第八十四話 負けたドッペルゲンガー
おでんの屋台が公園前に店を開いていた。
時間的には夜の少し更けた頃、季節的には12月近く。
酒に浸る女性は、けたけたと笑いながら酒を飲んでいた。
店主は女性が美しいわけではないのに、見入ってしまうほど興味を引かれる。
女性は胸元に、奇抜なことに名札をつけていて。その名札は幼稚園生が使う、チューリップで囲ってある名札だった。
名札にはさゆきかぐや、と書いてある。
だがしかし女性は輝夜ではない。
女性は自分の名札をなぞるとうっとりと微笑んだ。
「これであたしも、妖怪たちの寵姫よ」
「それはどうでしょうかね、たぶん効果あるのマニアックな人たち向けですけど」
店先ののれんをくぐって隣に座ってきたのは市松だった。
市松に気づくと女性は、名札をさっと見せつけて、効果を実践しようとする。
市松は輝夜の母を模した顔で、長いまつげを幾度も瞬かせ、可憐に微笑んだ。
「無駄ですよ。名前を盗んで存在を盗もうと、僕にはききません」
女性は目を見開いて驚いた、その顔はカエルに似ていて、市松は内心にてもにつかない姿にあきれた。
少しくらい似せたいなら、濃い化粧をやめればいいのに、とせせら笑う。
市松はたばこを胸元から取り出すと、喫煙しだし。
紫煙を上らせながら、女性から名札をぶちっと奪う。
名札を奪うと、名前はさらさらと砂のように消えていった。
「大変便利なお力ですよね、名前を盗めばその存在そのものに成り代わって化けられるって」
「あんたにはなんできかないの」
「僕は先生を、魂で見ているから。あの人と同じ色をした魂は二個もないの」
「そんな優男みたいな理由で?」
「ふふ、かっこつけられないですね。先生には常識がない、あなたには常識がある。そこで気づきました」
市松は煙草を呑みながら、おでんの屋台の主に「大根と、厚揚げと、こんにゃく。たまごはサービスしてください」とにこにこ頬笑んだ。
女性には不思議だった。自分を見つけたところで、責め立てたり、悪者めと怒るわけでもなく。ただ、なかったことにして代わり映えもなく。
説教の一つや二つ覚悟していたのだ。憧れの輝夜になりたかった女性は、輝夜を愛するものたちがばれたときに怒り狂うと想定していた。
「これ食べたら少し散歩しませんか」
「変わったナンパね」
「僕らきっと、話が合う」
ふふ、と目を細めてとろんと片笑む顔は女性にとっても魅力的な華やかさがあった。
市松の仕草の種類は、夜の蝶がつかうような色気も含んでいる。
だからこそどきりとするけれど、異性をまったく感じさせない色気にぽかんとするのだ。
熱がりながらおでんを食べ終わると勘定をし、市松は大きな樹のある丘に来た。
以前ここで、市松は泣きながら輝夜に抱きついて、化け物だ、と感じた場所だ。
空は真っ黒に近く、時折粒のような星空が水滴のように輝くだけ。
「先生になりたかったのですか」
「輝夜になれば、誰からも愛される気がしたの。ジェイデン様も、吉野様も」
「おや、その二人を知ってるとは。あなたは何者です?」
「あたしは、ドッペルゲンガー……のなり損ない。輝夜であって輝夜になれない存在です。あの美貌を真似できなかった。悔しくて名前を盗んだの」
「そう。それで盗んでみてどうでした、楽しかった?」
「みんなね、あたしをみていて、あたしをみていないの。輝夜って存在だから許されてる、輝夜って存在だから話してくれるってだけで。本物になってしまおうなんて、なれなかった」
「そうですね。本物になる前に、熱狂的ファンが多いから、みんなあなたを苦しめてしまう」
「市松様は怒ったりしないの?」
「吉野やジェイデンが気づかないで、追い出され戸惑う先生をたっぷりと独り占めできたので。後の彼らが土下座するだろう今後を考えると、お腹でピザが焼けます。それぐらいおもしろかった」
「泣いたりしなかったの、輝夜は」
「ええ。不思議なこともあるもんだな、っと淡々として昼寝にいそしみました。いやになっちゃいますよね、一生懸命かまちょしても、あの人ああだから。ご愁傷様です」
「……本当に。馬鹿らしいことをしたんだな、ってしか思えなくなってきた」
「でしょうね、なので、僕はどちらかというとあなたを慰めにきただけです」
「お人好しね」
「そうですね、そうしておけば好意からもうやめてくださるでしょう?」
市松は狐面をつけると、大きな樹を見上げ、そこに流れた一番星に仮面越しに笑った。
「本当の化け物には、誰もかなわない。妖怪でさえ、ね」
市松は大きな樹に近づき、樹に触れると、ゆっくりと幹にまるでドアノブがあるかのように捻り、扉をあけるように空間を開くと。
そこには黒い空間が開いた。幹の中に、江戸めいた町が真下に見える。
「あなたもきっと引っ越しのお誘いきてるのでしょう? どうですか、先にいってみては」
「それもいいかもしれないね。迷惑かけてごめんね、って言っておいて」
市松の開いた幹の中へ、女性は跨ぎ、江戸めいた町の中に浮遊して落ちていく。
江戸めいた町並みは真っ赤な明かりで、賑やかだ。
昔懐かしい空気に、喧噪。恋しい世界。
それでもいまは。
ばたんと、市松は大事に扉を閉めた。




