第四十二話 寵姫はそして、覚悟した(前編)
世間ではもうチョコで浮かれる時代でもないのに時代の波に遅れてはならぬ、この時期はこうあるべきと思い込んだ人々が、バレンタインで浮かれている。
輝夜は縁が無く、期待されることは多くても、直接あげたことはない。
今年もあげずに終わるだろうと思っていた頃合いで、寒さも最後の名残で猛烈に寒波は増し、北風が脅威を振るい。雪も一番降りやすい程のタイミングになっていた。
探偵事務所は最近やけに寒々しい。
一体何だこの寒さは、二月にしてはやけに寒すぎると客人も輝夜も震えている。
ここ数日とくに、何故か玄関口に雪うさぎが置いてあることが多く。
雪兎が作れるほど雪が降った覚えもない時でも置いてある、それも中々溶けづらい雪。
にこやかな顔と陰鬱な顔で、市松と銀次は告げた。
「いつものですね、先生」
「この雪はどうみてもなあ……いつものだなあ輝夜」
「雪なら心当たりありますよ」
市松が飄々とした様子で告げる。輝夜は冬の乾燥で喉がやられ、風邪で熱に魘されながら二人を見つめた。
素直にこくんと頷けば熱を測り終え、ぴぴっと鳴った体温計からは38度と表記されていた。数字を見るだけでうんざりとした輝夜は、熱で朦朧としながら市松に視線をやる。
「知り合いなのか」
「ええとおっても。この件はお任せください、だからね……いい加減病院へ行ってください」
「風邪なんかで」
「風邪なんかじゃないでしょう、そのなんかにすーっかりやられてるじゃないですか」
輝夜はすぐに不服そうな表情を見せれば、冷えるシートを頭と項に貼り。
じと目で市松へ睨み付け、抵抗を見せる。
それも理由がある、もうすぐジェイデンが帰国し探偵事務所に顔を見せてくれるとのことなのだ。
とても懐かしい想いだ、久しぶりに遠慮無く言い合い出来る相手との再会は、思っていたより喜ばしい。
ゆえに輝夜はジェイデンを待ち伏せていたが、銀次と市松は顔を見合わせ病院へ勧めようとしている。
「君たちのことだ、ジェイデンに会う暇も無く追い返し。あいつもああだから、盗聴器をしかけて満足してあとはファンレターだろ」
「わかってるじゃあないですか、それが一番ファンとの適切な距離でしょ盗聴器以外は」
「私が欲しいのはファンじゃなく、言葉のサンドバッグできるジェイデンだ」
熱で本音が出た輝夜に市松は噴き出し、さてどうしたものかと思案していれば、探偵事務所に電話が入る。
勝手に市松が電話に出ると、狐面を付け直し、話し込んで明るく電話を切った。
「あと五分でつくそうです」
宣言通り、ジェイデンはタクシーの道中で電話をかけたのか五分でつき、顔を見ると輝夜を抱きしめてる。熱で胡乱な輝夜に久しぶりの再会で感動したのか気付いていない。
「よおよお、元気じゃん?? ああ、これお土産。アメリカのチョコに、イギリスのチョコに、ドイツのチョコに他の国のチョコ」
「なんでチョコなんだね」
「バレンタイン近いんだぞ、公式には送るもんだろ。そんで、変わりないか?」
「変わりないと言いたいですが、貴方のその抱き潰しそうな子、風邪です。熱高めです」
「寝とけばか!! 病院いけ!」
「ほらみて正論、お聞きなさい」
市松のどや顔に輝夜はいやいやをしながら、ジェイデンの強引さに負け、探偵事務所を追い出された輝夜はさっさと病院に向けてタクシーを拾い出て行った。
いなくなればジェイデンは怒り心頭といった顔で、いつの間にか把握している茶器を使い緑茶に手を伸ばし淹れて味わう。
輝夜専用の社長椅子に座りながら、豪勢なテーブルに足を乗せると、やれやれと嘆息をついた。
「あの女あいっかわらずだな!?」
「ですねえ、ああそうだ。ジェイデン、僕は友情じゃなかったと思います。それが判りました、貴方の言いたいことも。でもね、きっとお友達を望むよ」
「へえ、じゃあそこの盗み聞きしてるヒステリー妖怪も大満足じゃないか? なあいるだろ、出てこいよ。この部屋の間取りに五月蠅いんだオレは。ちょっと違和感ありゃすぐ判る」
違和感なく溶け込んでいた花瓶はいきなり人の姿を取り、ふわりと雪で出来た煙や、ドライアイスが広がった。
白い煙はその場で部屋を凍り付かせ、にこりと着物美女は頬笑んだ。
猿田彦の嫁だと、市松にはすぐ判ったので、足を組み直し市松は壁にもたれ掛かった。
「なあに、僕の恋路が心配なの? なら安心して、叶えるつもりもない」
「そうはいってもそれを素直に信じるほど愚鈍でもないのよ。貴方が欲しい物を見過ごすなんて信じられない」
「そうですねえ……確かにかつての僕でしたら嗤って、あの女の足の腱を切って甘い言葉投げて依存させて手に入れてたでしょうね、否定しませんよ。その認識は」
「じゃあ何故変わったの? 説得力のある理由をお教えして?」
「僕に素晴らしくも優しさが生まれたんです、嗚呼人の愛の美しさ! どうです。世界一胡散臭い理由ですけども」
雪女以外は瞠目し、面白いといった反応や笑みを見せた。
銀次やジェイデンの反応が面白すぎたけれども恥ずかしさのあった市松は話を置いておく。
「それで。旦那様はどちらに? 猿田彦は」
「たき火をしているの、とても寒い日が続くじゃない? さむいさむいって。とても愉快な材料でたき火してるのよ」
着物美女は一つだけその材料を見せて、すっと銀次に近づき、銀次の目の前に置く。
銀次の目の前に置かれたのは、大事にしまっていたはずの老女の手紙だった。燃やされていると察すれば一瞬で激高したがぐっと銀次は堪え、冷ややかな眼差しで着物美女を見つめる。
「短気だな、あの男は」
「気の長い方じゃないのはこの場に居るうち二人は知ってるはずよ」
「そう、だとしたらわしもあいつに温情を与えずともよいな。遠慮せず……市松の味方についてやろう」
「……銀次様?」
市松は銀次が何を考えているか判らない様子で狼狽えたので、銀次はゆっくりと立ち上がると杖を使い着物美女をひっくり返し。
床に転がり打った頭へ涙目となった着物美女の顔面に足を掲げる。
「よいか、わしを怒らすと言うことは」
だん!!
足は着物美女の顔すれすれ真横に落ち、床にひび割れが少しだけ入った。
銀次は涼やかな顔で見下ろしている。
「住まいをいらぬということだ」
「そうでもなくてよ? 貴方が輝夜に構ってる間に、妖怪たちの殆どが貴方についていけないって! 貴方に反旗を翻そうって動いていたの! 決定打は人魚の肉ね」
「……なるほど、わしに全員勝てると思ったのだな、思い上がりも甚だしい」
「いいえごめんなさいね、そこだけは侮れていないの。だからこうして、罠を張った、見事引っかかってくれた。この争いはあの女が一人死ねば、旦那様はご機嫌になって仲直りできる争い。最初は遺恨が残っても大丈夫、すぐ貴方たちと仲は元通りになるわ」
着物美女の余裕に、慌てて市松とジェイデンはそれぞれ探偵事務所の扉と窓から脱出を試みる。
しかしそれぞれを開ければ、いつのまにか探偵事務所の出入り口全ては雪山と繋がっている。
外からの吹雪に耐えきれず、ジェイデンも市松も扉や窓を閉ざした。その瞬間に出入り口全ては雪に埋もれた。室内に暗さが灯り、蛍光灯がじじ、と鳴る。
着物美女は世界で一番楽しい喜劇に出くわしたわくわくとした顔で、一同へうっとりと見つめた。
「たき火があの女のバーベキュー大会になるまで、待っていてね。暇なら花いちもんめしたっていいわ」
「……流石の雪女、ですね。……はあ、苺、貴方が考えたのですかこの罠は」
「ええそうよ、一生懸命考えて旦那様に提案したの、だって可愛い女って思われたいでしょう」
「だとしたら、貴方猿田彦に愛されていないんですね」
「心配してくれるなんて本当、胡散臭い優しさも本気を帯びてきたわね。私の身の安全なら簡単よ、これは……幻だもの」
苺と呼ばれた着物美女は一気に室内へ雪を吹雪くと、瞬けばそれらは雪だるまへと変化していた。
銀次は思案し、目を瞑ってから頷く。
「異邦人と、市松。よいか、わしの足となるか」
「この場で一番強いのは貴方だ、僕は貴方に従います」
「オレもだ、オレも半分とは言え妖怪の血入ってるんだから、強い奴に従う」
「ならば話を進めるぞ、この窓。それからこの窓。ここから見える雪はフェイクだ、おそらく結界の溶接部分。うまく壊せばこの空間は開かれる」
「何か掘れるものを探して……いえ、そんな暇はありませんね、手でいきますよ、ジェイデン」
「全く帰国早々輝夜の周りは飽きないな!」
「そうでしょ、だからとっても面白いの、レースゲームより」
市松とジェイデンが窓を開け掘り進めていき、その間に銀次は何かを探していた。
恐らくこの事務所の何処かに結界の媒体があるはずだ。
それを壊し、溶接部分を崩せば一気に外へ繋がるだろう。
だとすれば妖しいのはあの雪兎。冷蔵庫から雪兎を取り出し、その数三つ。
三つともを壊せば、雪兎の中におかしなものが入っていた。
(……華石がはまっていない)
華石が嵌めてあったアクセサリーの土台だけがそこにはあり。
正確には偽物だが、偽物には輝夜の母親の記憶が詰まっている。
輝夜が人間らしい生態に戻る為のひとつだ。
一気に銀次は不快さが増した。