第五十二話 やまびこのかまちょ
切っ掛けは自分の中での興味を探したことだった。
趣味は見つけにくく、せめて小説の中で出た憧れの舞台がどんな場所か見てみたかったのだ。
犯人が追い詰められ、山荘から飛び出し崖まで着けば、窮地に追いやった探偵をなじるわけでもなく恨むわけでもなく。ありがとうと告げて身投げするシーンが印象的のものだった。
そうだそれならば山を登ってみよう、と山を登ってみたのが切っ掛けだった。
たった一人で登り。登頂に着く頃には疲れは爽快な感覚にまで極めていて、心地良い疲労と達成感がストレスを解放してくれた。
その日から輝夜は山登りへと嵌まっていった。
梅雨になる頃には、初心者の輝夜は一人で流石に登りはしないが、次はいつ晴れるだろうと夏の登山に楽しみを覚えていた。
生まれて初めてだった。
趣味と言えるものを自ら作れたのは。
確かな喜びを胸に、輝夜は登山貯金を貯めておく。資金の詰まった豚の貯金箱を楽しげに見つめる輝夜へ、市松は茶化すように煎餅を食べながら後ろから覗き込む。
「最近晴れやかね、先生。陰鬱なお顔がきらきらしてらっしゃること」
「そうかな! ふふ、君には教えてもいいか。最近の私は森ガールなのだ」
「……野山で熊でも追っかけ回して、リアルで森のくまさんでもなさってるの?」
「イヤリングは落とさないよ、そうじゃなくてな。山にはまっているんだ!」
「まあ、だから嬉々となさってるのね。いつもの死んだ魚の目が、海の中とまではいかなくても漁港前くらいまでには輝くようになったから……ん? まって? 山?」
「そうだよ、この前一人で登ったんだ」
「……先生、よいですね。これから言うことは絶対聞いて。山の神々は絶対だから、僕らでは守れない。だから絶対に先生は、山のルールを破ってはいけないよ」
「な、何だね、登山マナーくらいなら守ってる!」
「山の神は女を嫌うらしいから、とおっても気をつけて。いえ、もしかしたら気に入って放さなくなるかも知れない。いいから、絶対に人でないものは放っておくのよ?」
いつもなら茶化す市松がやたら真剣に詰め寄るものだから、事務所内で輝夜は冷や汗をかくと、ソファーで詰め寄る市松の頭を撫で頷いた。
そういえば、昔、近所でニュースがあった気がする。誰かが行方知れずになってから、戻ってきたというのを聞いた気がする。
あの時、ニュースを聞いて父はなんといって声をかけてきたか。
うまく輝夜の中でピースが嵌まらず、輝夜は小首傾げた。
*
登山用具をホームセンターで買いあさっていた日のことだ。
ちょん、と服を引っ張られた感覚があったものだから、死線を下ろせばその先には、変わった子供が居た。
ちょんまげのように髪を括っていて、それ以外は剃っている。
大きなくりくりとした眼差しは可愛らしいが、何故か好感は持てない。簡素な着物を着ている。
何処か幼い間抜けさのある童子は輝夜の袖を引っ張るとにこっと笑った。
「ひた」
童子は呟くと輝夜の袖をまだ引っ張っていた。
輝夜は首を傾げ、袖を整え童子から放させればそのまま、宜しくない予感がして、会計を済ませさっさと店を出て行く。
店を出て行っても童子は着いてくる。これは声をかけてはいけない類いだと気付けば、輝夜はそのままそそくさと事務所に向かう。事務所までに誰かしら助けてくれるかも知れないと。
童子は道中すれ違う人の言葉を全て。全て復唱し、大声で騒ぐも周りは童子に気付かない。
童子はそれでも輝夜が振り向いてくれないので泣きそうな顔になり、より大きな声で復唱した。
「お向かいの野崎さんが不倫をしていてね、洋子何言ってるのまじうける、てめえなにみてんだ」
童子は言葉の意味を知らずにそのままスピーカーをし、きょとんと首傾げとうとう事務所までついてきた。
事務所の中に入れば市松が小首傾げ、ガムテープを手元に持つとべりっと必要な部分だけ切り取り童子の口に貼り付けた。
「最近山にでも行ったの? やまびこじゃないですか」
市松が呆れながら嗤うと童子はむむむと騒ぎ、ガムテープで塞がれた口元をどうにかしたがっていた。
「こいつはしかも亜種の生まれたてだ、先生ナンパでもしてきたの。僕がいるのに酷い」
「どういう酷いなんだそれは。ナンパも何もついてきたんだよ」
「山の神に逆らうなとは言いましたが、山の神にも近しい方を引き連れてこいって意味じゃないんですよ。ああもう、参りましたね。何が目的かしら」
「……どこの山の子か判るかね」
「うーん、きっと匂いがあちらの……T山」
「ああ、だとしたら比較的簡単に行ける山だし、ついこの前行った山でもあるよ。晴れたら送り届けてこよう」
「そう簡単にかえってくれるかしらね」
小首傾げるもそれ以上はいい解決策がないのか、市松はそれ以上止める様子も見せず。
輝夜はそれから晴れた日のために準備して登山をし送り届け山の中に返すも、またしても下山して二日目には事務所にいた。
それを繰り返して三回ほど繰り返していれば、市松は理解出来ない顔をして、その様子を見守っている。
山彦の様子に輝夜は夜間、窓を開けそっと窓辺に下ろして市松の張ったガムテープを剥がしてやる。山彦はすーはーすーはーと大きく呼吸を取り入れた。
「大丈夫、また登りに行くよ。寂しかったんだな、私がきたのが嬉しかったんだな。一人を怖がらないで良い。絶対おばあちゃんになっても、またいくよ」
「また行くよ?」
山彦は輝夜の声を真似て、いやいやとするが、それでも撫でる輝夜。
「寂しければまたいつでもきても構わないけれど、構って貰いたくてその度に迷子しにココへくるのはだめだ。ちゃんと、遊びに来るんだ、いいね? 難しいけれど違いがわかるかね?」
山彦はこくんと頷き、輝夜へ抱きつけば温かみを噛みしめ、山彦がほろりと微笑み綻べば輝夜は笑って抱きしめ返す。
抱きしめ返された体温に山彦は輝夜と小指を絡めて約束し、ばいばいとその場を後にした。
場を後にする際、輝夜の美しい声で山彦は辺りに響かせ山へ帰って行った。
暫くは山での響きは全て輝夜の声でお返しがきたというのだから、登山の七不思議として登山家の間では不思議がられたらしいが、今はまだ知らぬコト。
「山の神にも寂しいって感情あるのね」
「体育会系が美学の時代も終わったからね、人が来ないのかも知れない」
「山にもお仲間はきっといるはずですよ。それでも人間がいいって、よっぽど人がお好きなんですね」
「そりゃそうだ、だって山彦の性質を忘れたか?」
後日報告された輝夜の話に、市松が小首傾げれば輝夜は面白おかしそうに笑った。
「真似っこだろ。真似なんて好意からなるものだろう、根源はともかく」
「ああ、悪意のない真似ですね。真似って言うのは本来嫌われるのに、不思議なもんです。山彦だけは楽しいと捉えて貰える」
「子供の無邪気さに似た匂いが感じるからね。ところで市松、その隠し持ってるおやつはどこから見つけたのかな? 私の夜食用の秘蔵のおかしにみえるんだが」
「いやですねえ、先生。先生の真似をして僕も買ってみたんですよ、同じ御菓子。なるほど、美味しい御菓子です。趣味のイイ人の御菓子の真似だけは絶対にしたほうがいい」
楽しみが広がるもんです、と市松は袋菓子をばりっと開くとそのまま食べ進めながら、客室へ戻りレースゲームへといそしんだ。




