第三十五話 とある猿の殺意
猿田彦は輝夜の事務所があるビルの一階に、潜伏していた。
本来いたマスターをかっ攫い死体にして、顔を奪い見事化けた。
猿田彦は人間嫌いでありながら、目的達成のために人間と一番触れる潜伏場所を選んでいたのだ。
カフェは真っ赤なレザーを基調としたソファーやカウンター席で、渋い色味のテーブルで整われていた。目の落ち着く配色だ、殺した先代はさぞセンスがよかったのだろう。
壁紙はポピーだかアネモネだかの花模様が薄く敷かれた、セピア色の地味めに目の優しいもの。店内に飾られてる茶器や、水出し珈琲のでかい器具なども中々渋い店内に合うオシャレさを感じる。猿田彦は最大限に生かし、徹底的に学んで給仕を習得した。
猿田彦が務めてから、カフェは見事繁盛し、不思議な魅力があると評判だったし珈琲もやたらと美味しかった。
猿田彦はそれも才能の一つなのだと気付かず、そのまま輝夜を見張り妖しを送り込むため様子を見ていた。
兎に角時がくるまでは輝夜に直接的に関わるつもりなどなかった、直接手を下せば市松に恨まれるのは目に見えている。
強い感情を抱かれるのは悪くないが、出来ればプラスであってほしかったから。
一番理想的なのは、輝夜が死んでその穴埋めに人脈を使って花嫁を見つけ出し、市松に宛がい生涯感謝されるのが好都合だ。
ただ中々思うとおりにいかず、今日も何故かカフェは繁盛し――輝夜が飲みに来る。
今日はそれも静かな店内に二人だ。
輝夜と自分の二人。カウンターで飲むんじゃない、その首ねじ切ってやりてえなあと猿田彦は思案しながらドリップして提供する。
提供された珈琲を飲むと、輝夜は顔をやや綻ばせた。
「美味しいですね」
「お口にあったならよかった」
まさか貴方の残虐殺人を考えながら淹れた珈琲ですと言うわけにもいかず。
それだけならまだいい、まだマシなほうだ。
輝夜は残り半分となるととんでもないことにでる。
輝夜は毎度、珈琲が半分になると、ミルクをどばどばいれて、砂糖を沢山入れる。
それはもう珈琲牛乳だろうというくらいには、芸術は侵される。
その度に猿田彦は苛立つのだ、化けているとは言え珈琲には自信があった。
猿田彦は毎度「その飲み方をやめろ!」と絶叫したくなる衝動を堪えていた。
「知り合いから教わった飲み方でね」
まさかその知り合いは市松なのだろうか、だとしたら否定できない。
しかしあの市松が素材の味を殺すような呑み方をするわけがないと感じた猿田彦は、変わらず呑み方を教えた相手に死ねと内心呪った。
「宜しかったらどうぞ」
それはより妖しを惹きつける成分を練り込んだクッキーだった、輝夜は丁重に礼を告げ珈琲と一緒に戴いた。
毎度毎度輝夜が危ない物に運良く遭遇するとは限らないので、妖怪にとってのフェロモン効果がある成分を編み出し猿田彦は盛った。
勿論自分には絶対効かないタイプの薬品。猿田彦は、薬屋の悔恨で産まれた妖しだったので、薬調合は長けていた。
「さて、それじゃお会計を」
輝夜は毎度愛読書の探偵の本をある程度このカフェで読むと、会計していく。
会計すると輝夜は、じっと猿田彦を見つめて笑った。
「懐かしい面影があるんですね、マスターは」
「なんのことです?」
「知り合いに似ている」
輝夜はそれじゃまた、と出て行く。
猿田彦は今は猿のお面を外して、元のマスターの顔を意識的に映しているのだから、知り合いとやらに似るはずがない。
少なくともオリジナルの顔はない。
輝夜の持つ言葉の含みは、市松と同じ種族であると輝夜が気付いてるかもしれない危うさを意味していた。
しかし顔を持たない故に顔に頓着のない猿田彦はぴんとこず、不思議そうにカップに残った甘ったるい匂いに、やはり死ねと輝夜を呪ってカップを洗い始めた。