第八十一話 心臓は高鳴り、そして笑った(後編)
「ドクター、どうか私の恋人を助けてくれるなら、貴方の何もかもに従います」
中世の時代に、たった一人の村娘は難病の恋人を助けるために、城で孤独な医者に祈りをささげた。
医者は金持ちで名家で、名医。名声に飽きた医者は医療に夢中になり、禁忌に手をだし。
果てには世界の龍脈を調べて、たった一つに集める研究をしだした。
果てには城を買い取って、研究に明け暮れ村はずれの城で一人謳歌していた。
突然身を差し出されてもドクターは困り果て、村娘の顔をじっと見つめた。
なるほど、美しい稀有な娘だ。
可愛らしくて、可憐で、そのくせどこか悟っている顔をしている。
娘に惹かれたドクターは条件を出した。
「二年後ワタシの心臓になりなさい、今研究しているものに心臓が必要なんだ」
「わかりました、恋人を助けてくださるのですね」
「それと。ワタシの身の回りの世話をするように」
「はい! よろしくお願いします、ジャンヌ=ジュリエットと申します」
「ジャンヌだね、よろしい。ワタシはクチナシ。ドクタークチナシと呼ぶように」
「はい、ドクタークチナシ」
ジャンヌの恋人はその時代には珍しい方法で助かり、その方法に驚いた恋人は健康体になるなり大慌てで逃げ出し、ジャンヌは村に戻れなくなった。
魔女と噂されていったのだ。
ジャンヌを不憫に思ったドクターはそれからジャンヌを可愛がった。
心臓にする約束を忘れるくらい可愛がった。
しかし研究はあと心臓を足すのみで完成間近までいく。
「恋を前に医療をあきらめるなど、愚かな」
「先生のどうかお好きにお使いください」
「事態はそう簡単じゃないのだよ、ジャンヌ」
そんな軽口を毎日続けていて、それが毎日の小さな幸せだった。
しかしある日村はドクターとジャンヌを恐れて、城に攻め込んでくる。
正義のためとはいえ、実際は飢饉で飢えている食料や財宝狙いの体のいい文句だった。
生活の苦しくないドクターへの八つ当たりだった。
「ドクター、お逃げください。私はドクターを二番目に愛していました」
「ジャンヌ、いやだ、やめろ、ジャンヌ!!」
ジャンヌはドクターを地下室に閉じ込め、村人を「手厚く」迎える。
大勢の悲鳴があがり、最期にジャンヌの悲鳴が響けばやっと地下室の扉はあいた。
地下室の暗さに目が慣れていたからか、扉を開けてから数秒は明るい目の前の光景を理解できないドクターだった。
ジャンヌを大勢がいたぶっている。
あれだけ美しかった体は血まみれで、城の財宝はからっぽ。研究だけは手つかず。
ドクターは地下室にあった銃を戻って手に取るとそれで村人の頭を打ちぬく。
村人はあっというまに逃げていくが、どうにも心は晴れない。
「ドクター、心臓は守りましたよ」
「ジャンヌ……」
「どうか、私を使って。お願いです」
言外に穢されたから生きていたくないとの意味を受け取ると、ドクターは悔しさでジャンヌを抱きしめ慟哭した。
手術台に載せ、ジャンヌの心臓を取り出し、研究していたフランケンシュタインに当てはめると、ドクターは生命の禁忌を犯し生み出すことに成功した。
「博士、おはようございマス」
「ああ、おはよう」
「この心臓はとても暖かい……」
「そうだ、とっておきだからな」
「博士、泣いてマス」
「気のせいだろう。君に名前を与えよう、君は金糸雀。金糸雀、君にプレゼントがある。君ならうまくやれる。だから。だからどうか、君はずっと生きるんだ。この心臓を無駄にしないで、ずっと心臓を取り続けるんだ」
「博士?」
「君に、世界最高峰の、ワタシの頭をやろう。うまく、うまく手術するんだよ。大丈夫、技術はこれから教えていこう。だから君はどうか、この世界を呪いたまえ――世界の美しさ、残酷さを君の中に与えた。恨んで生きなさい」
それからはひたすら。
博士の頭と、博士が愛した心臓を耐えさせぬように、欠損があれば人を襲い。
つぎはぎ自分で手術して。龍脈をずらさないように、暮らしていた。一人きりで、じっと籠って。時折森の動物と戯れ。
ある日雲外鏡で、輝夜を見てからは輝夜のことで頭がいっぱいになり。ちょうど心臓もがたが来ている頃合い。会いに行こうと訪れ――さて、今に至る。
*
博士の記憶とごっちゃになりながらも、金糸雀の博士譲りの頭はしっかりと思い出していく。
この体は、人造であり、自らは人造人間なのだと。
「先生……そうか、そうだったんだ」
この心臓はとっくにがたがきていて、取り替えなければならないことも思い出す。
思い出すと同時に、玄武が大笑いした。
「金糸雀。どうする」
状況を察する行為のできない輝夜を抱きかかえながら、金糸雀は目を細める。
玄武は最初から、金糸雀に記憶をよみがえらせるつもりだった様子だ。
きっとそのほうが「面白いから」なのだろう。神の気まぐれはいつだって好奇心でできている。
「先生、心臓をくれマセン?」
「金糸雀、それはできないんだ」
「どうして」
「私には君に命を賭ける義務はない」
それは壮絶なふられ文句。
興味もない思いもないといわれるよりもひどい言葉だった。
先日市松のためには簡単に命を賭けていたのに、と一気に嫉妬の炎が燃え上がる。
金糸雀の怒りから、提灯が揺れ、梔子の花がざざざと噂するように騒ぎ出す。
金糸雀は傍らにあった神の酒を手に取ると、輝夜へ無理やり飲ませようとした。
「ワタシのこと要らないなら、アナタ要らない」
「歪んでいる、ね、っげほげほ!! 朱雀、助けてくれッ!」
「……かぐやっ!」
「朱雀、控えていろ」
「……ッ龍脈。かぐや、ごめん」
「――四神は龍脈が絶対だから。可哀そうな先生。世界もアナタを要らなくなれば、きっとワタシしかいなくなる。アナタを好むのは。そうしたら、たっぷり愛してあげマスよ。先生の心臓を手に入れたら、ワタシとずっと一緒だ」
抵抗しても酒が無理やり口を割って入ってくる、水責めのような感覚だ。
苦しい、息が詰まる、苦しいと助けを願っていれば――からんと、何かが転がり滑る音。
「あらごめんなさい、仮面が落っこちちゃった。呼び鈴なかったから勝手に入らせてもらいましたよ」
狐面が輝夜の目の前に落ち、そこへこつこつとブーツの音を鳴らしてやってきたのは――市松だった。
真っ黒いロングコートが闇に溶けながらも、自前の色素が薄い髪の毛だけは発光しているように目立つ。
輝夜の母親の顔を借りている様子で微笑んだ。
「火傷をどなたか神域がいつの間にか治してると思えば、こういうこと。なるほど、お祭り騒ぎの前払いね」
「市松か」
「ええ、ええ。金色じゃない貴方に会うのはお久しぶり? なのかしら? DV男みたいな口説き方されてるのね、僕とっても驚いちゃう。最新の口説き方なの? 人間界の」
「うるさいデスよ、お前さえいなければ……先生は……」
「それがねえ、そうでもないんですよ。先生って僕のこと一生懸命に見えるけど、それはそう見えたほうが美しいからそう行動しているのよ。だってねえ、先生僕のことお好き?」
市松は二人に近づき、あっという間に輝夜を金糸雀から引きはがし。酒から解放すると、輝夜の腹を殴り酒を吐かせる。
殴られたあとだというのに輝夜は涙目で大笑いした。若干赤い顔でとろんとした瞳を細めた。
「こんな乱暴者嫌いなのにどうしてだろう。ずっと待っていたよ! 大馬鹿!」
「あらそうなの? 先生酔ってるね、ずいぶん飲まされましたね」
「えっへっへ、お前の、お前の帰りを待っていたんだよ!」
輝夜はぐしっと鼻水をすすると市松に抱き着き、市松は予想外の反応に目を白黒とさせる。
背中にぽんぽんと手を当てると、憎らしそうにこちらを眺める金糸雀に、楽し気な玄武。興味のなさげな青龍に、おろおろとしている朱雀。
敵対心のありそうなのは玄武と金糸雀だけだな、と思案すればいつもどおり、問題を先送りにする交渉をしはじめる。
「金糸雀、お前は今正気じゃない。香りに充てられているんです」
「香り?」
「ずっとずっと強い香りがしていたでしょう? 先生が若返ってから。このマーキングは、大勢のあやかしを虜にしてきている」
「正気じゃないからどうだっていうんデス」
「香りに酔っぱらって口説いたって誰も本気にしないでしょう? どうです、一度先生がちゃんともとに戻ってから、正式に口説いてみては」
「――どうせ、嫌われる」
「ええ、ええ、そうですね。貴方がそう考える限りはそうなんじゃないですかね。でも、僕だったら操られて酔っぱらったやつが、姉ちゃん心臓くれよげっへっへ、なんてすごいロマンなくていやかなーって思うんですよお」
市松の言葉はこの場になじみもなく、空気も壊しているのに、説得力だけはしっかりとある。
場にそぐわないのに、まるで「生贄は美意識をもって食え」と言われてるような、哲学だ。
命を扱うからにはそれが正しいのかなとさえ、考えてくる。
思案して忌々しそうに睨んでいる金糸雀へ、市松は笑みを深くした。
「だからね、どうです? 仕切り直してからっていうのは」
「仕切り直してもお断りだ」
「こんなことをいうこちらの先生。こんなこと言うんですよ今だともれなく。子憎たらしいでしょう。お心をぐずぐずにして。やだもうあなたのものにして♡なんていうようになってからのほうが、盛り上がりませんか?」
「私がそんな言葉を口にするとでも? 市松、お前はどちらの味方なんだ!」
「やだなあ先生、僕は敵味方ないですよう。同じく先生を愛するものとして不憫なの、先生はだっていまだに僕に返事するつもりもないでしょう?」
「うっ、そ、それは。私だってな、色々……あってだな」
「ほらね、この人こんなに人でなし。そんなひとを骨抜きにしてからのほうがたぎりません?」
市松の言葉は詭弁だ。
今をやり過ごすことしか考えていない詭弁だとわかっているのに、的確に金糸雀の痛いところを突いてくる。
思案していれば頭痛がしてくる、頭を押さえていれば地面が揺れる。金糸雀の不調は世界に浸透すると、世界を壊せるほどの影響がある。
金糸雀の体調は、市松にとっても気になるところだ。世界という遊び場が壊れてしまってはたまったものではない。
あたりにあった梔子がいくつか散っていく。
「先生――先生、かぐや、かぐや。やだ、行っちゃいやだ」
可憐な乙女のような涙を浮かべたはにかみをもって手を伸ばす、縋るような声色でその場が揺れる。
梔子の花はざらりと水面に流され、やがて場は水があふれていく。水で埋まっていく。水人形たちと楽器や鯨幕は水に流される。それでも四神は微動だにせず金糸雀を囲っている。
大慌てで市松は入ってきた扉に輝夜を抱えて駆け出すと、輝夜は市松に担がれながら金糸雀を見つめる。
金糸雀の瞳は真っ黒から金色へと変化した。
口元が動く。
『お逃げ、花嫁』
あのときの脈に逃がされたのだと気づくと、扉は開きアッという間に元の湖まで戻ってきていた。
ぜえぜえと市松は呼気を荒げ、地面に座り込み、輝夜を開放する。
「先生、貴方の馬鹿さ加減へのおせっかいはおいといて。本当にこの香り、心当たりありませんか」
「香りといっても私はわからないんだ。なんだか最近みんなの様子が少し違う気がするくらいしかわからない」
「そう、だとしたら……今回の騒動とは違う者が絡んでますね」
「市松……だからね、私は君がいないとだめなんだとおもう」
「他者依存よしてくださる? 先生に甘えられると僕までろくでもないあやしになってしまうから」
「どうしてだ、君はいつだって理性的じゃないか、妖怪のくせに」
「先生、お忘れ? 僕のような聖人君子が理性的になれない理由。僕はあなたを」
輝夜の両手を握りしめて、市松は仮面を顔から落として。
湖が玄武の力で凍っていくなか、静かに告げる。
あたりは霧が徐々に晴れていく。
状況としては最悪だし、今が適してるわけでもないことは市松にだってわかりきっている。
けれど鳥頭の思い人には、洗脳になるくらい叩き込まねば伝わらないのだ。
「輝夜を愛してるから」
そんな言葉を告げたところで。
無反応なのはわかりきっている。
(どうせむなしい無表情にきまってる、ごまかされるだろう、なかったことにするんでしょう?)
市松は輝夜に目線をあわせられなかった。無反応の虚無の瞳を見つめるのが怖かった。
両手がびくり、と輝夜が反応する。
――びくり?
市松は不思議に感じて、ふと視線をゆっくりあげて輝夜を見つめなおせば――。
「……ッ簡単に言うんじゃない、名前で、いきなり呼ぶな…ぅう」
――輝夜の顔は今までにない反応で、耳まで真っ赤に染まって両手で顔を抱えている。
酒の酔いじゃない気がする。
市松の借り物の瞳が見開き、輝夜の母を模した顔がぼんっと真っ赤になった。




