第五十七話 お願いがあります
今回の編は一話完結とは言いづらい連載っぽいかんじです。
寝ても覚めても、あの狂姫が放った捨て身の偽善が纏わり付く。
脳裏から離れられない、人の鬼気迫った偽善にすっかり猿田彦は怯えていた。
猿田彦は市松と同じで性悪説なるものしか知らず、性善説なるものを知らなかった。
だからこそ、そんな狂気の沙汰を目の当たりにしたことなど、片手にしても余るほどだった。
惹かれているのではない、寝ても覚めても脳裏から離れないのは畏怖からだ。
見聞きしたことはあるものの、伝説級の善人に初めて出会い、猿田彦は心底怯えた。
銀次を騙し裏で画策し、妖怪の王にまで上り詰めることさえ可能であった。それなのにたった一人の女性に畏怖するなどあってはいけない。
何故、何故そんな恐ろしい化け物に取り憑かれているのか、市松は。
一刻も早く市松を輝夜から逃げさせたかった、あんな狂気など常に浴びていてはいいものではない。善人など、いつか、火の粉を浴びるに違いない。市松まで火傷を負うに決まっている。
ましてや、本心からの善ではない。美学を、突き詰めた末の、心だ。
美しくない結果となれば市松は見棄てられるのではないだろうか、否、それも美しくはない。何かしらにせよ、市松が何かの犠牲や、火の粉を浴びて大やけどする未来しか見えなかった。
(お前、とんでもない時限爆弾を拾ったんだな……)
丸太小屋の塒にて悪夢から目覚めて、寝起きにぼんやりとかつての友を過らせた。
室内は布団しか敷かれていないが、側で囲炉裏が何かの鍋を煮ていた。妻は雪女であるから、この料理を作ったのはきっと村の者だと判断すれば、小さな吐息を着く。
いつ自爆しそうか判らない。とんでもない厄介者とかかわっている。
市松は昔からそうだった、変わり者の代表者だった。村で特別変わり者だったゆえに、価値観が面白くて。そんな市松とつるむのが、猿田彦は気に入っていた。
(お前となら楽しい光景になるはずだって、思ったんだ。長の座も)
猿田彦は悔しい思いで一杯だ。生涯の友を、何故人間なんかにくれてやれるのだ。
これが妖怪の番であるならば猿田彦とて両手で手放しに幸せを祝える。幸せにおなり、と喜べたはずだったのだ。隣で子供同士がまた輩になる未来でさえあったはず。
何故その女だったんだ、その一言に尽きる。
「……そんなお前なんか、見たく。なかったんだよ。お前なんか死ねば良いのに」
猿田彦は毛布に蹲りながら小さく呟いた。
「あっさり死ぬ奴ならここまで気にかけないのに、そういうところが嫌いだ」
*
「もふもふが足りねえ、やっぱ癒やしは大事だよな」
ジェイデンは桃からの電話を待つも、一向に来ず。
輝夜のほうにはくるのに電話は自分に来ないのだからフラストレーションが高まる。
資金に余裕が出来、あとは遊ぼうが遊ばないだろうが生きていくだけの金は山ほど得たわけなのだから。いっそ月夜村にいって桃の手伝いをしてもいいだろう。
そうときまれば父親から正規に突入できる理由を作って村に話を通して貰う。こういうときは二代揃ってストーカーだと便利だ。村は古めかしい掟が全ての世界だからこそ、礼儀や儀礼はしっかりと通さねばならない。後々面倒になる。公に動ける存在がいた方が良いはずだとも思っている。
父親は凶悪な声で電話越しに話を通した連絡をしてくれて、これでしっかりと遊びに行ける名目が出来た。父親ときたら褒美に輝夜の動画を要求するのだからちゃっかりしているものだ。
何にせよこれであの天才的に愛らしい犬をこの目でしっかり見られるのだ。期待は高まる。
輝夜の側を離れる前に廃人に仕立てた女性たちを操り、輝夜に何かあれば連絡し見張るように施しておく。瞳はしっかりと赤さを見せて念を押して身体を使ってお願いすれば、廃人の恋人たちはしっかりと虜に頷いた。
小回りのきくバイクで時折給油しながら月夜村を探す。話を聞いてはいたが、確かに地場も狂うし。景色も竹林ばかりでどこも同じ景色で感覚が狂いそうになる。
きゃんっと愛らしい鳴き声が聞こえ、覚えのあったジェイデンは迷いもなく声の方角へ進んでいく。先の道には美しい少女と、ポメラニアンの遊ぶ姿があった。
ポメラニアンは自分に気付くなり、大きく吠えて、唸った。
愛らしくてたまらない仕草を生で見られたジェイデンは、それだけで村に来た甲斐はあった。
「どなたさまですか?」
「村のじいさんばあさんから聞いてないか? 誰か様方の像を造りに来たんだ」
「あ! 判ります、聞いてます。ジェイデン様ですね、ようこそお越しくださいました」
年の割にはしっかりしすぎた挨拶を見て、ジェイデンは少しだけ寂しさを覚えた。
こういう年頃はもうちょっとそそっかしかったり、無礼であるくらいがちょうどいいというのに。お辞儀の角度ですら、大人顔負けだ。よほど厳しく躾けられたのだろうと思案にも容易い感覚に、愛想笑いを浮かべる。
「ジェイデン・スミスだ」
「佐幸乙姫です、よろしく」
名前を聞くなりジェイデンは咽せた。どうりでやたらと綺麗なはずだし、桃が吠えるはずだ。輝夜のストーカーなのだから警戒されても可笑しくはない。
ジェイデンはコレクションにしたいと軽い気持ちでサングラスを外して、興味本位で赤い目で笑いかける。
「案内してくれるかな」
「……あ、はい、こちらへどうぞ」
目に魅入られた様子にジェイデンは出だしは順調と思いつつ、足下で桃が前足でがりがり引っ掻くし、噛みつくので大満足である。
桃は本当に、愛らしい動作の天才だと感心しながらジェイデンは桃を抱き上げた。
移動にはこのほうが速いだろうと、バイクに桃を載せてそのままバイクを押しながら案内される。乙姫の反応より、桃からの反応のが楽しいので瞳の効果はさほど気にしなかった。何よりただ反抗もなく受け入れられるだけなのはつまらない。今のところジェイデンの興味は桃と輝夜に繋がる村だった。
「まあようこそいらっしゃいました!」
愛想を浮かべるより人受けするには目を見せるが速いと、ジェイデンはサングラスを外したまま村人と接することとした。
愛嬌を増して瞳を見せれば大体のことは受け入れて貰えるし、嫌な思いをさせることなどない。要求も受け入れやすくなるはずだし、後々何らかの折りに交渉をするかもしれないのであれば目を見せて操りやすくしておいたほうのメリットが高い。
交渉は内容は明確ではないが、きっと何らかするだろう気はする。
乙姫の母親らしき女性は、滞在先となってる部屋へ案内すれば、話し込み始める。
屋敷の中は木像の古い建築ゆえにしっかりと重厚な存在感と、気候の良さがあったからか、室温は適温だった。垂れ下がったランプが何処かノスタルジックさを感じる。
「民宿もないような辺鄙なところなので、我が家に泊まってて貰います、期間中は乙姫にご用の際は申しつけてください」
「ええ、助かります。それでええと、年内に何体彫ればいいんですかね」
「百体ほどは望ましいかと」
百体以上か、と寒気を感じながらも感情は押し殺しジェイデンは頷いた。
部屋に自分だけとなれば荷物を下ろし、旅の疲れを癒やす。この辺には給油できるところもないだろうから、バイクは乗らずに途中で街に出くわすまでは押して歩く羽目になるだろう。それでも荷物にはならないはずだ。メンテナンス用の荷物も、環境も事前に確認した。
幸いまったく機械を使っていないわけじゃないのだから、もしかしたらガソリンくらいは補給して貰えるチャンスもそのうちでるかもしれない。完全に下界と遮断されてるわけでもなさそうな気はした。道さえ覚えれば。
乙姫の家は、古くさくも立派な木造の屋敷で、襖には不思議な念仏が達筆に印されている。古い物の様子で、ご先祖様や家紋まで飾られている。
やたら線香の匂いがする室内に、空間だけはだだっ広く、客室といえど二十間もありあまりに広すぎて寂しさが募る。家具もテレビはないし、かろうじてある古いラジオ。弄ってみれば電波は入らないので意味があるのかないのか。押し入れにはたんまりと暖かい布団とマットレスが詰まれていて、色あせた時代遅れのアイドルがのったポスターも飾られている。今このアイドルが幾つなのかを考えたくはない程の年期入り。
本棚があり、そこにはこの村の史実と、誰か様の教えたるものがぎっしりとあった。
「あー、なるほどなあ……」
家紋がどう見ても立派な形をしているものだから、名家なのは想像に容易かった。
部屋にある書物から読み解けば、代々そういうやばいものに纏わる家系の様子であった。端的に言えば、必ず誰かしらが人身御供している家系。
よく言えばご立派な精神、悪く言えば自己犠牲の家系。輝夜の成り立ちに触れれば、熱狂的ファンのジェイデンとしては身が興奮で震える。
(この家から特殊な価値観が生まれ、そこから輝夜に影響を受け……なるほど、聖地巡礼楽しいな)
ジェイデンは灰皿を探しながら自らの荷物を漁れば、荷物からぽろりと零れてきた華石に瞬く。
量産できないのにここに在るということは父親からのメッセージだ、持って行けと。紛れもなくお前自身が使って、何かあれば免罪符にしろとのことだろう。
大事なものに心当たりがあったジェイデンは捧げるなんてぞっとした。輝夜のようにはなれない。
「それでも必要な物なんだろうな」
「それはそうだ、敵の本拠地のようなものなのだから」
声がしたので振り向けばポメラニアンが唸りながら睨み付けていた。てちてちと歩きながら時折畳を引っ掻いている。
ジェイデンは一気にオタクのような籠もった笑いをし、桃へと距離を一気に詰めた。
「会いたかった! 第二の推し!」
「いつからそうなったんだ!? まったく、気色の悪いことだ。何しにきた?」
「手ェ貸してやろうと思って。お前一人で全部は出来ないだろう?」
「……まあな、この通り人の手も使えぬ。昼間も夜も乙姫の側にいないと心配だしな」
「なるほどお前ああいうやつ好みか、いいぞいいぞ、お兄さんは応援してやる」
「冗談は置いといて。吉野さんの来訪といい、どうやらこの村はそろそろ終わりにされるようだな。お前がいるということは」
桃からの問いかけにジェイデンは、それまで人なつこい笑みを浮かべていたが、一気に芳しい笑みに変え妖しく目を光らせた。
にっこりと微笑んでから、ジェイデンは再び灰皿を探し見つけ出すと、タバコに火を点けた。
「この村が何で百体以上像を欲してるか判るか?」
「信仰じゃないのか」
「そうだな、最後の信仰だ。あれを供養として奉って自分たちは出て行くって意味だ。要求されてる数はこの村の人数分。皆が無事に出て行けるようにってことだ」
「乙姫も出て行ける?」
「……そこがわかんねえとこだな。会ってすぐ判ったあの娘には、何かが施されている。それを素直に村人が正すわけがないって空気も伝わってる」
「それなら像も足りないのでは?」
「それが像は人数分あるんだよな、これが謎でな……この村に居る人の人数分は依頼されてる、だからまあ。そこで良い話をしようじゃあねえか、桃」
「お前もこの村を探って輝夜を助けたいのだろう? 損得のない話をする人情家ではないだろうお前は」
「そ、俺は善人様じゃないんでね。けどえげつないほど狂ってる善人様自体は守りたい。そのほうが推しからグッズを正式に貰えそうだしな。オレからのお願いを髪の毛一本でさえ拒否できなくなる、とても愉快な未来だ」
「捻くれた男だ変わらず。素直に恋心にするわけでもなくなったのか、まあいい。乙姫の相手をしてる間にお前が探るなら僕としても楽だ」
「乙姫ちゃんの情報はオレの家庭にもあまり行き渡っていなくてな、これから調べないと」
「……ジェイデンは、心臓に何か術を施す、っていうのは心当たりあるか?」
桃からの言葉でジェイデンは眉間に皺を寄せ、タバコを一気に吸い、灰を多く灰皿に積もらせれば。桃の頭を撫で、手触りの良さに顔を綻ばせた。
しかし話題の重さに口はあまり溌剌とはいきづらかった。
「断言はできねえけど。予測するからに、心臓に施すって行為は何かとの代替えだ。あの子の命と何かが引き換えになってるな。この家系からしてみても明らかだ」
「……解けるのか?」
くうんと項垂れる桃の様子にジェイデンはきゅんきゅんとときめき、はあはあと吐息荒く桃を抱きしめる。
「動画三つ分」
「は?」
「お前が可愛らしい犬としての動作をする動画十五分のものを三つ撮って良いなら、解除に協力してやる。お前の全身全霊で、全力でもって可愛いポメラニアンを演技しろ」
「お前の好きなノーライフノー狂人の佐幸の家だぞ!?」
「佐幸一家だからなんだっていいわけじゃねえんだ、オレは狂ってる奴が好きだ。馬鹿みたいにイカれてて、オレにないもんを持ってる奴がな! あの子は多分常識人だ、まともな子には惹かれねえ」
「……お前たち大人に呆れるよ、わかった。いいだろう、報酬は達成後だ」
桃は降伏の証として腹を見せれば、ジェイデンは腹に顔を埋めもふもふさを堪能してから、姿勢を正し。
飲みかけのペットボトルの珈琲を一気に呷り、喉の渇きを潤すと荷物から経典を取り出した。
「オレは一つの答えに辿り着いたんだ。誰か様は他の神様が嫌いだ、かといって偉大な神様が効くってわけじゃねえ」
「その法則を見つけたのか? 誰か様に効く神様を」
「案外側にいたのさ。誰にでも力を貸す神様じゃマックスまで力を引き出せない。他のやつからの助けにも応えるからな。お前には肩入れする神様が必要だったんだ」
「待て……覚えがあるぞ、それって」
「そう、あの鬼を奉ってるところの経典を取ってきた。あの鬼のことだ力尽きるまで肩入れして守ってくれるだろう、その力は絶大だ」
「……吉野さんの、力」
経典を見せれば確かに何処か親しみのある空気感が漂う。少なくとも相性が悪いと言うことは絶対にない予感さえ感じさせる物だ。
吉野のことだ、もしかしたらこうなる未来を見通して、一時期居なかったのかも知れない。力を増強するために。
「鬼とは思えないほどの献身ぶりだ、あいつは本当人間だったら間違いなく狂人ベストワン。でも神様だからセーフ」
「神の執着は昔からやばいものだと父さんから聞いていた。輝夜を押し倒して孕ませない辺りは紳士だと思うよ」
「子供が孕ませるなんて意味分かってるのか、最近のガキは恐ろしいな!? まあそういうことだから。熱心な信者にお前がなれ、このお経をお前も覚えろ」
「……幽霊が覚えたら僕は除霊されないか?」
「犬の身に入っていれば大丈夫だろ、破邪にもなる、犬から通せば。そこから先のことはこの村調べてからだなあ」
桃は経典をかりかり引っ掻き、くんくんと匂いを嗅いでくしゅっとくしゃみをした。
それだけでたまらないのかジェイデンは露骨にスマホに収めた。桃はジェイデンの動作に気付くと唸るが、ジェイデンに抱えられ誤魔化される。
「まあそういうことだから仲良くしような、一年ばかり」
「一年で良いなら我慢してやる!」
「不思議だよなあ、人間の幽霊姿のときは小生意気なガキなのに、犬の姿になれば可愛くてたまらないんだからなあ……」
「撫でるな! 尻尾握るな!」
「あー、ポメラニアン写真集作ってやろう、オレのスマホが火を噴くぜ……」
暫く賑やかで五月蠅い日々になる予感へ、桃は覚悟すると項垂れた。
そんな姿でさえカメラに収められるのである。




