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第五十三話 幽霊の王子様

 八月の真っ盛り。真夏の日光の強さといったらとてもじゃない。

 とても外で歩けない、それが日本の盆地の暑さであるはずだった。

 桃は徐々に、月夜村の異常さを実感していく。

 この村には四季を感じられないのだ、村人達が騒ぐ四季や畑の四季はあるものの、村の住む地域にて暑さや寒さを異常なほど感じた覚えはない。

 少なくとも今は夏だと強く実感したり、冬だから寒いのだと感じるコトもなく。

 どちらかといえば、春と秋の繰り返しのような村だと感じた。

 このような村にいれば最初から生まれ育っていたのならまだしも、最初の生まれが村の外であれば気が狂いそうになる。

 白夜を連日体験しているような、じりじりとした狂気を感じる桃は、時折しっかりと乙姫のカレンダーを確認して日付感覚と体内時計をしっかり強固にしていく。

 それだけで幾らか精神は統一できたので、狂わずには済む。元来幽霊であるのだから、狂ったところで痛くもかゆくもないが、通りすがりのポメラニアンの身体を傷つけるのも胸が痛む。得に自分のせいで、この身体は主人をなくしたのだ。

 桃は、はっはっと可愛らしい呼吸で、勉強にいそしむ乙姫を見つめる。


 非情に美しい娘だ。

 輝夜にも劣るとも負けない。それほど美しい女性を目の前にするのは、輝夜を除けば初めてだ。

 それでいて輝夜の身内、ジェイデン曰く従姉妹なのだから血は争えないというやつだ。

 輝夜は飄々として、何があっても頑固さは変わらない堂々たる威厳があった。

 しかし、対して乙姫は年頃の少女らしい部分が見え隠れする。

 この部屋中にある少女漫画や、二十年ほど流行の遅れたCDを詰め込んだ棚を見ても、まさに年頃。

 服装の趣味からして、女性らしさが幾らかは目立っていた。

 見つめられている乙姫は、通信の学校からの宿題を終えると真っ先に少女漫画を読んだ。

 その少女漫画を読んでいる姿を見るのは、十回以上は記憶している桃は飽きない少女だと欠伸をした。


 ちらりと視線を寄せる。乙姫の身体には節々に痣がある。

 健気に元気に生きているこの少女は、どうやら両親に愛されていないのだろう。

 家事を全部乙姫がやっている、少女漫画を読むのでさえ隙間時間だ。

 それでいて隣の家から押しつけられた赤子の面倒なども、この家の者は全員で厄介毎を乙姫に任せて、世間体に良い顔をするのだからうんざりとする。


「ぽめちゃん、これ見て。これ貴方に似てる」

 乙姫はポメラニアン姿の桃を膝に載せると、抱き寄せ少女漫画を見せつけ、描かれた犬を見せてくる。

 乙姫からとてつもなく良い香りがするのだから、桃は慌てて抜け出した。

 抜け出すと乙姫は声を立ててからからと楽しげに笑いまた抱きしめようとする。

 そんなときは放さないのに、けっして逃してくれないのに。

「乙姫、ちょっと来なさい!」

 大人の声に気付けばするりと、桃をあっさり手放す。

 その数十秒後に、洗濯がしっかりしわ伸ばしできていなかったと乙姫は折檻をされた。

 折檻として身体を叩かれ、その後蔵に一晩閉じ込められている。

 蔵に閉じ込める家の者たちへ桃はきゃんきゃんと叫んでから唸った。

「大丈夫、大丈夫よぽめちゃん。貴方まで睨まれることない」

 蔵の中から聞こえた声に一気に悲しくなった、こんなときまで自分を気遣うなんて!


 桃からすれば信じられない目に遭っている子供だった。

 子供であれば無条件で愛される、それが桃の認識で残酷さだった。

 桃は愛される行為を自然と無意識にするため、いつだって好意を持って貰えやすく。さらに言えば容姿でさえ整っていたので、あまり不条理な物事を体験した覚えが無かった。

 殊更、大人達は桃に汚い感情を見せたがらなかった。

 保護者がいなくなり、自分で歩き考え動くようになり、桃は世の中を少しずつ思い知る。

 とにかく貧乏ではあったものの、とても対人運にはウルトラレア級の恵みが桃にはあったのだと。

 容姿は恐らく乙姫のほうが比べものにならないくらい整っている上に、女性の十代という全盛期だ。

 それでも境遇が酷いのは桃には理解できなかった。


 だというのに。

 乙姫は、桃と居ると年頃の女性らしくちゃんと朗らかに笑うのだ。

 楽しい楽しいと笑ってくれる、桃と――否、犬のまえだからと。

 徐々に桃は、自分と話したらどうなるのだろうと不思議に思った。

 頼りにしてくれるか不気味に思われるか、想像がつかなかった。



「どう接して良いのか悩んでいるのだ……」

「そうか、桃は乙姫自身と仲良くなりたいんだな」


 優しい手つきで桃は乙姫が蔵で寝てる間に、密かに来て貰った吉野に打ち明けた。

 吉野の仕事柄、月夜村に来る都合があったらしく、偶然再会した二人は夜間に話し合うこととした。

 夜間に桃の犬小屋前で二人は話し込み、桃の話に吉野は前と変わらず優しい手つきで撫でてくれた。

 父親代わりのようなこの鬼の声は心地よく、桃はくうんと思わず意図せずに鳴いてしまった。



「桃は乙姫にとってどういう人でありたいんだ?」

「まだわからぬ、まだ、ただの飼い主だ。犬の。僕のではない」

「俺は思いきって友達になってみるのもいいと思うけれど。桃は仲良くなりたがっているように見えるから」

「友達……そう、そうだな。少なくとも、僕だけは正体以外偽る必要の無い相手になってやりたいんだ。あいつは自分を偽ってばかり」


 楽しいことを隠し、辛いことをなかったかのようにするなんて。

 桃はやることが決まれば、有難うと告げ、乙姫の蔵へ駆けていく。

 蔵は犬のままであれば入ることはできない、幽体であるなら別だ。


 後からやってきた吉野が狼の神使に指示し、桃の代わりにしばらく身体にいてやるよう頼み込んだ。

 桃は犬の身体から追い出され、一気に中華ロリータの服装をした幽体が飛び出る。

「今度から夜間だけは自由だ」

 吉野の提案に驚いた顔つきで有難う、と微笑み。桃は蔵の中へ入り込んだ。

 蔵の中は暗く、月明かりが差し込み、月明かりの中で桃は小首傾げやっと見つけた乙姫に近づく。

 乙姫は自分に気付くと涙をそのままに、目を見張らせ息をのんだ。


「……お姫様? 幽霊の、お姫様?」


 乙姫の言葉にしまった、と桃は顔を顰めてスカートやヘッドドレスを摘まみ、首を左右に振る。


「事情があるんだ、この格好は。僕は男だ、桃という」

「……私は乙姫。佐幸乙姫」

「……この村を出たいとは思わないのか」

「私が、出たら、災いが起こる。雲雀おばさん……私のおばさんが出て行ってしまったときも、災いが起きたって聞いた。村で何人か突然死して、おばあちゃんが死んだ……」

「だからお前には村を出るなと言われてるのか?」

「それだけじゃない、私は、村の預かり物をしているから。大事な、預かり物が、私の心臓に刻まれているから」

「……もしかすると」


 この娘は何かを背負っていて、それが村のキーポイントになっているのかもしれない。

 だとしたら乙姫の両親の態度が理由づけられない、本来なら大事な娘以上に大事な鍵の筈だ。

 いかん今は問題解決をしたいのではない、と桃ははっとすると首を振る。


「乙姫、僕はあまり愛されない子供は理解出来ないんだ」

「……やっぱり、愛されて、ない、のかな」

「今のところわからん。とにかく、女の子の泣き顔に僕は不慣れだ。あいつは滅多に泣かないしな。だからどう泣き止ませればいいかもわからん」

「放って置いて」

「……そういうわけにもいかないんだ。僕は、お前が苦しむのがとても嫌なのだから」


 桃はすっと近づくと、白魚の手でそっと乙姫の涙を拭うように頬を撫でた。

 それでも幽体だから触れられない、もどかしさに桃は微苦笑した。


「僕が死んでさえいなければ触れられた、けど死んでなければこうして会うこともない」

「桃は、幽霊なの? 死んでいるの? どうして私に構うの」

「僕はこの村の根源と少し縁あるんだ。……その調査できて、お前と出会った。僕には信じられない世界だった、お前の環境は。なあ、お前が望むならこの村から出て行く手立てを手伝っても良い。そこから先は、都会で男でも探せ」

「……駄目だよ、村には……出て行けない掟があるから」

「いいじゃないか。巻き込んでしまえよ、お前を救ってくれない奴らなんか。誰が死んでも構わない。お前が苦しんでも平気な奴ら相手に何を言ってるんだ」

「……駄目だよ、私しかいない、私しか……」

「……随分とお粗末なヒロイズムだな。判った、精々お前がこの村を救ってやれ。お前が、この村を離れるまで、僕がずっと。側で見てやる」

「……桃は私が、心配なの?」

「さっきから疑問符ばかりだ、疑問でない言葉でも言ってみろ」

「……よく分からないけど、何だか。久しぶりに、同じ年頃の子とはなした気がする。またきてくれるのね、桃」

「……夜に会いにきてやる、僕は、お前と。友達に、なってやろうっていうんだ」

「……――不思議な眼差し。貴方、ぽめちゃんの目と似ている」


 桃は顔が近づいた乙姫に狼狽え、一気に両目閉じ離れると傘を開いて顔を隠した。

 体温はないはずなのに一気に血の気が通って頬に集中していく気さえする。

 生まれて初めての感情に、桃は戸惑う。


「気のせいだ」

「でも……」

「気のせいだ!」


 自分があの犬ではないと嘘を何故か本能的についてしまった。

 桃は傘をぱちんと閉じると、月光の差し込む唯一の格子付き窓より下でお辞儀をする。


「いいじゃないか、丁度良いだろう。真夏の怪談に、真夏のちょっとした冒険談として。幽霊と友達になったなんて、お前くらいじゃないか?」

「……そうかもしれない、そうね。漫画みたいな話で、素敵ね」


 ようやく見えた乙姫の笑顔に、今はこれで満足だと桃の顔は緩んだ。

 そろそろ宵も深い、寝させてやらねばまたどつかれるだろうと桃は危惧し、乙姫の願うミステリアスさを演じることとした。

 風の中に庭にあった向日葵の花びらを模倣し、それを沢山飛ばして。

 向日葵の花吹雪が広がる幻覚の中で、桃は微笑んだ。


「いつか。いつかお前を幸せにする。友達として、幸せを沢山持ってくるよ」

「待って桃、もう少し居て、寂しいの私。やっと、やっと話せる友達ができたの初めてなの、待って!」

「また夜に会えるよ、ゆっくり寝るといい。チャオ、乙姫」


 強く向日葵の花吹雪が乙姫を包んだ瞬間桃はその場から消えていて。

 乙姫は顔を真っ赤にしていた。


(幸せにするって……前半だけはプロポーズみたい)


 真夏の体験談としては、なるほど確かに刺激的だと乙姫はこの夜のことを忘れなかった。


 桃は翌日にはしっかりとポメラニアンの姿に戻っていて、乙姫が解放されるなり出迎えた。

 乙姫はポメラニアンの自分に触れる手つきは以前より、少し。

 少しだけ柔らかなものになっていた。


「ぽめちゃん、私不思議な人に出会ったの……幽霊の王子様よ、格好はお姫様なのに。王子様だったの、すごいでしょう」


 とんだ形容詞に桃は吃驚してきゃんきゃんと泣き叫んだらしい。



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