第四十七話 貴方にとって温かいもの
春も終わろうとしていて、日向の心地よさも保障はされるようになってきた。
春の終わりとともにやってきた依頼は、輝夜の眉間に皺を寄せた。
雪山でなくしたものを取ってきて欲しい、とのことだった。
なくしたものは何だったのかを聞けば依頼人は曖昧な言葉と、胡乱な顔で応えてくれない。それでいながら、絶対にあるから取り戻してくれと。
形状が判らなければ探せないだの、何を無くしたか判らなければ明確に取り返せないと、伝えれば「行けば判るはずだ」とそれだけは断言された。
「貴方ならば判るはずです」
「どうしてですか。きちんと何かをお話ししていただけないと、お渡しもできませんよ」
「見つければ自動的に戻るので判ります、貴方が見つけてくださればそれでお金はお支払いします、わざわざ返しにこなくても自動的に戻ってきます」
どうにも判らない依頼でありながら、依頼人は何処か気迫の無い状態でありながらも必死さは伝わる。
この気迫のなさ、何処かで見覚えのある態度だとも感じた。
何処か身近で見かけたような。
依頼を「それならどれくらいお値段かかるか判りませんよ」と伝えた上で承知され、締め切る期限のないままに依頼は開始された。
形状が判らぬのにどうやって判るというんだ、と唸りながら夕飯の幕の内弁当を買えば、一度出かけて戻った事務所には既に市松が邪魔していた。買い物の間にやってきたらしい。
市松がカップうどんを啜りながら、片手をあげ、仮面を外せば母親の顔が微笑んだ。
今はもう母親の顔をしていると判るし、母の記憶がある。
華石はあの後、バックベアードの大事なものを奪いそれによって輝いたことから、輝夜の記憶をいらないよと返してくれた。
華石はそれからそのままバックベアードに譲ってやり、また偽物を手にしている。
丁寧に作られた偽物を目にすれば、ジェイデンも銀次も咎めたりなどしなかった。
「先生はお夕飯、今日はなあに?」
「幕の内弁当だよ、安かったんだ」
「海苔弁のがずっと安くてお買い得じゃないの?」
「焼き魚が入っていてね、そいつの気分でもあったんだよ。食事メニューのこととなると五月蠅いやつだな」
「あら、だって明日になれば僕も買えるもの、やだ僕まで焼き魚食べたくなる。先生のせいですよ、食べてるのにお腹すいちゃう! ぐーぐーよ、ぐーぐー!」
「君の胃袋事情まで知ったことじゃないね」
母の顔をした市松は輝夜の肩を見つめれば、目を眇めてから箸を置いた。
肩の辺りを執拗に舐め回すように見てから睨み付け、嘆息をつく。
カップうどんのつゆを飲み干してから、カップを机に置くと市松は長い足を組んだ。
「どうにもこうにも、厄介な御方」
「よくわかったね、今日依頼がきたばかりだ、君の顔見知りの仕業か」
「そうね残念ながら顔見知りの犯行。みえるんですもの、下卑た招待状が。きっとその方は依頼という体で送り込まれたんですよ。雪の匂いがする」
「それも当たり、雪山での依頼だ」
「うーん、だとしたらあいつのテリトリーね。以前僕らが雪の中で閉じ込められたの覚えてますか、事務所に僕らが結界で閉じ込められていたの」
「ああ、吉野が帰ってきたときか。君たちがとても面白い様子だったな」
「人が心配になって必死だったのに趣味の悪い方! まあその、雪で結界を仕掛けた人だと思います。猿田彦の奥様が二人いて、二人とも雪女なんですよね。問題は何方が原因か、妹ならラッキー。姉なら地獄」
「姉妹丼の趣味とか、そのお前の仲間のほうが趣味が悪いじゃないか。どうして姉のほうは地獄なんだ?」
「姉のほうが最悪の性格ドブスだからです、とてもおきれいなのですけれどね」
それで、と市松は輝夜から漂う妖気を指先に宿し、形へとした。
綺麗なタンポポの形をした雪が、市松の指先に集っている。
「なるほど。趣味の良い形だから、これは妹ですね。林檎さんだ」
「そんなもので判るのか、たいしたもんだ。よし、褒美に卵焼きをやろう」
「駄目です、焼き魚ください。ご褒美は漁港のお土産でお願いします、僕も調査ついていきますよ。吉野もきっと来るでしょう」
*
調査に向かう前日、父親の絵画教室を手伝いに向かい、画材の準備をするなり御門がやってきてふと納得がいった。
依頼人と御門は何故か知らないが、同じ顔つきをしている。
目の色の澱み方が似ているというか、希望のない感覚がとても見ていて思い出す。
アトリエにはデッサンや油絵用に沢山の画材や彫刻が置いてある。
真ん中にはモデルを陣取るためのスペース、その周りにはいくつかの座席だ。
アトリエ内は明るい白灯で照らされてる。まだ室内には輝夜と御門しかいない。
「もしかしてお前も何かなくしたのか」
「……? いきなり、なに」
唐突に挨拶もなく話しかけてきた輝夜に、御門は全力でドン引きした。
しかも何かを見抜いたという自信ありげな顔つきだ。
感覚的に主語も曖昧な話に、御門は眉をひそめる。
御門はうんざりとした様子で、鉛筆をナイフで削りながら輝夜へ視線もくれずに話し始める。
「お前そういうのやめたほうがいいよ」
「そういうの?」
「原因がわかると相手の親密度見ずにすぐ首つっこむの。どういう地雷抱えているか判らないのに、地雷を探りもしないでいきなり……」
「君こそ曖昧に言うのやめろよ、何の話をしているか判らない」
「判りやすく言うなら。相手の抱える問題も、気持ちも判らないのに解決しようとするな」
「……問題は取り除けたらすっきりしないのか」
「その問題に触れること自体地雷かもしれないだろ。相談事って、相手が話し始めて初めて成立する。自分から聞き込むな、それは余計なお節介だし、出歯亀だ」
生きる気力もないような顔つきなのに、輝夜に対しての口調はやたらと厳しく強い物言いであった。
鉛筆を削り終わると御門はゴミ箱にかすを棄て、パンを準備し始めた。
その姿を見て輝夜はやはり理解できず、嫌いだなと漠然と感じていた。
ただ、初見の時のような嫌悪のむき出しというよりは、本当に輝夜のスタンスについて心配しているようでもあったので。安易に、やめろよも嫌いだも言えない感覚を輝夜は過ると、苦い顔をする。
父親や他の生徒が来て、その日は輝夜がモデルをして絵画教室は終わった。
*
御門の言葉は深く響くわけでもないが、輝夜の心へやたらと引っかかる。
御門に話された内容は誰にも言ってない、愚痴れば周りはそこまで輝夜を責めないだろう。だからこそ、話してない。
味方が欲しいから話したいわけでもなかった。自分より御門よりの思考から解説してほしかったが、御門と誰が似ているかどうかなどまだ判る距離感でも無かったので思考解説を誰に頼めばしてくれるかも判明しない。
成長してからの御門についてはとんとしらない。
だから御門の思考へ、絡繰りや意図が分かりづらく、ただ苦い思いしかしていない。誰へも打ち明けられない故に、余計に思考回路でぐるぐるまわった。
行きのバスでぼんやりと思案していれば、目深にニット帽を被った吉野が輝夜を見やる。
輝夜を見やってから、市松にこっそりと問いかける。
「大丈夫なのか、カグヤは。ずっとぼうっとしている」
「先生が考え事なさるなら良い傾向じゃないの。先生はいつも考えが足りない」
「足りないこともないと思うけどな、カグヤ、カグヤ。もうすぐ着くんじゃないか?」
「ん……あ、ああ? 今何駅だ? あ、……そうだな、次で最後だから大丈夫。次だ」
はっとした輝夜は吉野に礼を告げれば、バスの中に残っていた一同は終着駅でさっさと降りていき、終着駅のスキー場へ期待を込めて去って行った。
スキーは楽しそうだなと感じながら輝夜は、ひとまず宿へ向かった。
宿はスキー場近くだし、スキー用品もレンタルされてる。だというのに、スキーする時間もない。
輝夜は悔しい思いで一杯だ。
真っ白なゲレンデの少し離れた麓に、大きくて立派なホテルがある。
依頼人からの前払いが旅費や宿泊費となっているので、一番指定された雪山に近いホテルにした。
ホテルの部屋は、市松と吉野、それから自分と分けて貰うと輝夜は自室に入るなり安堵し荷物を少しだけ解いた。
こんこんとノックされ室内に吉野が入ってきた。
「カグヤ、よくない気がやっぱりあるから、できるだけ一人にならないでくれ。見られているんだ、遠くから」
「市松は?」
「さっさとホテル備え付けの温泉に入っていったよ、暢気な奴だ」
「そうか……吉野、ちょっとロビーでお茶しないかそれなら」
輝夜からの誘いに吉野はぱあっと顔を明るくし了承すれば、二人でロビーまで靴を履いて向かい、それぞれ珈琲とオレンジジュースを頼む。
吉野はオレンジジュースの酸味に、目を白黒とさせた。百%の果汁に慣れていない様子でもある。
「雪山でなくすものっていったいなんだろうな」
「なくしやすいのって体温、か? だとしたら死んでる、だろうし。ああ、でも雪女は確か人間の男を攫うって聞いたことがあるな」
「攫ってどうするんだ」
「氷漬けにするとか。……氷漬けにしたあとは知らないけど。そこだけ切り取ると、コレクター魂みたいだな……」
「だとしたら、何かが氷漬けにされてコレクターにされてるのかな。……吉野、一年間の修行はどうだったんだ? 顔つきや身体がずいぶんと変わったね」
「ああ、……うーん俺はあまり、修行って最初やる気なかったんだけど。輝夜と離れてからすごい頑張っていたんだ。具体的に言えば、聖なる気が強くなるように、頑張ったんだ。その影響だと思う」
「だからか、邪悪な者は君といるとあまり来なくなったね」
「でも……多分、聖なる者からの関与だと俺からは阻害できるほどの影響力もないから、そこは市松の持つ邪悪さにどうにかしてもらわないとな」
吉野の言葉に輝夜はにこにことしはじめたので、吉野は怪訝な顔で小首傾げる。
いつまでもにこにことするので、輝夜に睨み付ければ、輝夜はごめんと笑い。
「いや、信頼し合うようになったんだなって思ってな。あの犬猿だった市松と」
「……今もあまり気に入らない。けど、輝夜の周りって何でか気に入らないやつばかりだ。それなら気に入らない奴一位よりは話せる」
「一位は誰なんだ」
「秘密」
自分で仕掛けて置いて、赤い糸と繋がった御門が既に気に入らないと言えず、吉野はぶすっとふてくされた。
それでもこの人間には、他の人間と深く触れねばきっと一般的な価値観が生まれないだろうから。
この先の輝夜の安寧のためだと、吉野は苦い思いでオレンジジュースを口にする。
「吉野は友達とかいるのか?」
「いたよ、昔一人。青い鬼だ、とても泣き虫の。そいつは神域になれず、今も妖怪の一人のはずだ。カグヤにはいないのか」
「いるぞ! 友達は多いほうだったんだ、塾の友達がいた。あとは、同級生なら一人。あとは……幼なじみだな。今は幼なじみが苦手だ、何を考えているか判らない」
「……俺も誰かの思考は判らないけど、カグヤも判らないけど。カグヤは好ましいよ。昔仲良かったなら根本は変わらないはずだよ、仲良かった頃の波長は」
「……人間はもうちょっと複雑なんだ」
自分は気にしたことなどないが、周りの影響次第で態度を変える者もいる。
影響が強い相手が多い当事者にそれまでコバンザメのように付き添っていた人も、影響を与えなくなると一気に友達じゃ無くなる話もある。いわゆる、カーストというものか。
それが苦手だと言う者も結局は逆らえず、渦中の中にいて媚びへつらう姿も知っている。
輝夜と御門は、顔の美醜以外は抜きん出て良い家柄というわけでもない。
ただ、美醜は徐々に影響力を増していく。
極端に嫉妬されて虐められて仲間はずれにされるか、極端にカリスマになるかのどちらかだ。
輝夜と御門はそのカーストが関わってない頃に知り合い、カーストが関わりそうな始まりに引っ越しが始まり御門がいなくなった。
その後に御門がどうしたかも判らない、あれほどに人嫌いになっていった理由も。
幼い頃は素直で無邪気で、大変可愛らしい子供だった。
同い年でありながらも、姉ぶりたかったほどにだ。
「子供の頃みたいに、また明日ね、で毎日続ければいいのにな」
「……よく、判らない。けれど、それはきっと多分。カグヤ次第でもあるとおもう、あとはその幼なじみさんが仲良くなりたいかじゃないか?」
「そうだな、私もきっとすっかり変わっているんだと思う。それをあいつがどう思うかも判らない」
「なら顔見知りだろうと、何だろうと。他人に近いのだから、また初めましてから始めればいいんじゃないか? でも少し安心した、カグヤにも仲良く出来ない人がいるんだな」
「にやけないでくれ。いるよ、それくらい。私は全年齢全性別全性格対応とかじゃないんだよ、そんなのロボットだけだ」
「ロボットはご老人が非対応じゃないか? 操作できないだろ、多分。未来で作られたとしても」
「自慢じゃないが私もデジタルものは苦手だ」
「なら他でもないカグヤが非対応じゃないか」
輝夜のどや顔に呆れながらデジタル武勇伝を聞いていた吉野は感覚を研ぎ澄ます。
ふと、後ろを振り返り、睨み付ければ睨み付けた先では、雪のタンポポが溶けていた。
「なるほど、姉は過激で妹は陰湿か」
吉野は一人呟き、輝夜に合図すれば雪のタンポポが連なる廊下へ案内する。
辿っていけば、外に出ることになる。輝夜はすぐさま市松に来てもらえるように、部屋へコールをかけてみれば運良く繋がったので、そのまま市松を待つ。
市松を待ち、三人が一同に顔を揃えば、その瞬間ホテルは一気に雪へ覆われ凍えていった。
*
一気に凍えていったホテルは、人々を氷の彫像にまで仕立てていく。
輝夜も指先が一気に冷えたが、吉野の恩恵からか吉野が羽衣を現し身体にかけてくれると、一気に全身が温かくなった。
市松は辺りの氷で出来たタンポポたちを見やれば、肩を竦めた。
「太陽への憧憬、同情致します」
「このままだとこの人達もまずいな……」
「先生、いけませんよ。多くは助けられません。幾らか見棄てる覚悟をお持ちください」
「狩りの領域に踏み込んだから文句言うなってことだろう? 判ってる、だけど……」
「目的はどちら? みんなを助けるの、それとも依頼人を優先するの?」
「……どっちも」
意地悪な質問に輝夜は、唇を噛んで応えると吉野は寂しげな笑みを浮かべ、市松は呆れた様子であった。
呆れた様子ながら判っていたのか、不思議そうな声でも馬鹿にした揶揄でもなく。ただ、市松は辺りを窺い調査を続けた。
「こちらです、レストランの方にいますね」
三人はレストランの方角へ向かい、ホテルの地下レストランに入れば一気に寒々しさが襲ってくる。
流石に羽衣なしでは厳しいのか、市松はその暖かみを遠慮無く貰おうと、輝夜の手を繋いだ。
吉野は目を眇め、先人を切るように前へ行き、輝夜のことは市松に任せる。
レストランの中では、美しいベリーショートの女性が凍った珈琲をスプーンでつつき、アイスのように楽しんでいた。
水色のベリーショートに、髪飾りが沢山遇われていて、金で出来ている。
品の良い白い着物に、白いラメで出来た絹糸が刺繍されていて、帯は黒い。
赤い帯留めの主張が可愛らしく、草履も真っ赤だ。
指先は真っ赤なネイルで、面持ちも瞳は真っ赤な大きい瞳に二重で鼻筋も通っている。唇はぽってりとしながら小さめ。姉の苺と比べれば、狸顔の愛嬌ある容姿である。
吉野がずかずかと女性の前に歩み寄り、だんっとテーブルを叩けば女性は一同を見やり、輝夜と視線があう。
「こんにちわあ、うふふ、とおっても青い唇」
「林檎、さん。お願いがあるんです」
「輝夜ちゃんだっけ? いいわ、機嫌良いから言うだけ言ってみて? そうねえ、うちに温かいものを出せたら何でも叶えてあげてもいいわあ」
「この写真の人から何を盗んだんですか、お返し戴きたい。それと、ここの人達も溶かして欲しいです。……それが私の要望だ、あったかいものを出せたらいいんだな?」
「心よ。心を盗んだの、とても綺麗だったから。そうね、出来れば暖かいものが欲しい。でも出来るのかしら、雪女相手に。できたらあ、いいわよ。そいつから盗んだものも、ここのひとたちも見逃してあげる」
にこにことした様子の林檎へ、輝夜は「見てろ!」と挑戦状のような言葉を叩きつけ、厨房へ向かっていく。
厨房へ向かっていくのは吉野と輝夜。市松は林檎がいなくならないように、見張る。
「いいのお? お守りしなくて」
「神様一人いれば充分でしょう。それより珍しいですね、貴方がこんなに判りやすい悪事働くなんて」
「……ちょおっとねえ。噂の輝夜ちゃんも見てみたかったし、貴方の様子も気になっていたの。本当に、うちのひとの言うとおり。貴方は耄碌したのかしら?って」
「耄碌? なんのことですか、猿田彦から何を吹きこまれたのですか」
「……だあって里を裏切って人間にいれこんでるんでしょお? それはうちのひとだけじゃなく、もう妖怪みんなが知ってる。貴方、多分このままだと危ないわ。あの女の子じゃなくて、貴方のほうがあぶない」
*
輝夜はうんうんと唸りながら、凍り付いてる厨房で考え込んでいた。
(この状態で本当に用意できると思われてる……ということは、通常の暖かいものではないに決まってる、火の入る料理ではないはずだ)
この羽衣に触れて出せば暖かいままでいられそうな効果も予感させはするが、それは輝夜の力でもない。林檎は輝夜の力を見定めようとしている気がしたので、輝夜は厨房で考え込みながら唸っている。
見かねた吉野はあれこれ調理器具を弄っては冷たさに驚き、落としてしまう。
「これだけ冷たいと手が悴みそうだ」
「でもあの子はそんな様子でもないよな、そういう体温なのかな」
「まあ種族によって体温は違うよね、俺も多分違う。動物とか人間はぽかぽかしてる感じがする」
「あったかめなのかな……体温が違うものにとってのあったかいもの、か。この冷蔵庫はあくかね?」
「何を作るんだ、カグヤ」
「アイスクリンだ」
うろ覚えのレシピで輝夜はさらりと応えれば吉野は驚き、輝夜のことであるからと何か理由があって作るのだろうと、まだ凍ってない材料を探して手伝った。
幸い冷蔵庫の品は凍っては居なかった。
環境が環境の冷える厨房になっているからか、短時間でアイスクリンは出来上がり、独特の黄色めいた白さで練り上げられた。
練り上げたものを器によそって、ウエハースとチェリーを置けば、輝夜は駆け足で林檎たちのもとに。
「走るんじゃない」と後ろから吉野に注意され慌てて失速した輝夜の手にあるものへ、瞬いて驚いた顔つきの林檎へ輝夜は理由を述べた。
「君にとって元から冷たい仕様で食べられるものこそ、君の体温にとって暖かいんだろう?」
「……なるほど、いいわ。楽しいことしてくれたから、うちを判ってくれたから取引してあげるう。コーンスープでも持ってくると思ったわ。心と、この環境だっけ。どちらもうちがいなくなったら解いて置くわねえ、それに……貴方はあきっと、遠い未来でまたうちにい、会いに来るはずよお」
「予言か? 占いとか好きなタイプかね。私は苦手だ」
「先生はラッキーな日だと言われていても黒猫余裕で横切りますもんね」
市松の揶揄にじとりと輝夜は睨み付ければ、林檎は涼しい顔でアイスクリンを優雅な所作で平らげた。
「何で凍らせたかなんてあなたには理解できないわあ、だって、それが私という妖怪だもの。雪女は、必ず奪っていくの。輝夜ちゃん、貴方の冷たさは暖かかった。次に会うときは暖かい氷をあげる。姉様はこんなに優しくないわ。気をつけてねえ?」
食べ終わると林檎はすっと立ち上がり、輝夜へ忠告を施すとすうっと消え去り、その場は何事もなかったかのように急速に温まる。
一気に人々は活気を取り戻し、元のあるべき姿へと戻ったホテル内。
勝手に厨房を使ったのは幸いばれなかったので、輝夜たちはいかにも食事してたので今から帰りますという体を装いその場から部屋へ戻っていく。
「今回初めてきちんと、相手の立場を真面目に考えた気がするよ」
「それが普通でしょう、だって考えてる間に先生お陀仏になってしまうもの。きっと今後もそうよ。そしたら僕たちは葬式でなんて馬鹿なおひと、と怒るしかないの」
「いや、でも……それによって解決できることもあるのかもしれないなって思ったんだ」
「相手がきちんと最後まで話を聞くタイプならね。きっと少ないですよ、欲の赴くままだもの」
「本当にそうならきっとあの娘は、今頃私達を亡き者にしてるはずだよ」
吉野の羽衣がなければそれこそお陀仏だったというのに、と暢気な市松はあきれ果て、輝夜に部屋へ押し込んだ。
残された市松は、吉野へ顔を向け、気が狂ってるとジェスチャーで示した。
後日依頼主からたっぷりと報酬が振り込まれたとのことで、しばらくは輝夜の事務所は潤ってはいた。
輝夜は何となく、物憂げな林檎の笑みが忘れられずにいる。
何か、もっと他に伝えたいことがあったかのような顔つきだった。
後日、また心を盗まれた者が判明し、対峙しに向かうのだがそれはまた別の話。
いつか人間との垣根を越えて、話せる日が林檎にはありそうな予感を齎すのであった。




