第七十九話 危険な女を好む青龍
「今度こそはまずいってまずいって、先生まずいって! 人違いじゃすまないんデスから!」
金糸雀が必死に輝夜を引きずって帰ろうとするも、ずるずると輝夜は衣服が伸びても前へすすむ。
朱雀から教わった青龍のいる土地に向かっているが、その土地はどうみても反社会組の集う住居。
大きなお屋敷に黒塗りの車、あたりはこわもての男だらけの土地へ向かおうとしている。
「先生のばか! 命知らず! 美人!」
「最後誉め言葉だぞ」
「それでも顔色変えない先生め! アナタみたいな美人が行ったら売られちゃいマスって!」
「大丈夫、私は運勢は強いんだ、じゃんけんにもここぞというとき強い」
「悪運じゃアないデスかそんなの!?」
「命を賭けるときなんだよ、これくらいでびびってたらいけないんだ。それに私は強面に好かれやすい」
輝夜はずるずると非力な金糸雀を引きずり、大きな門についてるインターフォンを鳴らせば、小さな扉のほうから強面のはげが二人を睨みつける。
強面のはげは目をすがめて顎を撫でると、にやりと笑った。その笑みだけで金糸雀は怪異だというのに震えあがり、輝夜に抱き着いた。
輝夜は腰に手を当て、動じもしない。
「青龍、というものに心当たりないかね」
「っくく、おやじさんの言ってた通りだ。おやじさんから聞いてるよ、いつかとびきりの美少女がここに来るってな」
「そうかね、ということは当たりか」
「こっちへこい。そこの震えあがってる龍脈も連れてきな」
本来龍脈そのものである金糸雀はもっと存在を丁寧に扱われるべきだというのに、ぞんざいに輝夜は扱い、腕をひっつかむと引きずった。
強面が手伝い一緒に引きずる、金糸雀はいやだいやだとわめきながら、足をばたつかせる。
五月蠅がった強面が金糸雀の口にハンカチを押し込んだ。
「坊や、近所迷惑は嫌われるぜ」
手間をかけさせるなとの意味合いに金糸雀はますます震えあがった。
*
「お嬢さん、よくぞいらした」
「君が青龍かね」
「そうだ、数年前この老人に加護を与えていたが、老人の意識がなくなってしまってね。以来とりついてる」
真っ赤な革張りのソファーに深く腰掛け、ルビーやサファイアの大粒指輪をびっしりとつけた老人はにやりと笑った。
紫髪に明るめのダークレッド色であるサングラスをかけ、輝夜を見つめればふふと笑う。
輝夜は青龍に対して、桃が犬の体と同居しているようなものかと理解した。
「玄武が宴会をしたいといっている、来てくれないか」
「わしはね、お嬢さんや。色気のある女か、豪運の女にしか興味がない。お嬢さんは色気が見たところたりないな。美少女だからもったいないが。となると、君は豪運なのか?」
「……条件を満たさない限り、話を聞くつもりもないということか」
「屋敷の中に招いただけでも感謝するがいい、さてお嬢さんはどちらかな。色気のあることをするか、運試しか」
老人はにやにやと笑って輝夜の隣に腰掛け手の上に手を重ねて、撫でさすった。
撫でさすられた手の甲をひっくり返して、振り払うと輝夜は思案し、そばにいた老人の護衛とみらる男に声をかけた。
「わかった。豪運になる瞬間を見せてやる。君の銃を貸したまえ、それは六発入りか? 一つだけ弾を抜いてくれ」
「先生!!!!!!!!!!!!」
のどの裂けそうな声量で叫んでも、はんかちのせいでくぐもった声が飲み込まれるだけの金糸雀だ。
ロシアンルーレットそれも、あたりが5のはずれ1の状態でやるつもりだと一同は悟り、喉を鳴らす。
その行動を一般人が決意するだけでも気がくるっている、なるほど市松のためにそれほど賭けなければと意気込んだか、と老人は輝夜の度胸を認めた。
一挙一動ですら胸が躍る、これだけ楽しいギャンブルは久しぶりだとときめく。
今まで感じなかった色香が、輝夜が銃を手にしたとたんに開花するのだから面白い女だとそそられる。
(このまま死んでしまったとしても、お前はいい女だ――)
老人がそう思案し、輝夜の震える手を見つめている。
表情は凛としているも手はぶるぶると震え青ざめている。態度だけはしっかりとしている。
目が据わっている、完全に恐怖の向こう側の覚悟をしている眼差しで、それなのに脂汗だけはひたすらにかいている。
こめかみに汗が伝う、しゃーと弾倉を回されたのちに輝夜に手渡され、輝夜は受け取った。
震える手を静めてからでないと先へ行けないが、それにはこの女はどうするかと老人が見守れば、輝夜は深呼吸して目を閉じた。
目を閉じて、何かを思案しながら、輝夜は造作もなく銃のセーフティを外し、こめかみに銃口を向けて引き金を引いた。
「金糸雀、私がいなくなったら夕飯は冷蔵庫の特売肉、先に使っておいてくれ。賞味期限が近い」
誰もが魅了される瞬間だった――金糸雀の目の色でさえ金色に変化する。そんな瞬間でさえ輝夜は、最期に似つかわしくないセリフで笑うのだから、異様さを増す。
祈るわけでもない。神をあてにするわけでもない。
輝夜は見事外れを引いた。
弾は空振り、何も発射されない。
どっと心臓が食い破るような勢いで鼓動しだす。
輝夜はばっちいものを手にしたように、強面の男に銃を手渡した。
強面の男は伏目の輝夜を見るだけで顔を赤らめる。煽情的な表情だ。
生き残ったという陶酔が輝夜に色香を与えた。
「素晴らしい。よくそんな命の放棄みたいな賭け事ができるもんだね。死ぬのが怖くないわけでもないのだろう?」
「そうだな、何をしてでも会いたい人がいるんだ」
「果報者だ。いいよ、わしは君の虜になった。玄武の宴会に行ってやろう。お嬢さん……いや、輝夜姫。君のおおせのままに」
老人は恭しくまだ陶酔している輝夜の手の甲にキスをすれば、うっとりと見惚れた。
*
「どうして生き残るとおもった」
帰り道にやけに静かな金糸雀。
腹の底から怒っている声をひねり出した。
輝夜は金糸雀の怒りもしょうがないなと思案しながらも、それをなだめる手立てはなく。素直に答えるのみ。
「私に何かがあるのならまだきっと。運命が生きろと告げる気がしたんだ」
「たったそれだけ?」
「たったじゃないぞ。運命の力はどんな力よりも強いんだろう? 普段は信じないけれど、こういうときは信じさせてもらおうとおもった」
「輝夜……そういうのは、よくないぞ」
金糸雀はそれまで先導して歩いていたのに、振り返る。金色の瞳を細めて、微笑む。
微笑みがとても怒っているように見えるので輝夜は戸惑っていたが、金糸雀が輝夜に近づき、腕を引いて抱き寄せた。
「君の心臓は大事にしないと。運命などというあやふやなものに頼るな」
「なんで運命があやふやなんだ?」
「龍脈の存在で、わかるだろう?自然を疑似的に作ることもできるんだ」
輝夜は金糸雀の悲しそうな瞳を見て、この金糸雀はいつもの金糸雀じゃない事実に気づく。
金色の瞳の奥に、何かがうねっている。金色の脈だ。
金色の脈が金糸雀の瞳に閉じ込められて、輝夜が脈の動きに合わせて目が瞬けば金糸雀の体は輝夜の首根に顔をうずめた。
「気づいたのか」
「うん。君はだれだね」
「内緒。君が自分を大事にするまでは、内緒だ。君はどうして自分を大事にしない」
「みんなが守ってくれるから……」
「いいやちがうな。死にたくないいやだ、とわめく君がどこかにいるはずだ。それでも実行するその心はなんだ?」
「だってこうしたほうが、あいつに会えるからだ。私が死んでもあいつなら」
「喜ぶわけないだろ。常識ぶち壊れてるな君は。度し難い」
どこか泣き声も混じっている金糸雀の様子に輝夜はそっと背中に手を伸ばした。
状況的には困ったわが子を心配する父親のような話なのに。どこか甘えてくれてるようにも思える。
頭を撫でてやれば金糸雀の皮を被った脈は、ぐし、とますます涙ぐむ。
「命を粗末にするな」
「どうして」
「どうしてなど聞くのか。本当に、本当に常識のない女だ」
ざらりと枯れ葉が舞い上がり、突風が吹く。脈の涙に反応しているかのように、空は曇りだし、徐々に雪が降ってくる。
雪は少しだけべちょりとしていて、湿り気を醸し出していた。
雪がはらりはらりと落ちてくる様子を見上げ、空を眺めれば仲の良い燕親子が二匹飛んでいる。
燕を眺めているのがばれたのか、脈はそっとつぶやいた。
「まるで幸福な王子だ」
「人間界の童話を知ってるのか、物知りだね。貴金属全部町の人に配って、自分はさびた像になる話かい」
「君は無料配布が趣味のようだ。無料配布だから好む人はいっぱいいる、君の命がけの無料配布に、あやかしは寄ってきてるんだ」
「それがいやか?」
「――自分でもわからない。……ああ、そうか、これを。この思いを」
金糸雀は首根から顔をあげ、輝夜の両ほほを挟んで瞳の奥を間近でのぞき込む。
互いに目しか映らないほど間近な顔にも輝夜は照れない。
それが、非常に、悔しかった。
(この思いを、惹かれている、と呼ぶのだな――まずいな。獲物なのに。ワタシの新たな心臓なのに)
(無料配布なぞで、惹かれたくなかったのに)
(数多の一人になど、なりたくない自分がいる――お前に似ているからか、ジャンヌ)
雪が輝夜の髪にかかる、脈は髪を手櫛し、雪を払った。
自分自身の顎を撫で、考え込むと輝夜のほほを撫でる。指先で。
「輝夜よ」
「なんだね」
「約束しよう、君を、守ると。無料配布の命だとしてもな。何があっても、ワタシを信じてくれ――私の花嫁」
脈はにこりと笑うと、意識をすぐに金糸雀へ返す。金糸雀はすぐに頭をくらりとしながら、密着している輝夜に気づくと顔を真っ赤にさせた。
金糸雀はあたふたとしてからわあああああああ!!! と叫び、一メートルほどダッシュで後ずさる。その姿に輝夜はあっけにとられ、噴き出した。
「帰ろう、今日は牛丼でも作ろう」
「先生!? 何があったの、先生!? 先生!?」
「金色の龍に出会った、それだけだ」




