第八十話 心臓は高鳴りそして嗤った(前編)
玄武の指定した宴会会場は、山林の深くにある湖だった。
湖まで輝夜と金糸雀は指定された礼服で向かう。
山林に向かうのに礼服で来いとは、なかなかの苦行だと感じるが、人間界を深く知らない玄武の指定ならば仕方ない。
礼服は輝夜は純白の着物で、金糸雀ははかま姿だ。
まだ今は10月の頃合い、少しだけ寒いので上着を着ていった。
着物コートは二人とも赤く、赤い着物コートが安売りしていたために手に入れた品だ。
着物代自体は太っ腹にも青龍が出してくれた。
「やあ朱雀、時間ぴったりだね」
「久しぶり輝夜。その着物素敵」
「青龍がくれたんだ」
「そう。龍脈も似合っている」
空から真っ赤な翼で降り立ったのは朱雀。美しいロングヘアをふわりと浮かばせ、輝夜に微笑むと金糸雀との間に割って入った。
輝夜と金糸雀の二人きりなのかと朱雀は輝夜に問い詰めるようにじっと見つめると、気づいた輝夜がああ、とうなった。
「桃は調子がわるそうでな。吉野は違うほうの宴会行きでいない。神無月だからな。君たちもいいのか、あっちの宴会いかなくて」
「ああ大丈夫。身代わり人形置いておいたわ」
「身代わり……?」
「居留守してもばれないのよ。手作りね」
「神様もさぼりなんてするんだね」
「いいのよ、何百年に一回くらいはね?」
朱雀は輝夜の髪型がいまいち気に入らないのか、あれこれ弄り回している。美容院でやってもらったセットだったが、朱雀の中で輝夜の印象と沿わない髪型で不服のようだ。
輝夜は好き勝手させてやり、青龍と白虎を待つ。
五分ほど遅れて青龍がきて、麗しい姿の輝夜を見るなり目を細めた。
「ごきげんよう、豪胆な女。久しぶりだな朱雀。龍脈も元気なようで」
「アナタたちはワタシを知っているの、会ったことあるの?」
「いいや? 会った覚えもない、ただお前の中にいるモンとは縁があるんだ」
「ワタシの中に?」
「気づかないのか。まあいい、白虎ならとっくに来ている。美少女の前だから怖気づいてるんだ」
「聞こえてるぞ!! くそじじい!」
後ろのほうからがさりと草むらが動き、白虎が姿現す。
皆一同和服で、朱雀だけが真っ赤なドレス姿だった。
「いやね、私空気読めないみたいじゃない。ドレスコードがあればいってくれればいいのに」
朱雀はむすっとして、自分のドレスをつまんだ。
ちょうどつまんだ頃合いに、霧が現れ、霧は皆を包み込む。
霧の中でぼんやりと真っ赤な提灯が浮かび上がる。祭りばやしが聞こえてくる。
湖がざああと広く割れれば、湖の中に扉がある。
そこまで朱雀が輝夜を運び、金糸雀は青龍に担がれて、一同は扉まで向かうと開く。
開かれた扉からは梔子の花の香りがいっぱい広がり、会場は梔子だらけだった。
梔子の広がる会場の先には玄武が酒だるを抱えて、待っている。背後は鯨幕で広がり、横の面積に終わりはない。
金と赤銅の花飾りで玄武の後ろは色飾られている。玄武の左右には、顔も持たない水でできた人形が古めかしい和楽器を奏でている。
玄武も和服で、朱雀の洋装を見つめるなり大笑いした。
「もとからピントがずれてるやつだとおもっていた」
「あんたに言われたくない」
「ふふいいだろう。こうして集まるのはあのときいらいか」
「そうね、長らく会ってなかったわ」
「どこかのじゃじゃ馬鳥は、捕まるしのう」
「どこかの龍はおじいさんになっちゃうしね?」
四神の会話もどこか神秘的だ。輝夜は身をわきまえ黙り込んで見守っている。
会話も長くなりそうだと気づいたころに、輝夜は少しだけ焦れて、玄武を見やる。
玄武はやっと輝夜の聞きたいものに気づき、にこりと微笑んだ。
「オマエの欲しい人、すぐにくる。あんしんしろ」
白虎は少しだけ目をそらし、青龍は微笑んでいる。朱雀はおろおろとしていた。
金糸雀は状況の整理がつかず、輝夜とともに中の会場で座り、ひとまず乾杯を待つことにした。
大きな杯は顔ほどの大きさの漆塗りだ。真っ赤な色味で、酒の香りを存分にはなっている。
なんの酒かなどわからない。あまり飲みすぎてはいけない、飲みすぎたら神仏の領域に入って世間が輝夜を忘れてしまう。
この飲み物は神仏の提供するものだから、油断してはいけないものなのだ。
「かんぱい!」
――玄武は杯を掲げあおると、ほかのものも煽る。朱雀がそっと小瓶を渡した。
輝夜にこの中へ酒を注いであとで捨てろという意味だろう。
神の酒の特性をわかっていながら提供する玄武の無神経さに、腹を立ててもしかたない。
神仏とはそういうものだ、些末な人間などたいして気にしないものだ。と、輝夜は心の中で納得し、酒を飲むふりをする。
杯には山ほど酒が入っているのだから少しくらいそうしてもばれないのだろう、とうまく演技しようと願った。
そのとたん――金糸雀が杯を飲み干し、かたんと杯を落とす。
金糸雀が涙をこぼせば、奇麗な涙だと思う。
二筋の涙は許しのあかしだとどこかで聞いたなと、輝夜は思案し金糸雀を気遣おうとした瞬間。
「ああ、――ジャンヌ、ここに、いたんだね」
「金糸雀?」
「すべて思い出したよ、先生。ワタシの――次の心臓」
金糸雀は破願し、輝夜を引き寄せて抱き込んだ。




