第五十六話 狐と帝はそして、理解した
心が帰ってきてから御門は幾らか表情に柔らかさが表れた。
輝夜に依頼料はきちんと払って、これはまだ吉野が戻ってくる前の話だ。
「仕事終わり、会社前で待ってろ」
「ええ、そんな強引な……」
「いいか待ってろ、でなきゃぶっ飛ばす」
清掃業の仕事先がたまたま御門の仕事先で、偶然鉢合わせた瞬間に睨み殺される勢いで、待ち合わせの予定を組まれた。
市松は何故か御門に誘われて一緒におでん屋の屋台を共にする。
一体何でこんなことになってるんだか、と市松はやけに美味しい日本酒を口にしながら大根をつつく。
「人は一度死にかけると、異能に目覚めるらしい」
「へ?」
「僕はこのところなあ、心が戻ってから他人の心や過去を垣間見られるようになってねえ」
睨み付けるような原因に一気に心当たりが出てきた市松は、青ざめたり赤面しながら席を無言で立とうとしたが、御門に捕まり席に座り直させられ思わず姿勢がしゃきっとする。
御門はふん、と鼻を鳴らしながら市松を見やってから熱燗を呷り、餅巾着を口にしてから話題を切り出す。
「お前たち異形のお気に入りなんだな、あの馬鹿は」
「そのようで」
「それで? 吉野の方はまだ再会してねえから判んないけど。アンタは、あの女に、気持ちがある」
「……そう簡単に言葉にしないでくださいよ」
「山から下りてきた日、凄かったよアンタの心。とても大きな声だった。あいつが好きだ好きだって。それなのに、どういうことかな? 僕とくっつけないと、って」
「あ……そこまで判っちゃうんですかあ、すごいですねえ」
「話そらさないでよ。なあに、赤い糸って。僕は恋人いるんだけど。あの馬鹿とくっつく気なんてないんだけど。他人様の恋愛邪魔してまで、あの恋愛音痴を押しつけないでくれないかなあ!?」
「えっ、そんなっ、調査したときは居なかったのに!? 恋人のこの字すらなかったのに!?」
「ずっと文通してた子がいて、先日再会してようやく結ばれてね。十年越しの恋だ、ざまあみろ。それで、それを邪魔する相応の理由があるんだろうねえ!?」
これ以上は黙っているのはまずいと、降参した市松は渋々事情を話し始めた。
輝夜は怪奇なものに好かれやすいこと、自分の気持ち。それから、輝夜の捨て身の偽善。見てる方の辛さ。偽善を本心より優先する狂気。
ところどころ目は見張るものの、真剣に呆れもせず御門は聞いてくれた。最後まで茶々を入れず聞いてくれた辺り、人が良い。流石見繕って宛がわれた人、相手はいたのは計算外だけれど。
市松は赤裸々に全てを話し終えると、御門に頬を引っ張られた。
「なにするんでうは」
「あのね、自分の都合だけで全部巻き込むんじゃないよ。何がどうして偽善なんだ」
「……他の人にはきっと理解できないもの、僕らでさえ理解できない。あんな純粋な狂気、心配になっちゃう」
「狂気になるほど真剣だったってことは、本心じゃ無くてもそれは偽善じゃないよ。おばさんの真似だとしても、歪んでいても。歪んでいるけど、そこだけは認めようって思った。僕は今回のことで決めた」
「偽善じゃ……ない?」
「偽善者じゃない。実現する奴は、ちゃんと善人だ」
輝夜と同じ人間に初めて輝夜を肯定され、市松は思わず立ち上がるほど驚いた。
立ち上がってから、はっとして座り直し、真剣な御門の顔を見つめる。
「行動力がありすぎる善だと思っておけばいいじゃないか。真っ当な善なんてない。狂気なんだよ、善人は。助けきれなくて恨まれることも沢山あるだろうに、ずっと助けることを選ぶんだからそれは狂気にもなる。おばさんも狂気だった」
「人間は……人間なら否定すると思っていた」
「あのなあ、人間人間っていうけど個体差あるぜ? 赤い糸だって運命を選ぶ奴もいれば、運命に抗う奴もいる。ひとくくりにしたのがお前たちの馬鹿さ加減だ」
「じゃあ先生は仲間はずれにされない? 受け入れられるの? 僕嫌よ、僕みたいに仲間はずれにされるの」
市松は酒の入ったグラスをいじり回しながら、項垂れ仮面をそっと外し、輝夜の母親の顔を見せる。
その顔に少しだけ事情を聞いたとは言え御門は嫌悪したが、その怒りは少し見ない振りをしてやった。
市松の顔への葛藤も窺えたからである。否、過去や輝夜の母親との因縁も何かしら見えてくる。
存外便利な異能に、情報量が多すぎて御門は少しだけ目眩がした。
「僕ね、とても人間くさいのだって。他の子は簡単に人間を殺すの、僕も頑張ったし真似た。でもどうしても出来ない場合もあるの」
「……そういうことか、お前のそのイメージは」
「何か見えてるのね……そう、僕は。先生のお母さんを殺せなかった」
「おじさんの言ってた子供の集団に、呪い殺されたんじゃ無いのか」
「呪いもあるよ、……あの人僕の事情知ってたから、それなら顔を持っていってって……それが遺言だった」
「雲雀さんは昔から変な度胸と、独自の価値観があった。僕にはあの人こそ理解できない……」
「でも、でも僕が殺したようなものです。まあ、それで。先生は理解されるんですか、他の人に?」
「されるわけないじゃん、でもそれでいいんじゃない? 一番の理解者がいるじゃないか」
「? 御門さんは恋人できたのでしょう?」
「そう僕じゃない。あいつのヒーローは僕じゃない。……別に同族がそばにいなくたって。一人じゃなきゃ案外楽しそうだけど。僕からは、人間から理解されなくてもお前たちがいるならいいんじゃないかって思えてくる」
「……僕はあの人の狂気の原点ですよ」
「なら余計にお前が側にいろよ。僕に押しつけるな、他の人にも。責任逃れしないで、自分の気持ちと向き合えよ」
御門からの言葉に、市松は考え込み、ふと物思いに耽る。
「……かぐや姫と帝は結ばれるものかと思ってましたけど、そうね。物語でも月に戻っていくものね」
「そう、お前がいつか何とかしなきゃいけないのは、人間やあいつの価値観なんかじゃなくて。母親の村だよ」
御門からのお怒りに、有難く市松は拝聴し。
その日は市松が支払い、ぐたぐたに酔い潰れながら輝夜の事務所に向かった。
輝夜は事務所の社長椅子で堂々と転た寝をしている。
市松はその姿を見て。
「……そっか。貴方は、きちんと、善だったのですね。もう貴方を変えようとしない、好きに化け物におなり。貴方を背中から撃つ奴くらいなら何とかしてあげる」
ようやく価値観を改め直す実感を感じ、自分の中に芽吹く感情を認めざるを得なかった。
善人であれば潰されやすい。善人が倒れぬように、善をきちんと信念で行えるように、守ってやらねば支えてやらねばと。
「……僕のカグヤ、かぐや姫。どこまで美学を貫けるか、とくと魅せてくれよ。僕は、狂っているから貴方がもう好きなんだ。狂わない貴方はやっぱり、少し嫌だ」
酔い潰れた市松ははにかみ、そのまま扉に寄りかかって座り込むと酔いの眠気に任せて眠りこけた。
輝夜の母親を借りた寝顔は何処かすややかで、憑きものがとれたかのように爽やかであった。
この章はこれで終わりです。速ければ一週間、遅ければ二週間でまた新しい章を再開します。




