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第五十五話 貴方は本当に余計なことをする

 本当に輝夜の幸運は極端だなと市松が感じたのは、吉野が神域の世界に帰還した次の日に登山だと決めていたことだった。

 偶然だというのだから、思わず声を失うしかない。

 市松は行楽弁当を楽しみに、しっかりと登山の準備をして、輝夜のようやくできた人間らしい趣味に付き合うこととした。

 御門からの依頼も兼ねて。御門は仕事があり、来られないとのことだから、しっかりと二人だ。

 市松も登山用品を揃えたうえに、服装もこの日ばかりはコートというわけにはいかなかった。

 長ったらしい革のコートは少し山には邪魔くさい。それどころか汚してしまいそうだ。

 狐面もこの日は流石に控え、人間用のよそ行きの顔を用意しておく。

 よって、この日は輝夜の目に映る市松は見知らぬ男の顔をしていた。それは他の人間からも印象は同じで、人間に化けたのだ。


 市松と輝夜は電車を乗り継ぐと、霊山とされる山へ登山を目指す。

 といってもこの霊山は昨今では険しいコースさえ選ばなければ、幾らか山を登ってきた経験者であれば安心の筈。

 だがそれは一般人に関しての話。


「まず僕が先頭に登りますから、先生は後ろをお願いしますね」

「レディーファーストじゃないのか」

「貴方にレディーが務まると思ってるんですか、自己評価高いですね」


 嫌みたらしい言い方で市松は「普段から女性らしくしていないのに」とレディ失格であることを丁重に伝える。

 輝夜は不満そうに市松の後ろから登り始める、最近買った杖は手に馴染む、登山を手伝うのにとても良い品となった。


 山の生け贄とは一体何のことか。

 その条件を整えれば御門の心に繋がるヒントがしっかりとある気がするのは輝夜だけではなかった。

「こういうのは山での人里離れた遭難者、と決まっているのです。神秘的な体験に、大勢の目撃者はあり得ないでしょう? 精々他の山のやばいやつに気をつけましょう」

「なら登るのは当初どおり、あのコースだな」

「そうですね、順当に条件が揃いやすいでしょう。初心者の霊山難関コースって誰もが止める遭難コースだ」

 だからこそ、輝夜はしっかりと条件であろうはずの、険しいコースに入る覚悟をした。

 どう見ても異常が起きそうだ、相手が輝夜であるならば。

 市松と共に険しい登山コースに入ると、早々に厄介なものにでくわした。

 木々を切る音が聞こえる、それだけならまだ気のせいかと思うがその音を聞くだけで具合が悪くなる。

 輝夜は市松の服を引っ張ると、市松は振り返り一気に表情で警戒を伝える。

 ざわざわと木々が揺れ嫌な空気や汗が纏わり付く、輝夜が転びかけたが咄嗟に市松が支える。

 支えたところで、市松が辺りを窺い道を変えた。

 きっと一般人だったら道を変えるなど命を粗末にするのかと怒られてもしかたがない。

 ただ、輝夜の生き様を知るものはしょうがないねと頷くしかない出来事だった。

 事実道を変えれば木を切る音は遠ざかり、具合もよくなっていった。道がよくないのだと考えるしかない出来事だった。


「さて、早速コースから外れましたね、どう登っていきましょう」

「すぐに道を戻しても同じ目にあいそうだよな」

「ぐるぐる廻っても遭難になりましょうか、踊って手を打ってへい、なんて歌ってすぐ現れたら楽なのに」

「コンパスもきかない地場の山だったよな確か」

「そう。でもきっと大丈夫、いざとなれば色々手立てはありますもの。帰宅が目的なら手段は沢山あるのです、僕と一緒ならね。ですから離れないように」


 市松は「適当に散歩しましょう」と気軽に何も考えず歩き始めた。

 人外と一緒で安心なのは、そういう人には無理だと言わせる経験を可能に変えていく力だろうか。

 輝夜と市松はある程度登れば、お腹が空いたので休憩にすることとした。

 丁度休憩所になりそうな開けた場所も見つかったので良い頃合いだろうと。


「先生、先生はこのまま探偵をなさっていきたいの?」

「それで生計を立てているからね」

「そう、でもきっともっと安全な仕事もあるはずよ。御門さんに紹介してもらったら?」

「あの真面目さが私にもあればあうんだろうね」

「あうよ、きっと。イイ人だもの」


 休憩の折りに市松がぼそりと問いかけてきたのだから、輝夜は驚いた顔で市松を見やる。

 市松はとても真剣な顔で言い返すと、水筒の水をからりと飲んだ。


「先生は結婚とかなさらないの?」

「それにはまず相手がいないと始まらないだろう」

「先生は浮いた話もないから、そのつもりはないのかと思っていた。イイ人いないの?」

「今までにいたら君たちはとっくに追い払われているよ」

「それもそうだけど。……僕らがいるからできないのなら、僕がお邪魔するからできないのなら、今度から他所にいく?」

「気にすることないよ、お前が私の私事に無理矢理関わってきた覚えもない。それにときめく人もいない、その上で君たちまでいなければただの寂しい奇人だ」

「奇人変人の自覚はあったんですね……そう、そうなの」



 輝夜の言葉に一気に市松は安心したと同時に不愉快だった。

 御門との仲をどう進展させようかヒントにしたかったのに、色恋の気配が一つも無い輝夜に安堵した自分へ対して嫌悪感が過ったのだ。

 何をどうして自分の都合で輝夜を色恋に当てはめようというのに、安堵するなど身勝手すぎる。

 それでいて心はやけに穏やかなのだから、まるで人間のようだと苛立つ。


(僕はもしかすると……いや、いいえ、認めない)


 色恋の他に、市松は認めたくない思いがあった。

 それは、輝夜が一回死んだ頃に封じた思いと似ていて非なる物だった。叶えようとすればもう一度嫌な出来事に遭遇するはずだと、見ない振りをした。


「先生はずうっと奇人変人よ。さて、そろそろいいでしょう。あの手紙の主でも引っ張り出す儀式をしますか」

「条件はきっと揃っているよな、霊山に、遭難。それからあとは……」

「そうね、あとは食料がなくなれば完璧。というわけでお弁当にしましょう、僕のテンションもあがります」




「おお、それっぽい空気でてきましたね」


 お弁当を食べ終わって二時間後歩き回った頃合いに霧が滲んできた。

 市松は日本刀何本かで自分と輝夜を囲うと、日本刀で囲っている範囲には霧が入り込まず視界はクリアなままであった。

 霧は暫くすると雪へと変わり、吹雪へと変化していく。


 現れたのは雪女の姉の方、苺であった。前回輝夜の事務所に結界を施した女だ。

 にっこりと笑えば、日本刀を見るなり睨み付け腕を組んだ。


「小賢しいわね貴方ほんとうに。そのままでいいの、市松。居場所がなくなっていくと思わない?」

「居場所? そのようなもの最初から僕には御座いませんよ」

「どうして。旦那様が一生懸命貴方に作ってあげたじゃない、それを無碍にするの?」

「他者が強引に作った居場所って煙たがられるんですよ。僕もね、煙たがられていた。だって皆と僕の価値観って違うから」

「……そんなんだから友達が旦那様以外いなかったのよ」

「いいえ、お友達なら先生がもういます」


 市松に纏わる話に輝夜は少しだけ興味がわいたが、これ以上二人は市松の事情は口出ししない様子だった。

 市松は聞いている限りだと仲間はずれにされていたのだろうか。価値観とやらが合わずに。それではなんだかまるで、自分自身を見ているようだ、と輝夜は少しだけ親しみを感じた。


「君は道案内したお姉さんだね」

「そうあの時は有難う、お陰で旦那様と会えたわ。ねえでもね、旦那様はとても貴方が邪魔なの。貴方に怯えている、貴方が怖くて魘されている」

「ええ? 猿田彦魘されてるんですか、先生の何を畏れるんです、こんな力のないひとに」

「力はないのに……そう、そこは私も不思議。その子の何を一体そんなに怯えたのかしら」


 輝夜には心当たりはなく、怯えさせた覚えもない。

 小馬鹿にするような市松の言葉に、心から賛同するような苺は日本刀を吹雪で次々と飛ばしていく。飛ばされた数だけクリアだった視界の結界に罅が入っていく。

 市松は次々と日本刀を置き直すもどんどん飛ばされていく、いたちごっこだ。

 まずいな、と思案した頃合いに輝夜が結界の外に腕を出し。先ほどから時折触れる雪に何かを感じていたのか、腕を出してその何かを確信すれば市松より前に出た。


「先生?」

「生け贄を渡せば、御門の心を返してくれるんだったな」

「先生、まさか……やめてください、前に出ないで」


 市松が輝夜を捕まえようとした刹那、輝夜はするりと捕らえられる寸前で前に出て、日本刀の結界より離れた。

 輝夜の心構えに、そうだこの人は偽善で出来ていると思いだした市松は舌打ちをするも、苺があっという間に輝夜を捕らえる。


「いいわ、貴方が氷漬けになるなら。返してあげる、あの子の心」

「やめて、先生、それはなしですよ。貴方も無事に帰って!」

「市松、大丈夫だ。私は運が良いんだ、それにな不思議な予感がする。私に触れる雪が暖かいんだ、きっと誰かが守ってる」

「そんな、吉野もいないのに!? 他に誰がいるというの!」

「判らない、でもきっと。これは、私を守るという意思で。その為には私の一生懸命を見せなければいけないんだ、だから市松」


 輝夜は晴れやかな笑顔で微笑むと、一気に苺の手に寄って氷漬けになった。

 顔に氷が来る寸前で輝夜は市松に頼み込み、敬礼を市松に向けたままかちりと凍った。綺麗にクリスタルのような氷の中に収まっている。


「人任せで済まないが、あとは頼んだ」


 一気に氷漬けになった月の寵姫の最後の一言に、市松は涙さえ凍り付かせて時が止まる。

 苺は嬉々として、市松に笑いかける。


「はい、これ。あげるわ、あの子の心。御門クン……だっけ? 人間の子供の心よ。見てほら、幼かった頃にコレクションにしたからとても綺麗なの」

「……ッてめえ……」

「あら怒るのはお門違いじゃない? イイコの輝夜が自ら志願して取引材料になってくれたの。だから貴方はこれを受け取らないと、取引は成立しないわ」


 悔しさで胸が一杯になった市松はふと、輝夜の氷に触れて一気に開眼し。

 不敵に笑えば、苺の手元で綺麗にゆらゆらと揺れていた美しいピンク色であるヒトダマを受け取る。


「これを元に戻すにはどうすれば?」

「簡単よ、空に放てばいいの」


 調子に乗った苺が丁寧にレクチャーすれば市松はその通りに実践し、心は綺麗に空へ戻り、一気にヒトダマが空に散ればこれは心が御門の元に戻ったんだとすぐに市松でさえ気付いた。

 なので、合図を送る。暖かい氷を作って先に輝夜を氷漬けし、苺が氷漬けにしたのだと勘違いさせた主に。


「それで先生は無事なんですよね」

「無事なわけないじゃない、氷漬けにしたのよ?」

「ああすみません貴方に聞いてるんじゃないンです。貴方じゃないでしょう、この暖かい氷はとても貴方に作り出せない。触れて確かめなかったのが敗因ですね、そう思いませんか、林檎さん」

「お姉様は調子づきやすいから本当扱いやすいのこまっちゃうう~」


 くすくすと広がる明るい笑い声を合図に、暖かい氷は一気に砕け輝夜を解放した。

 輝夜は暖かい体温と寸分変わらない氷のなかに居たので今は無事だが、呼吸だけは止まっていたので呼吸をようやく身体が取り入れ始めている。

 輝夜は意識を失い、市松に支えられている。

 苺の後から、妹の林檎が姉に抱きつきくすくすと笑い転げているが、苺の方は怒り狂っている。

 仰天しながらも林檎を振り返り、射貫く勢いで睨み付けている。


「何で!? アンタもあの人の嫁なんでしょう!? 何で邪魔をするの」

「だからこそよ苺お姉様。あの人はきっと、心の底では市松との決定的な仲違いを嫌うはずよ。天邪鬼なだけだもの。きっと死んでしまうわ。市松に恨まれたら生きていけない人だもの」

「何言ってるの。そんなわけないじゃない! だって、あの人は人間なんか……!」

「うーん、苺お姉様、あのね。物事って表面的に簡単な形で出ないの、もう少しお利口サンになったほうがよろしいわあ?」


 林檎が笑いかけてから苺の頬に口づけ、そっと苺を解放し、苺の足下を氷で固める。

 そのすきに輝夜を支える市松を案内し、林檎は下界に繋がる道を案内した。その頃には吹雪も消え、きちんと元の安全圏の道だ。それも下山ルート。



「登山は山頂が楽しみなんでしょうけども、和解出来てないうちは諦めてって輝夜ちゃんに伝えて置いてねえ」

「……吃驚しました、先生の感じていた存在って貴方だったんですね林檎さん」

「うちはね、あのとき。人の立場にたって相手を気遣えるほど頭が回る子なら、きっといつか市松とうちの人の間に入れると思うのよねえ。そもそも、人間なのにうちの人に悪夢見せるなんてやるじゃない」

「悪夢って何したんですかこの人……」

「貴方にとってはなんてことない狂気を浴びただけよお……さてお姉様の機嫌もとらなきゃいけないし。速くさっさと貴方たちは帰ってねえ」

「今度お礼に、クリスマス限定コスメセット贈っておきますね」

「貴方のそういうセンス嫌いじゃ無いのよねえ、またねえ」


 市松の精一杯の感謝に、林檎は笑い転げるとふよふよと浮遊してそのまま山の奥へと戻っていく。

 残されたのは意識のない輝夜、さてどうするかと輝夜を見つめる。


「……非情に、嫌な予感するんです。先生、触れたらスイッチ入る気がするんです」


 市松は情けない懺悔をしながらも輝夜を横たわらせると、人工呼吸の準備をしながら、やれやれと嘆息をついた。

 それでもこの人に生きて貰いたいのだから、嫌な予感よりも優先するのだから、どれだけ入れ込んでいるのかと呆れてしまう。


「先生、人任せにした貴方をすこうしだけ、恨みます」


 市松は顔のない鼻と口だけの表情となると、きちんと輝夜の気道を確保し、唇を重ねて人工呼吸を施した。

 適切な人工呼吸により、輝夜が意識を取り戻せば市松は少しだけ口元をほころばせ、すぐさま顔をつける。


「いち、まつ、けほっけほ!! どうにか、なったのか」

「なりましたよ、本当に極端な運の方ですよね」

「私は持っているんだきっと、幸運の女神の前髪を」


 にこりと笑う輝夜に市松は、一気に胸が弾ける。唇を見てしまう。


(嗚呼、本当に。要らぬスイッチを押してしまった……)


 市松はどや顔をする輝夜へ八つ当たりに、軽く肩を叩いた。





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