第五十八話 貴方はきっと辛いでしょう
――連絡を受けたのは昼間で、やっと時間が空いたのが夕方だった。
病室を出れば輝夜は顔を顰める。
いよいよ父親が危なくなってきた。今なら判る、父親は誰か様に取り憑かれている。
父親の頭上には常に誰か様の人数がカウントされていた。
後から連絡を受けてきたのは御門だった、輝夜と鉢合わせるなり、記憶を覗き見し。
御門は顔を曇らせると、病室を微かにあけ少しだけ師匠を見れば瞬き。その様子に気付いた輝夜は御門の腕を小さく引いた。
「……私の血の連鎖をどうにかできるのか、今から間に合うのか」
何故そんな言葉が浮かんだかは分からない。ただ、御門なら何か判りそうな心細さ故に、縋ってしまった。輝夜はどうにかして、手がかりを手に入れたかった。輝夜の暗い顔で御門も察する。
「僕が言えることは、本当にどうにかしたかったら月夜村にいくしかないってことだ、それも今年以内にな」
それ以上は決まりが悪そうに御門は病室の中へ入り、翁へ挨拶をしながら雑談にいそしんだ。
輝夜はそんな二人を見つめながら、御門の言葉を反芻しながらチェーン店の寿司屋に入っていった。心は深いショックを受けていた、それでも食事はせねばならない。こういうとき何も考えずくるくる食事を廻っているのを無尽蔵に選ぶだけのシステムの方が有難かった。回転寿司はくるくると周りながら、少しお高めのお皿がやけに多く廻っている。少し昼を過ぎた時間帯ゆえにか。
まだ乾いていない真鯛へ手を伸ばそうとすれば隣に座っている者に先に取られ、目を向け輝夜は魂消た。
「……銀次、悪いが自分で払ってくれよ。余裕がないんだ」
「何処か旅行にでもいく資金でもためるのか?」
「そう、母さんの村にいってみる。ずっと目を背けてきた、村に行けば母さんが明確に何者か判ってしまうからね。私の憧れが消えてしまう、でもそんな場合じゃない」
「ならばそうだな。少し事情があってな、お前がもしあの村に行くなら手を貸してやってよい」
「盗み聞きしていたのか」
「いいや、あの場に居て気付かなかったのはおぬしらじゃ、勝手に気付かなかったお前さんらが悪いとおもわんかね?」
何処かぴりついた空気に輝夜は居心地の悪さを感じ、お茶を口にしてから卵を取ろうとしてまたしても銀次に先に取られたので観念してあまり考えたくないので目の前に廻っていたメニュー「はまち」と板前に頼み込めば、あいよーっと溌剌とした返事が返ってくる。
銀次の見てくれは何処かぼろぼろで、それでも品の良さだけは漂う。どこぞの貴族のような。お茶を飲む仕草でさえ華麗であり、ぼろさを感じない。
「輝夜、わしと手を組まぬか」
「……そのつもりできたんだろう、だとしたら私の返事は決まってる、いいぞ」
「……村に行く前に集めておかなければならないものがある、ようくお聞き。それを市松と取ってくるといい」
「市松もいないとまずいのか」
「ああ、何せ必要だからな。市松の里の、お面が三つ」
銀次は飄々としながら、鮪に手を伸ばすとうまいなあと心から綻んだ。
目的が分からない物の嫌な予感はしないので、輝夜はひとまずは頷いた。
「兎、烏天狗、それから黒狐。その三つの仮面を持ってきてからでないと、あの村はおすすめせんよ」
「お面に何か秘密が?」
「行けば判る。お前を守る術がきっと、それとなる」
銀次はひょいっと席を降りれば勘定は輝夜のものと店の中でカウントされていた、当たり前だ。他者には見えぬのだから。
お代は手を組む前払いと見込んだ輝夜は諦めて勘定を受け取り、静かにそのまま食事を済ませる。
銀次はそのまま杖を使い、何処かへ帰って行ったようだった――。
*
事務所に帰れば市松は珍しく明日の朝ご飯を用意してくれていた。市松は自炊が壊滅的にできないので、ダークマターを生み出されるよりは、買って置いてくれたほうがよほど有難い。
市松の買ったおにぎりを見て夕飯に気が回ってなかったことを思い出し、昼飯の寿司を思い出した。
寿司とは祝いの席の食事だ、親不孝なのかもしれないと唸りながら、目の前のわかめおにぎりを見つめた。それが食事に必要な手段だったとしても。
市松なりに気遣ってくれている様子で、声もかけず寝たふりをしている。
声をかけるかどうかは好きにしろ、という体裁だろう。この過保護な妖怪が口だししない精一杯の気遣いをしている。自分の意思で、村に行くか決めろと。父親の連絡を受けたときその場にいたから、市松も気付いてはいるだろう。
寝たふりをしている市松に近づいて、膝を折るとしゃがみこむような姿勢で声をかけることとした。
「市松、頼みがある」
「――今回は、できれば引き受けたくはないのです。これは僕の親切よ」
「でも、行かなきゃならない。大事な人を失う」
「貴方自身はどうでもよいの?」
「判らない。あの命の問いかけの日から判らないんだ。いつか猿面の人に脅されたことがある、お前か私の命を選べと」
「先生のことだから自分を蔑ろにしたんでしょう? そういうところ、とても嫌い」
「まあ聞けよ。それでも私の心は嘘をついてる、とされたんだ。本当は自分が助かりたいんだろうって」
「……先生はご自分が大事なのにご自分を棄てる理由が、僕には分からないの。だからこそ、思うのよ。貴方はきっと、イカれてるって」
「そうなんだろうね。怖くても嫌でも、きっと私は他者を選び続けるのだろう。だから、その私だと認めて欲しい。認めた上で、聞いて欲しい」
「……参ったね、真剣な顔をすると本当迫力のある美女になる、くらりとくるくらいの色気を急に持つのだから卑怯だね」
市松は揶揄しながら起き上がり、狐面をゆっくりと外し、母の顔を見せた。
輝夜の母を見せつけ、声を母の声に瞬間的に真似ると、輝夜は流石に身を凍らせた。
震える輝夜に市松はにこりと笑いかけて、そうっと細い首を撫でる。喉を撫で、首筋を撫で、そうっと唇をなぞる。
「先生、一つだけ。たった一つだけ、お願いがあるの」
「……母さんの声で言われると驚くね、何だね」
「一度狂った貴方を認めたなら、後は死ぬまで狂い続けて、赤い靴を履いて踊り狂ってね」
「自らの意思で踊り狂うことを約束しよう。市松、お願いだ」
輝夜はしっかりと市松の、母親の面持ちをしっかりと見つめ言葉にした。
「君の村に案内してくれ。お面が欲しいんだ」
踊り狂う赤い靴を履いた娘の成り行きを見届けたい市松の答えは決まっていた。
赤い靴を脱がないとまで意思を硬く決めた輝夜には、何を言っても無駄なのだから。
それなら嫌われないように認めるしか無かった。




