第七十三話 信徒増える
一向に年齢が元に戻る術が見つからない。
輝夜はそもそも年齢が若返ったのは、金糸雀の影響化ではない気もする。
直感的なものだから確証もないが、何かの偶然で誰かの呪いと重なったのかと考えている。
「じゃあカグヤはあの男が何も含んでいないと?」
「そうとも言っていない。ただ同じ問題だと結ぶにはいけない気がしてね」
いつもどおり見守っていた吉野だったがどこに居るかあっさりと見つかったので、視線が合えばお茶に誘われて今こうして事務所だ。
居心地の悪さを味わいながら、吉野は傍らの狼を撫でてやり。白い狼二匹は吉野の足下で心地よさそうだった。
吉野の神秘性は日々増していっている。輝いているわけではないのに、眩しさを感じたりもする。
吉野は眩しそうに瞳を細める輝夜へ、手を伸ばして幼子にするように撫でてやった。
「こんなに撫でやすい美少女は人をおかしくさせる」
「吉野だから許してるだけだ、心配はいらないよ」
「真面目な話、カグヤが若返っただけでカグヤを狙う怪異が増えている。処理をしているのは俺だから気付かないだろうけど。気をつけて欲しい」
「若いというだけで現金なやつらだな」
「いや――若いだけじゃないよ、何かあるんだ、今のカグヤに」
吉野もカグヤに何か違和感を感じるのだ。
違和感と言うよりは、芳しい瑞々しさを感じる美味しそうな香り。
香りに誘われれば先に、これだけ見目麗しい果実がいるのだから、どんな怪異とて構いたくなるのだろうと、心配になる。
今の輝夜は不安定だ。年齢と見目の年齢が合っていないからこそのアンバランスさは、妖しい色気を薫らせる。
吉野でさえ思わず見つめて目が合い、微笑まれるだけで喉が鳴る。
微笑まれない怪異達は嫉妬に狂うのだろう。
「一度、このあたりを調べてみるよ」
「調べるのは私だって得意だ、君が心配することじゃないよ」
「カグヤ、俺に任せておけ。今の貴方は、とても危ないんだ」
「転んだりしないぞ? 確かに背丈は低くなったが」
「どう言えばいいのかな……無防備に大金がぎっしり詰まった財布状態なんだ。財布は金庫にいれたほうがいいだろ、百万も入ってる財布なら」
「キャッシュレスをお勧めする」
「今の貴方はキャッシュレスになれないんだ、現金もろだしでばらばら現金一枚ずつ落として歩いてるんだよ」
「そんなに怪異には私は美味しそうなのか、変わっているね」
変わり者なのは貴方だ、貴方が世界で一番へんてこだ、と吉野は言葉を飲み込んだ。
きょとんとしているこぼれ落ちそうな瑞々しい瞳を見つめているだけで、気がおかしくなりそうだ。
芳醇な香りは日に日に増している。カグヤだけの問題ではなさそうな気がする。
誰かが、カグヤに、マーキングをしている。
最初に可能性を考えたのは、金糸雀。
だが金糸雀からは匂いの欠片もしない。マーキングであれば、匂いが同じでなければ意味も無い。
この香りは人を狂わせる香りをしている。
金糸雀は今はまだ無害判定で良い気がした。
次に妖しいのは市松。遠くから見守っていた市松が動き出したのかも知れないと感じた。
この香りがもし市松なら幻滅する。市松はカグヤを守りたい人だと思っていたから。
なので吉野の心情的に、市松は除外したかった。
だとすれば、何処かで誰かが呪って、マーキングをしているのだ。自分の獲物だと。
それは、確かに、輝夜の言うとおり金糸雀の事件とは別事件とみてよさそうだ。
「香りと見目が揃うとこんなに厄介なんてな」
「どんなふうにまずいんだ」
「真冬に食べる夜中の屋台ラーメン以上」
「ああ……」
こんな例えで輝夜は真剣にまずいんだと伝わるから、吉野は苦労を未来に予感した。
ふと視線をおろせば鏡越しの輝夜と目が合う。
鏡越しの輝夜は微苦笑を浮かべ、考え込み始めていた。
*
吉野が帰宅し、金糸雀が依頼人を連れてくる。
依頼人は眼鏡をかけた冴えない男だ。
金糸雀は輝夜を隣の部屋に控えさせ、依頼の話を詰めていく。
「空からうさぎを降らせたいんです」
「うちを魔法つかいかなにかと勘違いしてまセンか」
「お宅なら可能だって聞きました! 幾らでも払います!」
「どうしてうさぎ……」
「妻が数年前見た光景なんだそうです。うさぎが降ったときに、奇跡が起きて。あと少しで死にそうだった母親が助かったんです」
「うさぎ……」
実際にうさぎが降ったら地上は血まみれで生臭くて、幻想的な光景にはならなさそうだなと金糸雀は喉を唸らせた。
輝夜からぽこんと合図が鳴る。メッセージアプリで引き受けていいとの合図だ。
何を考えているのか、うちの所長は。
「分かりマシた、貴方の思い届きましたヨ、引き受けましょう! 佐幸事務所にお任せください!」
「有難う探偵さん!!」
「つきましては金額、このくらいでいかがでしょうか」
「ええ、幾らでも構いません! 何せうさぎを降らせるなんて誰にもできないことですから!」
男は大喜びで帰宅していく。
帰還していく背中を見届けてから金糸雀は隣の部屋で本を読みふける輝夜に声を掛ける。
「あんなのどうするんですか、先生」
「心当たりがあるんだ。恐らくうさぎはうさぎじゃない。白くてふわふわしたものだ」
「毛糸でも飛ばします?」
「そう。毛糸の獣を何個も作って、というのもいいが。大事なのはそこじゃない。きっと、光景じゃなく。本当に欲しいのは奇跡のはずだ」
「奇跡?」
「恐らくあの男の奥さんが死にそうなんじゃないのかな。奇跡に縋りたいんだ」
「ならもっとできない話だヨ、先生は人間だもの」
「奇跡を叶える力をよそからもってこよう」
「奇跡?」
「ケサランパサランだ」
昔見つけた条件とは違うだろうが、一回見つけられたのならもう一度見つけられるはず。
見つけられなかったときの予備として、兎は編んで置いていいかもな、と輝夜は思案する。
「乙姫にバイト代はずまないと」
輝夜は思案すると颯爽と、狼狽える金糸雀を置いてA県に向かい。
以前見つけた土地まで新幹線で旅立つ。合間に食べた駅弁は美味しい地鶏だった。
以前の条件では雪が降っていたからあっさり現れたのだろうけれど、今回は生憎季節はまだ夏の終わり頃。
夏の終わり頃に雪などあり得ない。
「条件が違うならば難しいか……このへんの怪異でも探すか」
「この土地は鬼が有名ネ」
「そうだな、O県とA県は鬼で有名な気がする」
「なまはげはそうはいっても、二月のものじゃないの?」
「なら逆に今の時期は暇をしている。暇すぎる神秘は面白い者が好きなはずだ。まず、酒屋にいこう。いい地酒を買えば良い」
鬼は酒が大好きなのは吉野を見ていて判る。
輝夜は酒屋でかなりの値段が張る日本酒を手に入れれば、神社に向かう。
吉野から以前教えて貰った鬼を纏わる神社の一つを探して、神社に辿り着けば、鐘を鳴らし賽銭をした。
「礼儀がなっとらんな最近の子は」
お参りの仕方に不満を持って、屋根から現れたのは大きなお面を被った鬼。
体格くらい大きな鬼のお面だ。
蓑を揺らし、大笑いし屋根で寛いでいる。
「なまはげさんですか」
「ああ、そうだ。おめえのことはあの小僧から聴いてるよ。神の末端のあの鬼から。何が欲しい? 酒と交換だ」
「じつは……」
輝夜は経緯をなまはげに話せば、のらりと身を起こしたなまはげは、おめんを付け直し身を整えた。
大笑いで腹を揺らし、すたりと輝夜たちの目の前に降りる。
鬼は金糸雀を見つめ、金糸雀に不機嫌を現した。
「理の外のやつはここにいろ。輝夜、お前は此方へおいで」
「金糸雀はだめなのか」
「ああ言っておくが人外だからじゃないぞ。おれはおまえが気に入らない。輝夜、俺はお前ならいい。望みのないお前の望みを叶えてやろう」
酒臭い鬼はお面を背中に回すと、男臭い顔を現す。
無精髭に一重の、大きな牙。真っ赤な肌が酒を求め酒瓶に手を伸ばした。
輝夜は金糸雀にココで待つよう合図すれば、なまはげと二人で神社の祠に入る。
「一匹だけなら分けてやろう。幸福の眷属を」
「有難う御座います」
「ただ輝夜、これだけは気をつけろ。奇跡は起これば起こるほど、奇跡じゃなくなる。奇跡が常になるならお前は人でなくなる。それでもいいのか」
「奇跡のいらない人間です。私は、できればあるがままに生きたいんです。やりたいとおもうことをして、駄目なときは受け入れていけたらいいなとおもう」
「その分奇跡を金に換えて譲るということか。人外の力を信じているんだな。このままであやかしのいない未来に耐えられるのかねおめえは」
「どういうことです?」
「あやかしはもう、この世界から引っ越す手はずをしはじめている。そのうちお前にも平穏はくるだろう。近い未来、怪談はお終いでお伽噺になっていくさ」
輝夜はその言葉をヨシと出来なかった。
脳裏に過ったのは市松の悲しそうな寂しそうな笑みや。
吉野の笑顔。ジェイデンの威張り散らした態度。桃の睨み顔。
――銀次の嬉しそうな最後の顔。
彼らといつしか会えなくなるのだろうか。
不安げな輝夜の顔を見た鬼は笑った。
「慟哭の似合う女だ。おれたちのことで泣いてくれるのか」
「ずっといまがいい」
「そうだな。だけど、おれたちにも安寧がいるんだよ。お別れの、時間が近づいているんだ」
鬼は優しく輝夜の頭を撫でて、涙を拭ってやった。
金糸雀のもとに戻れば鬼は酒を貰い、じゃあのといなくなり。
輝夜の手元には瓶に入ったケサランパサラン。
ケサランパサランは持っていた白粉を入れたからか瓶の中で増殖していく。
鬼からのサービスで人からの願いを受け付けない札を瓶に張って貰っている。
「先生? とても悲しげ」
「おまえたちあやしのいない未来が見えない私は、もう人として終わっているのかもな」
「……どうしたの」
「いつか、お前たちは私の前からいなくなる」
「まさかあ! 吉野さんだってジェイデンも貴方のストーカーなのに!?」
「……未来は、判らないな」
「……先生」
金糸雀はしょんぼりとしてから、思いついたように身を飾っていたブローチを輝夜に手渡す。
ブローチは白い鳩を模している。輝夜は瞬き小首傾げた。
「大丈夫! ワタシはいなくならないよ! 永遠に、ずっとずっと貴方のそばにいてあげる!」
金糸雀は輝夜に泣き止んで欲しかったし、輝夜の特別になりたかった。
沢山の人を魅了している輝夜の特別になるのは心地よさそうだったし。
輝夜を泣き止ませられたら特別になれる気がして、何でも捧げたくなる。
何故そうなるか判らなかったが、輝夜から薫る良い香りが頭を痺れさせる。
金糸雀は一生懸命アプローチするも、輝夜ははにかむだけだ。ブローチを受け取らない。
ああ、自分は特別になれない、と金糸雀は落ち込んだ。
最初に自分を助けて、何も判らない自分には輝夜しかいないのに。
輝夜にはいっぱいいるんだ、と自分との差を金糸雀は感じ取る。
胸の奥に渦巻く小さな黒炎。
「先生」
「帰ろう、仕事しないとな」
普通の人間なら一度拒絶したならそこで拒絶を曖昧に通して、嫌われない程度の関係を保つのだろう。
だが、輝夜は――。
「有難う、金糸雀。お前がいるなら心強いな」
受け入れもしていないのに、否定しない言葉で金糸雀を鷲づかみにした。
輝夜の罪深さは、相手を否定しないことだった。
否定されない相手は心地よさに蕩け、頬を紅潮させ信徒となる。
恋の信徒と。
「先生」
「なんだね」
「Il faudrait que je cessasse de vivre pour cesser de vous aimer.《君を愛するのをやめるには、いきるのをやめねばならないのだろうね》」
「ん? なんだね??」
「わかんない、頭がぼんやりして、言っていた……」
金糸雀は顔を真っ赤にさせ、終始どきどきとしていて。
混乱した頭で輝夜の衣服を掴んでいた。
結局帰還すれば白い兎を降らせることには成功し、輝夜はこっそりと。
そのうちのケサランパサランを少しだけとっておいた。
望みのない輝夜にケサランパサランを買うのは難なく、こっそりとこっそりと輝夜は怪異を飼うという秘密を持った。
願いを幾つも叶えたいからではない。
いつか、自分の目の前から怪異がいなくなりきらないためにだ。




