第四十三話 狂姫はそして、覚悟した(後編)
病院に行けば眼鏡の似合う老いた医者がいて、具合を見てくれることとなった。
輝夜は熱で朦朧としながら医者の案内で診察台に腰掛け寝そべり、そこでぱたりと意識を失った。
ゆっくり意識を取り戻していけば、どこか暖かい心地だ。
暖かい心地の中で目を覚まし、自分が身動きできない、金縛り状態だと察した。
真っ赤なことしか判らない、赤さの広がる異空間にいた。
輝夜から熱は一気に引いていて、何か物の怪の仕業だったのだとすぐさま判ると、輝夜は身じろごうとした。
しかし身動きは許されず、目の前に黒いシャツの男が猿面を被っている。
猿面越しに男は殺気を放っていて、どうしたものかと輝夜は思案した。
こんなときにスマホは事務所に忘れてしまったから、桃を当てにもできない。
猿面の男は、まずい予感を肯定するようにその場に先ほどともにいた医者を、たった一つ指を鳴らすだけで爆発させ葬った。
安易に人の命など容易いというパフォーマンスと知らしめだ。
正真正銘、命の危機だと悟った。
「お前には許せないことがたんまりあるんだ、どうか聞いておくれ」
「私が何かしたかね」
「何をせずとも今があるから腹立たしい。そう、お前は自ら心動いたことなどなかった。だというのに、どういうことだ。何故、そんなに評価される?」
「……よくわからないよ」
「お前が欲しい物を選べ。一つはお前の命だ、約束しよう。これを選んだら助けてやろう。もう一つは……市松の命だ。お前に傾倒するあいつなど見たくない、そんなの一族の穢れで恥だ」
「……それなら」
「お前が本気で向き合わない度に、これに罅が入る。本心で答えたら解放しよう。お前の意思を選べ、他者の命を捨て助かりたいか。自分を棄て他者を助けたいか」
猿田彦が取り出したのは土台のない、宝石を裸にした華石だ。
華石はきらきらと輝きながら、猿田彦が虚空に浮かせれば少しだけひび割れ欠けた。
それには何か大切な何かが詰まっている。壊しては絶対いけないもののはずだ。
「私を殺すといい」
ぴしっ、とまた罅が入り、輝夜は目を見開く。
輝夜の本心は、輝夜自身が助かることを望んでいるとはっきりと目に見えた。
輝夜は初めて自分自身と向き合う出来事となり怯えると、ふるふると首を振る。金縛りでもそれだけはできた。
「私を殺せ……殺せ! どうして……」
答える毎に罅が入る。本心を認めきれず、怯えた。そんな汚い人間のはずがないと。
輝夜はこんなときでさえ、認められなかったのは自分の本心であり、助かる先の命がどちらかではなかった。
輝夜は泣きながら震え、華石と猿田彦を畏れる。
猿田彦は楽しそうに嘲り、輝夜へしゃがみ込み丁寧に髪を梳き撫でた。
「さて、何がお前の本心か判っただろう? さあ本心を言え、楽になれる」
「……私を、殺せ」
もう一度華石は罅が入り、あと一回でも罅が入れば華石は割れるところまでいった。
猿田彦は苛つきながら、輝夜の額に啄み、猿面越しに睨み付けた。
「本心を言えば解放されるし叶うんだ、忘れたか、流石馬鹿女だな」
「……判った、それならもう一度言おう……私を」
「……やめろ」
刹那猿田彦は本能で怯えた。輝夜は理解していないわけではない、覚悟を決めている顔だ。それでいて、偽りの宣言をしようとしている。
輝夜は猿田彦を睨み付けながら、嘲笑った。屈するつもりがないと、嗤った。
今まで町中で監視している折りに市松たちが、輝夜を優しいと形容する度に違和感を感じていた。違和感の正体に納得いった猿田彦は、初めて輝夜の狂気に触れる。
真っ当な狂気でない。
この女は本心を偽っているとわかりながら、本心を偽ったまま我を通す気だ。
偽ったまま、市松を助けようとする。本当は自分だけが助かりたいはずなのに。
実行されないと甘く見てるわけでもない、猿田彦を畏れては居る、青ざめているのだから。
選んだのは命でもなく、輝夜の美学だ。信念だ。本能的に、輝夜に惹かれている者たちは、その美学に惚れ込んでいるのかもしれないと悟った。表面的なものではなく、もっと奥を見据えていたのか。表面的なものにも救われてはいたけれど。
美しい結果をより好み、その為になら命や大事な記憶さえ放棄するという、この女は捨て身の偽善という美学だけで出来ている。
自分さえ良ければという本質なのに、偽善を優先してる。
輝夜が選ぶのは生き様だというのに、それでいながら他者を助けている。死の瀬戸際だというのに。
理解出来ない感情だった、本心がばれているのに、本心は違うのに、美学を優先するなど。
迫力に圧倒され猿田彦は、尻餅をついてしまう。目の前の女が、凶悪な生き物に見え、脅しているのに脅迫されているような気持ちになる。
命よりも生き様を貫き通す、人の信念に猿田彦は畏れた。畏れ、即時に輝夜へ馬乗りし、ナイフを虚空から取り出すと、両手に握りしめ掲げた。
「私をころ……せえ!!」
泣き叫びながら、輝夜は本心より偽善を選び、慟哭した。
一気に偽物の華石が砕け散ろうとした瞬間。
「カグヤ!」
吉兆の一声。
一気にガラス細工が砕け散るように空間は弾け、華石から輝きは大きく放たれ、輝きは一気に輝夜の元へ戻る。
華石の偽物もすっかり割れたのだが、瞬時に吉野の手元にある本物の華石へ輝きを移動し、そのまま記憶を輝夜に返した。
その華石は確かにジェイデンのものだった。
開けた空間から雪がしんしんと降り、空が真っ黒であった。それでも声の主からは、後光が差している。煌びやかな光が。
辺りは竹林と森林が合体したような、田舎の山奥だ。
遠い空の目玉がくにっと細まった。
『ほらだから言っただろう、これで我らがお前の味方だと証明されただろう。狐型の味方なのだ我らは。恩義がある』
「出会い頭に信じられるわけないけど、賭けてよかったよ……カグヤ、大丈夫か!?」
馬乗りになっている猿田彦を突き飛ばし、輝夜を抱き上げたのは、吉野だった。
凜とした顔つきになり、男らしい体つき。
口元にしっかりと牙を生やし、金色の瞳は健在だ。
久しぶりの吉野はすっかり大人めいた雰囲気と顔つきで、神々しさを放っていた。
吉野の周りには、神使の獣である白い狼が二匹済ました表情で佇んでいた。
吉野は羽衣に輝夜を巻き付けると、輝夜を虚空へ浮かせ、猿田彦へ歩み寄り殴りつけた。
鬼神からの殴打が効いたのか、殴られた箇所と突き飛ばされた時に打った胸へ猿田彦は大きな火傷を負った。
猿田彦は輝夜に怯えたままその場を去りゆくと、そこは以前市松と再会した妖怪の里であった。
「カグヤ、とりあえず戻るぞ」
「ああ、何だか久しぶりだね。王子様みたいな再会の仕方するなんてずるいな」
「いいじゃないか、もしかしたら善神になれるかもしれないんだ、それくらい許してくれ……早く戻ってきてしまったけれど、それも許してくれ。花見をするつもりだったんだけどな、団子もまだ早いよな」
吉野は輝夜に破顔し、吹雪く雪を身体に纏わせながら思い切り輝夜を抱きしめ、安堵した。
探偵事務所に戻ったところで、異空間に繋がっていて。
外からは入れない様子だった。
外から入れないので結界を壊そうとした刹那、内側から結界が壊れ、中からジェイデンと市松が疲労している姿が窺えた。
守れそうな者たちが全員足止めを喰らっていたのだと、一瞬で吉野は悟った。
「……全員に癒やしを与えてやってくれ」
「判りました鬼神様」
神使二匹が、辺りを駆け回ると中に暖かい一陣の爽やかな風が広がる。
それだけで一同を一気に元気にすることが出来た。
市松は仮面をつけなおすと、吉野や輝夜たちに気づき、輝夜に駆け寄って頬をひっつかんだり伸ばしたりする行為で安全を確認する。
「まあご無事で! よくぞ間に合いましたね!?」
「お前の知り合いが教えに来てくれたんだ、バックベアードか。俺の神社で滅茶苦茶浮いていたぞ、あいつ……」
「ああ、取引しておいてよかったです、役立てば溶け込もうときょどろうと問題ないです」
「狐……ちょっと話があるんだ、こっちへこい。カグヤ、ここで待っていてくれな、あとでたっぷり話そう、いいこにしててくれ」
吉野が輝夜を撫でれば、輝夜はへらりと笑い頷き。
市松と吉野は探偵事務所から離れた電線の上に並んで座り、市松は吉野の変化にいたく不思議そうに小首傾げて様子を窺った。
「端的に聞こう、市松。お前は、カグヤを人間の世界に馴染ませるつもりはないか」
「……っふふ、あはははは、あっはははは! ご、ごめんなさいね、おかしいことじゃないの。ただ、まさかお前と。妖しと神の目的が一致するなんて世の中気が狂ってる! どうしたの、いったい。カグヤに妄信的なお前がどうしてその答えに辿り着いたの!」
爆笑された吉野は不愉快そうに嘆息をつけば、胡座を掻いて探偵事務所を見下ろした。
「……俺らが関わっているとまずい、かといって不幸の種はなくならない。だったら俺とお前が人間に馴染めば良い。徐々にあの人が人間に慣れてから、離れていこう」
「……どうしてかは話すつもりないのね、宜しい。いいよ、その珍妙な提案、付き合ってあげる。長い付き合いですもの。おかしいよね、たった二年か三年なのにとても長く思う」
「人の寿命で言えば長い付き合いであってるだろ、いいか、狐。俺は決めた」
吉野は胡座をやめると、立ち上がり、金色の眼差しを鋭く光らせた。
「あの人に、人間の恋人を宛がおう。それが一番馴染みやすい」
「……そう簡単にいくかしらね、僕も貴方も、あの人も」
「平和と同族の輪の中が一番、それが人間のはずなんだ」
「でもね、吉野。僕はたまーに思うの。本当に、人間って平和だけを望むのかしら? 面白可笑しいものや、刺激があるほうがいいんでなくて?」
「娯楽が不幸な事件である必要はないだろ、……なんにせよ。このまま、カグヤが他の人間の手の届かない人格になるまえに。手を尽くさないとまずい」
「……頭の可笑しいのは、あの人だけでなく僕もお前もね。ジェイデンの言うことがやっとわかった、僕らは狂っている。恋の狂気だ、間違いない」
「どうして」
市松は電線から地上にすとんと軽やかに着地して、吉野を見上げてにこーっと無邪気な笑みを向けて、狐面を外した。
狐面を外した市松の顔は、吉野からは輝夜になれないがよく似た笑顔に見えている。
思い人を市松の意思とは関係なく、映しているのだろう。
「だって、己の世界を変えたり価値観を変えるほど惚れて込んでいる相手に、自分を売り込むのではなく恋人を見繕ってやろうって意味だもの。僕も、あの狂ったお姫様、好きよ」
輝夜の顔を作ろうとした市松の顔は慈愛の笑みを浮かべ、吉野を見上げた。
吉野を見上げた先から降り積もる雪は今度こそ、自然界のもので、冬の終わりを告げている。
確かに春が、もう少しだった。
「もしうまくいかなかったらどうします? 僕か、お前があの人を欲しくなったら」
「……カグヤにはそしたら、普通の暮らしは諦めて貰うよ。囲いたい欲を俺もお前も抑えている、それが健全なうちは早く真っ当な人になってもらって、魅力を打ち消してもらおう、それまでのことだ」
「それまで?……それって真っ当にならなかったら、攫うってことだけど。面白いからいいことにしちゃう、耐えてる間の期間限定ってことね。もし神隠しするときは仰って? 僕とお前の仲じゃない。さあ戻らないと、先生が元気になったら湯河原屋奢って貰いましょう?」
「お前と仲良しになったつもりはないが、そのほうがカグヤは少しでも笑ってくれそうだしな」
吉野は嘆息をついて、呆れた笑みを浮かべる。自分も、この男と同類だと自覚し、輝夜への想いを益々強めたのだ。
病んだ思いを続けるか、真っ当に昇華できるかはこの先の輝夜次第。
あの自分本位でしかないくせに、命を賭けてまで他者を救うお姫様次第だった。
「湯河原屋にもハンバーグ寿司ないかな」
「まあ!! なんて邪道! 貴方みたいな人はがりでも食ってなさい」
雪景色は二人の心の黒さを誤魔化すように、深々と積もっていった。
また暫くはお休みです。新規章が整うまでお待ちください。




