第五十話 無興味
美術教室を終えて、たまたま御門と帰りを一緒にすることとなった。
駅までの道のりだけ一緒ということなのだが、それでも何かが気まずいままだった。
とはいえ、御門は流石に女性を夜間に一人帰すほど鬼畜でも非情でもなかったので、気まずくても一緒に帰ってくれるらしい。
「支度すんだ?」
「待ってくれ、椅子だけしまう」
もたついていれば御門が手伝い、教え子達が使っていた椅子をしまうのを幾つかしてくれた。
御門の片付けているキャンパスは真っ黒い絵の具が特徴的で、御門は毎度幅が狭まるからと注意されても黒を使い続けるのをやめず。そのせいか父からは「もう君はそのままでいきなさい」と個性として認められたほどだ。
黒い絵画を丁寧に片されるのを見届ければ、輝夜もきちんと片付けに集中する。
手伝い終われば、帰り支度をするなり腹の虫が鳴り、偶然にも重なった腹の虫に二人は普段見せない笑顔を見せ。
二人で噴き出すと、御門は肩を竦めた。
「ファミレスって気分でもない」
「牛丼でもない、これはハンバーガーだな」
「ジャンクなものってすごく食べたくなるからな、いいよ行こう輝夜姉。それくらいの時間はあるだろ」
異論無く二人は道中のハンバーガーショップに入ると席へ着き、輝夜は白身魚フライのものを。御門はチーズが三倍に使われたハンバーガーを選び、二人して柑橘味の青いソーダを選んだ。
付け合わせのポテトは分厚く、やたらと熱いのでふーふーと息を吹きかけておく。
とろりとチーズの蕩けて今にも零れそうなハンバーガーを上手に食べながら御門は合間に口を開いた。
「翁先生から時折、お前のこと聞いていた。聞く度に苦しくなった」
「どうして? 君が悩むことなんてないじゃないか」
「あるぞ、どんどん……お前が歪んでいく話ばかりだ。僕にはどうしようもない、かつての片割れが徐々に焼いたプラ板みたいになっていく」
「歪んでいるなんて失礼な。それを言ったら君だって歪んだじゃないか、素直で可愛らしかった君はどこへいった?」
「……少なくとも僕はお前みたいに、背負わないよ死者の生き様を」
くしゃりとハンバーガーに使う懐紙を抑えながら、御門は持ち直す。
輝夜もフライバーガーへ齧り付き、思案を巡らせる。
御門はどう切り出そうか悩んだ末に、ポテトだけマスタードをつけ全て平らげ、青いソーダで流し込む。
「どうしてお前はお前の生き方をしない?」
「しているよ、これが私の……」
「何かを判断するとき、母親みたいに美しい生き方ならこうするで選んでないか、本当に?」
御門の言葉はぐさりと輝夜の核を射当てた。
輝夜は喉元に通り過ぎる白身魚の居心地に悪さを感じ取れば、同じく青いソーダで流し込み、ポテトをケチャップをつけ咀嚼する。
ねっとりとした芋はやたらと喉に絡みつく感覚がした。
「……私は私の意思で選んでいるよ」
「ならお前が自ら興味を持って好んだことって、何がある?」
「小説があるよ! すごく素敵な小説があるんだ、探偵の話だ! 好きなんだ、本当に好きなんだ……」
「……前に安易に地雷に触れる真似をするなって話したが、触れてしまったのは僕のようだ、すまない」
たったそれだけの質問に、輝夜は答えきれなかった。答えても心の中で、何かが埋められず。
己の中で何かが不完全な感覚へとなり、他に好きなものをあげようとも違和感しかない。
他人と比較するわけでもないが、ただ、好きなものをあげられない居心地の悪さを味わう。
表情だけでも気まずさで一杯なのが伝われば、御門はそっと話題を打ち切ることとした。
(興味がわかないことじたいは構わない、ただそのせいで欠けてるように感じるのが嫌だ。なんだ、その哀れみの眼差しは)
何も浮かばず、ただ自分の中での空っぽさを思い知ると、輝夜は落ち込んだ。
今にも泣きそうな顔の輝夜を見れば、御門はその話を打ち切り二人は店を後にした。
電車を乗り継ぎ駅を離れ、御門から離れ、帰路の途中。
真っ赤な衣服のピエロがいた、ピエロは自分に纏わり付けば風船を差し出し、楽しげに笑う。
にこにことしたメイクは顔を隠しているのに、輝夜は気付かず小首傾げ、弱っていたからか微笑んだ。
ピエロからの誘いに輝夜は頷きそのまま連れて行かれそうになった瞬間、吉野が現れる。
吉野の出現にピエロは挙動だけで焦ると、逃げようと背中を見せる。
輝夜へ関わらなければ怪しいものとて追うつもりもなかった吉野はピエロを放っておき、輝夜の顔を見てぎょっとした。
「カグヤ……」
「私は、何も、持っていない」
輝夜はぼろぼろと涙しながら、両手で顔を押さえた。
さめざめと泣くわけでもなく、子供が感情を抑えるかのように、幼い所作でぐすぐすと泣き出した。
何が起きたかは判らないわけではない、見守っていたのだから。
とはいえ、まさかここまで影響するとは予測できなかった吉野だ。
「私には、何もない。誇れる、想いが、ない」
吉野には泣き崩れる輝夜へ何かをしてあげるなど出来るほど器用でもなく、おろおろと輝夜を宥めようと焦る。
「カグヤ、あの、あのさ、そんなに何かを特別好きで居るのって疲れると思うんだ」
「でも、何かが、ないと。好きなものがないと」
「本当に好きなものってないか? 春の季節は? 冬の季節は?」
「……私は秋が好きだ、でもそんなに強い思いじゃない」
「好きか嫌いかって比べるものでもないだろ、強い弱い関係ないじゃないか」
「……でも」
「それにないっていうなら、これから見つかる可能性が無限大ってことじゃないか」
吉野の言葉に輝夜は瞬くと、こくんと静かに頷き。
そのまま吉野に手を引かれ、事務所まで向かう。輝夜は目をごしごしと擦りながら、涙を拭い、吉野の背を見つめる。
「お前たちも好きだよ」
その言葉の本意は分かりかねるが、吉野はたったそれだけでも、胸が締め付けられる。
(本当に、やっと輝夜の心に響く、良くも悪くも最後の碇かもしれない)
(だって輝夜はこれまで願いや拘りがないことに、無反応だったし興味もなかったのだから)
(俺や市松が言ったところで、そこまで感情は揺さぶられなかっただろう?)
吉野は輝夜へ振り返ると情けない顔で微笑み、そのまま前を向くと事務所へ送り届け。
事務所につけばそのまま何処かへ消えていった。
事務所の中へ入れば市松がレースゲームをしていて、熱中する姿を羨ましくなった輝夜はそっとコントローラーを握る。
「対戦します? どうしたんです、おかえりなさい」
「……私が勝つまでレースだ」
「朝までかかりそう!」
市松の揶揄にようやく輝夜は華開くように笑った輝夜は、窓辺にべったり張り付いてるピエロを見て叫んだ。
ピエロも心配してくれていた様子なのか、その後ピエロと市松と輝夜の三人でレースにいそしんだという。
その後ピエロは市松のいい遊び相手になったとかなんとか。




