第六十五話 貴方との日々は大好きで素晴らしかった。
輝夜と市松、それから銀次と吉野は既に屋敷に集まっていた。
奇遇にもタイミングは重なっていたが、ずっとずっとこの屋敷を探っていて滞在していた。輝夜が、病院を離れてからのことずっと。
それが誰にもばれなかったのは、市松から貰ったお面のお陰だ。お面は姿を隠し通す効果を持っていた、得に神聖なるものから。
輝夜は兎面のお面を調製し直し、肩を竦めた。
「ジェイデンが割と追い込まれていた、早めに何とかしないと」
「さて。この空間でお元気でいらっしゃるのは先生と吉野、貴方たちだけです。僕たち妖怪はとても辛い、デコピン一発で死にそう」
「わしは少し行くところがある、此処でお別れだ。充分探るのも手伝っただろう」
「何をしに行くんだね? 銀次」
「誰も要らないのならわしがこの村の最後の住民であってもよかろう。可愛い子を迎えに行く」
そういえば銀次はずっとずっと、両思いのお婆さんを思い続けていたのだったと、輝夜は思い出せば頷き。そっと見送る。
暗い室内で、吉野は指先に灯りを点し、黒狐の面で顔を隠していた。
「先生、ちょっと連れションしてきていいかしら? 寒くてねえ、早く尿意きちゃうの」
「言われずとも早く行ってきてくれ、構わないから」
「じゃあ行きましょう吉野。少し。少しだけ絶対に動かないでくださいね」
輝夜は市松のじゃれ合いに少し違和感を感じたが、今はそれどころではないかと見逃した。
敵意もないから構う必要などもなかった。それが輝夜にとっての失敗だった。
トイレから戻ってくれば二人は、すっきりとした様子だった、トイレにいったからだと感じたが何かが違う。
どう言えば良いのか判らないが、何か、違和感があった。
「先生、それじゃ行きましょうか」
市松が優しく手を引いて、吉野がそのまま黙って後ろからついてくる。
二人に声をかけようとした刹那、騒ぎすぎた結果か、怨念めいた声が徐々に増えてきた。
このお面の効果で絶対に気付かれる覚えはないけれど、それでも中々光景はぞっとする。
怨念めいた幽霊のような真っ白い光が只管行き来してるのだから、輝夜達を探して。
輝夜たちは頃合いを見計らい、順調に水晶を壊しきると、最後にジェイデンのいる部屋にまで戻ってくる。
ジェイデンはそれまでに出入り口を塞いでいた像をどかしてくれたのか、すんなりと通ることが出来る。
「第一の推しー! やっぱりお前がいないと、しまらねえなあ!」
「感動もない再会はおいといてだな、乙姫ちゃんはそろそろまずそうだな。この子の心臓の解放どうする」
「大丈夫、僕が何とかします」
市松が丁寧に、吉野の経典をすらすらと唱えれば、ジェイデンは市松へ目を眇めた。
乙姫のまわりに青い光が集い、やがてぱりんっと鎖が割れた音が来る。
それと同時に盛大な威圧感を感じ取り、偉大なる何かが到来したと真っ先に感じ取る。
「……己の花嫁を逃すのはこれで、二度目か」
一室から伸びるベランダ越しに、白い髪色の、身体に赤い文様が沢山ついた神様が顕わになる。誰か様の始祖だ。
誰か様たちは沢山集い、まるで一つの巨大な化け物のような塊となっている。どんどん誰か様はそこへ吸収されるように集っていく。神様の背中がこんもりと、誰か様の集合体で満ちていた。産まれては消え、集まっては生まれを繰り返していた。
誰か様の始祖は、輝夜を手招いた、近づいてこいと示した。
神秘的であり、邪悪な光景であった。嫌悪感の走った輝夜は、乙姫を隠し。桃はきゃんきゃんきゃん!!!!と吠えた。
「よいよい、凡人には興味ない。その娘から解放してくれて感謝すらある」
「……じゃあさっさと神域に帰ってくれるかい? 君の顔、あまり見たくないのだ、私の親族全員君に世話になったから……なあ!」
輝夜は誰も止める隙も無くつかつかと歩み寄ると、神へぱあんとグーで殴りつけた。二発、三発をそのまま殴りつけていく。拳が真っ赤になっていっても。
「私はッ仮説をたてたよっ。分裂沢山しないといけないほど、細かくすればどうなるんだろうって! 君が群れになりたがるのは、群れでないとッ、悪霊になるからじゃないからかなってな! そこになおれ、細かくなるほど殴ってやる!」
今までの恨みが籠もっているのだろう。まだまだ殴ろうとする輝夜を吉野が止めて、連れ戻した。
誰か様の始祖は輝夜を睨み付け不遜な笑みを浮かべた。
「面白い女だ、よいだろう。見逃してやるが、賭けをしよう。お前が、無事に都会へ帰ることができたら、だ。己は、命を賭けたリアルタイムアタックが好きでな」
「どういう、こと、だ……わあ!?」
ごごごと地面が揺れ始める、屋敷が崩れ始めている。とんでもなく大きな地震だ。
この村に神は輝夜たちを生き埋めにするつもりだと悟れば、市松は輝夜を抱きかかえ、さっさと出て行こうとする。
「あとは任せましたよ吉野!」
「判った、行けよ、ほら。桃も、ジェイデンも! 乙姫さん連れて行け!」
吉野は経典を唱え始め、流暢な声に辺りの地響きとの落差がある。
吉野の周りだけは綺麗に地響きも地割れもせず、天井に何が落ちても透明のバリアで成立していた。経典の力かと思えば、吉野の足下には日本刀が紛れている。
「お、おう。お前、お前本当に吉野、なんだよな?」
「どこからどう見てもそうだろう!? ほら、話す暇があったらさっさとお行き」
ジェイデンは目論見を察すれば、輝夜を連れて出て行った市松に続いて、乙姫を抱えてバイクのある逃げ場へ向かう。
桃も一緒に駆けていくが、少しだけ迷いがあった。何かが、違和感があると。
桃が一瞬だけ振り返れば、やたらと切ない空気の吉野が仮面を外し。此方へ向ける顔は、桃にとって大好きな父親の顔になっていた。
「お、まえ……」
「桃、行けよ」
このままここにいて注意を惹きつけるのに集中すれば、どんな奴だって命がたまったものではないのは、この場では即座に幼子でも判る。
現にその場で直に神聖な気を浴びている市松の肌は少しずつ焼けている。顕わにした父親の顔はちょっとずつ焼けているのだ。火傷のように。
死んでしまうぞ、と言いかけた。
父親の顔は穏やかに笑い、桃は確かに覚悟を見届ければ、一気に駆け出しその場から逃げ出した。
さて、どうしようかとその場に残った吉野と名乗った市松は、前髪を掻き上げる。
「さあて、僕と心中なんていかがです?」
「鬼神を宛てなかったのはどうしてだ、そっちのほうが勝率があっただろうに、狐よ」
「……体力の無い神様に対峙して貰うのもおんぶにだっこすぎて、嫌でしょ? その点僕なら何もしてないですからね?」
「さらに今ならオレたちもいる」
屋根が崩れ始めている、屋敷越しの空から見えたのは猿田彦と雪女たちだった。
懐かしい幼なじみたちに囲まれて、市松は笑った。
「最期の、パーティをしましょう。愉しいですよきっと。さあ、決着をつけましょう? 先生の怨敵さん」
大きく屋敷が崩れ、地面もひび割れていく――市松は刀を千本全て虚空に現し始祖を狙う。始祖は大きな子供の形となり、頭だけが巨大にぶつぶつと子供達が集っていく。始祖は市松達へ手を伸ばす。
「さあ、我らが先生の偉大なる仮説を試しましょうよ、一体ずつプレゼントしてさしあげる。僕の刃、お受け取りになって!」
虚空に浮かんだ全ての刃物が、始祖へと向かった。




