第三十四話 巨大猫のお世話
清掃業に間に合い、馴染みの従業員と会話し、仕事を終えた帰り道のことだった。
珍しく輝夜と銀次が外にいて、市松を待っていた。
「どうした、ん、です……ああ、はい、なるほど」
市松は輝夜の後方に巨大な猫の影を見て嘆息をついた。
黒猫は欠伸をし、ビルにまで届きそうな大きな巨体で、輝夜に懐き鼻先を寄せている。
この人のことだから見棄てぬふりが出来なかった結果かと、呆れた。
銀次の言葉が通じなかったのだろう、だから自分を頼ったというわけだ。
「安易にペットに手を出してはいけませんよ」
「目が合っただけで懐かれたのだよ」
「目が合うのが普通の方だとどだい無理な話ですよ、皆さん知らずに通り過ぎていくでしょう? 目を合わせてはいけない、ってあれほど……」
「動物の本能が強い奴はどうにもわしの言うことはきかなくてな。お前はこの手の扱い、なれているだろう? 面倒見よいしな」
「騙し合う方々相手よりは得意ですけども。先生も懲りてくださいよ、まったく」
巨大な猫の影は市松を見るとごろごろと喉を鳴らし、市松を舐めようとしたので市松は避けた。
避けると途端に猫は市松にきしゃーと威嚇し、輝夜にますます懐いてしまった。
その動作を見て、市松は自分がしくじったと痛感する。
「ね、猫さーん、おいでください」
「市松、頼みの綱は君だったのに……」
「先生は動物得意ですか?」
「得意じゃないけど昔から懐かれてしまうね。私は壊れ物みたいで怖くて扱えないのだよ」
「ならきっと僕のが適任になるはずですがね、ちょっとお待ちください」
市松はふらっと大きな百貨店に入ってから戻ってきて、大きな茶色の塊を見せつければ猫は一気に市松に懐いて、塊に寄ってくる。
かつおぶしだあれは。
「幾らしたんだ」
「凄いですよ、ジャスト壱万円。これは湯河原屋のコース料理を熱望しますね」
「考えておくよ」
市松はそのまま猫を輝夜から放すと、市松が負うのに成功する。
夜間は道路で寝て貰い、清掃中は窓ガラスに張り付いて猫はそばに居座り続けた。
猫の世話を一週間ほどした後に、徐々に猫は小さくなっていく。
足下をくぐれるくらいのサイズの浮遊霊になったあたりで、市松は猫缶を持って近所の河原へ向かう。
河原には黒猫の腐乱死体があった。
遺体を見る限りでは、残虐な子供に遊ばれていた様子でもある。
市松は猫缶をお供えすると、手を合わせた。
「辛かったんですか」
猫は不思議そうに首傾げる、そういう感情でもないようだ。
「では何が心残りで?」
市松の問いかけに黒猫は鍵尻尾を揺らし、一件の家に案内する。
その家では子供が大泣きしている。
悪戯しただろう残虐な子供のほうではなく、世話してくれていたのだろう。
家柄が貧乏なのか、飼えなくて河川敷で可愛がっていたと思われる。
子供がはっとした様子で表に出てきたので、市松は知らんぷりで黒猫と一緒に通り過ぎようとしたが、子供がじっと此方を見ている。
「……僕のこと嫌いになって死んだのかな」
子供の言葉に黒猫はぴたっと振り返った。
黒猫は立ち止まり。市松の爪先を舐めてから、子供の元に向かい。守護霊となった様子だった。
黒猫が見えるのか、子供は大きくはしゃいで嬉しげである。
「お元気で」
市松はそのまま事務所へ向かう、事務所には新たに落ち武者の浮遊霊を背負っている輝夜。
市松は頭を悩まし、嘆息をつく。
「動物だけじゃなく、人間にも不得意になってくださいよ。人間だってよっぽど壊れやすいでしょう?」
「何だって扱いが下手な方に寄ってくるんだろうね」
「不器用ながら大事にされたいんじゃないですかね、ツンデレってやつですよ」
「それとはちょっと違うんじゃないか?」
輝夜は小さく笑って、市松に約束の湯河原屋コースを奢るべく支度をした。




