の三日を超えて、ふらふらと事務所へ向かう。

 仕事は休みを貰っていた、使い物にもならない。

 探偵事務所に向かう道中で、曲がり角に大きな肉塊に巨大な目玉と鼻が一つずつ埋め込まれている化け物がいた。

 思わず避けんで逃げ出すと、化け物は追いかけてくる。

 あとすこしだ、あと少しだったんだ、まだ死ねない、まだいきたい!


 男は探偵事務所に電話をかけながら逃げる。探偵事務所は留守電の案内をする、役にも立たない!

 あんなのの言葉を信じたのがいけなかったのだろうか、男がついにとうとう疑念を持ち始め。

 化け物に腕を捕まれそうになったと感じた直後、その腕からばしりと払いのけられ、男を隠すように狐面の青年が現れた。


「ご覧の通り。もう。体内は浄化されてますよ。もう、貴方の願う彼ではないの」

『でもそのひと、美味しそうにぼくをたべたよ、だからね、今度はぼくがたべるの』

「うんそうね、それはね、この人知らなかったのよ。許してあげて」

『市松が言うならいいけど。また食べたら知らないからね』


 化け物は青年と会話をするとそわあと消えていった。忽然と消えていけば、今までの暑さや飢えが消えていき、強烈な眠気に負けて男は倒れた。

 青年は支えもせず、倒れた男をのぞき込んだ。


「貴方、言い忘れていたことがあったでしょう? お友達に連れられて、ジビエの店に入ったでしょう? そこで『何の肉か分からない』肉を食べた」

「……なん、で、わかったんだ」

「獣のにおいがすごかったもの。汗臭いだけじゃない匂いがした。最初は貴方が無意識に殺したのかと思った。でも、貴方のご先祖様がたを見る限りそんな気配がない。貴方の後ろにいる方々はみーんなあきれてる。先生の表情を見ていて、思ったの。人から外れた道を、なにかしたんじゃないかしらって。ふふ、安心して。僕は興味がない。だから今後はお好きにどうぞ」

「……酔っ払っていたんだ、本当だ。わざと選んで食べたんじゃない」

「うん、それでもいい。僕は貴方がどうなろうと今回助けられたので、契約履行したのでもう構わない。お金も貰ったし。守るのもできた。ただ。これからは気をつけることね、得体の知れないお肉に」


 ご利用有難うございました、と狐面の青年は微笑み。男が意識を失えば、目が覚めたのは公園のベンチの上で、夕方だった。



 男はお礼と後味の悪さを踏まえて。

 探偵事務所に星一つをつけた。


 *


 窓から眺めながら輝夜は戻ってきた市松に、おかえり、と声をかけた。


「どうしてアイスがただの美談だと見抜いたんだ。アイスが原因じゃないって。もっとべつのものがあるって」

「あの人のお財布に、見覚えのあるジビエ店の名刺が入っていましてね。あのジビエ店、美味しいもので人間を釣って、最終的に味を漬け込まれて浚われて化け物専用に卸されちゃうの。だから、あの人があのまま通い続けるならもうご縁はないでしょうねえ」

「君も行った覚えがあるのか」

「まさかあ。僕は人間界の料理のが好きだもの。お肉を体内から完全排出できたら、あとは健常人のできあがり。ところで、今日は僕、鍋焼きうどんの気分です。先生、ねえ?」

「分かったよ、作ろう」

「……先生も、どうしてあの人が何か人ならざる道を踏み外しかけているって分かったんです?」

「ああ、そんなの気づかなかったよ。ただ。怪異が私を見る目つきをしていたから、あまり関わらない方がいいのかもしれないと思ったんだ。怪異がするのとわけがちがうからね。性質が違うものが、別の性質のまなざしをすることほど気持ち悪いものはないよ」

「依頼人にひどおい」

「彼もひどいよ、助けたのに星ひとつだ、レビューも酷評だ。まったくひどいね。事務所が傾くよ」

「そおねえ、……もうちょっと僕らは、人間用の営業を覚えた方がいいのかもしれないですね? 先生含めて!」

「私は人間だ、一緒にしないでくれ」


 輝夜は鍋に火をつけて、冷蔵庫を漁りながら不服を申し立てた。

 


 

 

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