第七十八話 あがり症の白虎は脳破壊される
奇麗な土地が好きだった。
奇麗な土地になるには、奇麗な地脈にする人間が必要不可欠で。
地脈を正常に整えようとしても絶対できない女のそばに、地脈を美しく整える親戚がいるのが不思議だった。
佐幸家のことである。
佐幸乙姫は世界を浄化する力があった。
清廉なる力を持っていて、触れるものすべて清らかな心にされる。
佐幸輝夜が世界中の不幸を集める力を持っていて、親戚は浄化する力だなんて面白いなと感じた。
単純な興味からだった。
単純な興味から、乙姫にかかわりたくなったのだ。
ただ――興味を持った聖獣白虎は、女性が弱みだった。
*
「桃、少しいいか」
「吉野さん、なあに」
「お前は成仏したいと思わないのか」
「そうだな、せっかくこの犬の体も借りてしまっているし。かといってやりたいことも現世にはない」
「なら通常成仏を、神仏としてはおすすめしなきゃいけないんだよな」
「本当に、誰か様のことが片付いていたら、ね」
探偵事務所の手伝いをしている乙姫につられて、桃は事務所にいた。
幽霊の美少女にも近い姿でふわん、と浮かんで考え込む。
スカートの中のトランクスは見えないように調整する。
吉野が輝夜のいない隙に桃へ話を勧めてみたのは、桃を可愛がってるジェイデンと輝夜を敵に回しかねないからだ。
吉野とて桃はもちろんかわいい。しかしそれはそれとして、人間としての幸せを考えると、魂の修行ではともおもってくるのだ。
吉野はまさかの返しにぎょっとして目を見開く。
「誰か様は、市松が片づけたはずじゃないのか」
「あなたでも気づかないんだな。これを見て、吉野さん。あの村で、僕が持ち帰った石だ」
歯に咥えて持ち帰ったのだろうかと思案すれば、吉野は石に触れる。
吉野が石に触れたとたん、石はぱきっと真っ二つに割れて、真っ黒に染め上がった。
「まだ貴方の力が効く痕跡がある。ほかのあの村のものは、もうダムになってしまったから。わからないけれど。縁のある土地で、あいつの加護の合った大地の品なんだこれは。
そんな石にまだ加護がある。どこかの村に、きっとまだ。誰か様を信仰している土地があるはずだ。まだ呪いは終わらないと思うんだ」
「桃……それ、カグヤには」
「言ってない。あんな平和ボケにいうわけないだろう、心苦しくなるいくら僕だって。最近やっと甘ったれぶすになってきたんだぞ」
年齢はいくらか若返ってしまったけれど、と桃は黒ずんだ石を両手で丁寧につまみ、ティッシュで包んでしまいこんだ。
「信仰は根深い。いくらでも誰か様は時代関係なく生まれやすいというわけだ」
「本当にただの悪霊なのか? どこかの神の違う姿、なんてことはないかな」
「末席とはいえ、神であるあなたの力が効く限りは悪霊だ。ただ、信仰されて神様にされてるから力を得ている。古くからある悪霊だとおもう」
「……思いの力か」
「対抗するには正反対のものの力を探すしかない。とはいえ、それは真名を探り当て、ピンポイントで挑まなければできない」
「だから、片付いていない、ってことか。市松の苦労が報われねえなあ……」
「意地張ってないで出てきてくれたらいいのに。大人はたまに、子供みたいなまねをする」
「俺には少し気持ちはわかるよ。カグヤの頭に、あいつがいっぱいなのは少し羨ましささえある」
「嫌われるかもしれないのに?」
「無よりは嫌いの感情のが、まだ関心があるだろう? そう考えるよ、あいつなら。自分自身を嫌悪しちまうくらい、理解できる」
「捻くれてる! それよりも、気になるものがある。吉野さん、最近乙姫をどう思う?」
「どうって……奇麗になっていくよな、どんどん。カグヤみたいにきっと美人になる」
「あいつは普通でいい普通で。普通が世界一似合う女だ。にもかかわらず、身の丈にあわない事象が起きているんだ」
桃はこそっとあたりをきょろきょろと見回す。幸い乙姫はお風呂掃除で聞こえることもない。
金糸雀も輝夜も、外でビラをまきに行っている。
今この場にいるのは桃と吉野だけ。内緒話にはもってこいだと感じる。
「神のあなたは感じないのか、乙姫に浄化の力が宿っている」
「浄化……何かを成仏させたりする力ということか」
「父さんの記録で見た覚えがある。人間にはたぐいまれに、清廉な力を持つ者がいると。だが、強まる力なんて聞き覚えがない」
「……短期間ならいいが、成長し続けたら確かにお前としては心配だよな」
「そう。触れなく、なる。僕は幽霊だから、体が消し飛ぶようになってしまう……このままだとそばにいられない」
桃は間違いなく幽霊だから、手をつなぐだけで成仏などいまはまだ望まない。
桃は少しだけさみしげにうつむいた。
不安を見せてくれた桃に、吉野は桃をわしゃりと撫でまわした。
「俺らは陰陽の姫に形無しだなあ、そうか。カグヤはあやかしに、乙姫は神仏に好かれるのか」
「神様がライバルなんて冗談じゃないぞ……」
「佐幸のお姫様たちは。本当に厄介だな。同情するよ」
「吉野さん。ずっと聞いてみたかったことがある。あなたは輝夜とどうなりたいんだ」
「どうって……」
「神話みたいに攫ったりしないの?」
「……――もしも。遠い未来で。俺がそれをしたら、それは俺が狂神になったときだ」
「不思議なんだよな。市松もあなたも、カグヤと結ばれる気がない」
「……人間、だからね。怖いんだ、俺たちは多分、どうやっても置いていかれる側だから」
「じゃあもしも。あなたが人間になれたとしたら?」
「……へんなことをきくなあ、桃。神は輪廻転生から解脱したから、神なんだよ」
「じゃああの人の気配は気のせいなのかな。吉野さんにすごく空気が似た人がいるんだ」
「それって……」
お湯でエプロンを汚した乙姫がばたばたとやってきて、机にあったお茶請けのおせんべいひとつ食べたところで、二人は口をつぐむ。
この会話はここで終わりだ、どんなに名残惜しかろうと乙姫に聞かせていいものではない。
乙姫はおせんべいを食べるとポメラニアンの桃の体を膝にのせて抱き上げ、一緒に会計書を読み始める。
「ああ、輝夜さんまた計算間違えてる」
「あいつは本当金に欲がないな」
「御金欲しいってひとでもないものね。桃、一人で何していたの」
「……ゆっくりしていたさ」
目の前にはお茶の飲んだ後。吉野は姿を忽然と消している。
帰っていったのだろう、お茶の湯気だけが上っている。不思議そうに乙姫は首をかしげると、ポメラニアンの桃を抱きしめる。
「今日お夕飯、焼き肉行こうだって。輝夜さんから連絡きた」
「行ってくるといい。お土産はミント味のキャンディで頼む」
「ふふ、帰りに桃用のお肉買ってこよう。それともここでする?」
「店舗で食う肉のがうまいだろう? お前はあまりこれまで外に出なかったのだから、たっぷり遊んで来い」
「桃と一緒じゃなければ、私がさみしいのよ」
「……ジェイデンを誘えばいいのでは?」
「――ジェイはね、今ドイツにいるって。個展開いてる」
乙姫の切ない恋する乙女の表情を見て、恋する対象はただの輝夜オタクなのにな、と桃は一人嘆息をついた。
*
焼き肉に輝夜たちは向かい。桃は一人でふよふよと転寝をしていた。
ちょうど転寝をしている頃合いに、ふわりと風のにおいがする。
新緑の風のにおいはこの季節に似つかわしくない。桃の意識は過敏で、それだけですぐに起きた。
「ああ、ちょっとまえまでここにいたのか。僥倖だ」
白髪の少年が小さくつぶやくと、桃と目が合う。
学ランのちょうど乙姫とおなじ年齢の少年を象ってはいるが、気配からして息が詰まる。
こういうときはだいたい神仏だ、経験上わかる。
桃は声を発する勇気をもって、唸ると少年は桃に気づいた。
「よお、乙姫の番犬。乙姫は元気か?」
「何の用ですか、さぞやお偉い方なのでしょう?」
「子供が敬語なぞ使うな。お前は赤ん坊のようなもんなんだから、赤ん坊に敬語を使わせると申し訳なくなる。遊びに来た」
「本人がいないときに?」
「そう、本人がいないときに遊びに来る。何せ俺様は、女相手になるとちとばっかしかっこ悪くなってしまう」
「あがりしょう? 神様にもそんな現象あるのか」
「あるんだよ。そうだな、お前は乙姫からの清廉な加護を受けている匂いがする。その匂いが好きだから、お前には教えてやるよ」
「名乗ってくれるのか」
「そうだ。俺様は白虎。輝夜の探している四神だ」
白虎といえば西の守護であっただろうか、と桃が思案を巡らせていれば白虎は鼻をすすり、もぞもぞとティッシュを借りて鼻をかんだ。
ティッシュをゴミ箱に投げ入れながら、ぴったり入ればぐっとガッツポーズをしているずいぶんと庶民派な神様だと桃は目を瞬かせた。
「乙姫がいないときに乙姫に用事があるのか」
「あいつの空気を浄化した後の土地が好きなんだ」
「……この浄化なんとかならないのか」
桃は幽霊姿を現し、じっとうるんだ瞳で白虎を見つめた。
白虎はぽかんとしてから、一気に顔を真っ赤に染めどもりはじめる。
「なななんあなな、お、女の子!?!」
「違う、僕は男だ。わけがあってこの姿なんだ。ほら見てみろ、トランクスだ」
そういうと桃は自分のスカートを捲りあげ、下着をあらわにし男性用の下着を目撃させる。
脳が破壊された白虎は目を白黒させている。
「男が……女!?」
「わけがあるといっているだろう! 胸もないがさわってみるか?」
「いいいいいい、いや、いや、それはだ、だめ、だ。だめ。だ、だだだだめ」
「さっきまでのお前はどうした? 赤子みたいなものなのだろう、僕は」
「うるさい、えっちなやつめ!」
「な!?」
「人間社会は最近変わりつつあると聞いてるが本当だな。お、俺様はお前という番犬なら乙姫に間接的にかかわれると思ったのに!」
「かかわって何がしたかったのだ」
「乙姫に好かれたかった……あの悪霊の花嫁になろうとしていた健気な魂がやっと解放されたんだぞ。少しはちょっかい出したくはならねえか??」
「また中継されていたのか、雲外鏡め。いやになる」
「あれを見たファンは多いんだぜ、人気は乙姫、市松、吉野のトップスリーだ」
「輝夜ではないのか」
「人気がありすぎて殿堂入りだ。話にならない。恋愛婚活番組より面白い」
「人の人生を娯楽にするとはいい趣味だな。それでこの浄化、なんとかならないのか。このままだと僕が消えかねない」
「なんとかったってなあ……めったにあるもんじゃないぜ、こんなめでたい力。それでもいやなのか」
「……いやだ。乙姫は、ふつうの、平凡な、ちょっときれいなだけの人間であるべきだ」
「過保護なやつだな。本人がいやだっていったころに、それじゃお前の味方になってやるよ」
「ほんと!?」
桃はぱあっと顔を破願させると、白虎は慌てて真っ赤になり、距離を遠のいた。
社長椅子の後ろに回り、陰に隠れて桃をのぞき込んで、は~と少しだけ落ち込んだ様子を見せる。
「脳破壊少年……」
「なにをぶつぶつ言ってるんだ。じゃあお前もあの力を取り払う方法を調べてくれ」
「言っておくけど本人がいやだって言わない限りは、お前には教えないからな。あとそうだ、近々宴会があるんだろう? 玄武主催の。面白そうだから行ってやってもいいぜ」
「丁寧なやつだな自分から望んでやってくるとは」
「俺様は人間が好きなんだよ。多分、だれよりも四人の中では輝夜に同情してる。龍脈なんかに関わったばかりに可哀そうに。さて、たっぷりと清廉な空気を味わったし帰るか」
「お前の助けを借りたいときどうすればいい?」
「簡単だ、口笛を吹け。音楽はそうだな、お前なら子犬のワルツでどうだ」
「悪趣味!」
桃が睨みつけるころにはやっとのことで桃にのみ耐性が少しできていた白虎は大笑いして消え去った。
白虎が消え去った事務所は部屋の中だというのに、少しだけ吹雪いていた。
ちょうど乙姫たちが帰宅する。事務所の寒さに一同が身震いすると、桃は瞳をすがめた。
「輝夜、白虎は宴会自ら参加するといいに来たよ」




