第三十三話 今夜ワルツを貴方と半世紀ぶりに。
依頼は唐突だった。
常に依頼人との出会いは、予約を受け付けてから話を聞き、引き受けたりする。
でもこの依頼は、出会いからもたらされたものだった。
散歩している最中に、自分の足下に沢山の手紙がぶわりと落ちてくる。
手紙を拾い首傾げていれば、すぐそばの家から風で流れてきたものらしく。
手紙を全部拾い、家主の呼び鈴を押し届ければ、微苦笑された。
不思議に思い、手紙について話を聞くと、家族は縁側で優しい顔をした祖母について悲しげに語り出す。
「あの人ぼけちゃってね、ずっと手紙書いてるの」
「誰宛に?」
「それが奇妙な話なの、ぬらりひょんに会いたいって言ってて。お迎えが近いのかしらね」
まさかその人実在して更に知り合いですよ、と言うわけにはいかず。
娘さんには「もしよければ解決できることがあるかもしれません」と、輝夜は手紙の引き取りを提案してみた。
娘さんは、受取人がいるだけでも祖母は安心してくれるかもしれないと、突飛な話を否定しない輝夜を信頼した。
輝夜は家に上がり、縁側に座り込む、縁側のご老人はやけに優しく穏やかだ。
「暖かい日ね、四月の終わりが近いからかしら」
「そうですね、あの……ぬらりひょんと会ったことあるのですか?」
「……ええ、誰も信じてくれないけれど、私は若い頃ずっとあの人と手紙を遣り取りしていたの。その度に、河童の子やあかなめや、小豆研ぎに届けて貰ったわ。でも、もう駄目ね。みんな都会が五月蠅くて引っ越しちゃって、誰も届けてくれる人がいなくなったの」
「私は信じますよ、その人と話したこともある」
「……まあ、詳しく聞かせて貰えない?」
ご老人は目を細め、穏やかに笑いかけてくれれば輝夜の長い話に心ときめかせた。
輝夜は手紙を一通一通受け取りにくるたびに、市松や銀次の話をしていった。
そうして、手紙を全て受け取り終わり、ご老人はまた新たに手紙を書く気力が沸いた。
手紙を、銀次に渡そうと輝夜は決意する。
「銀次。話があるのだが」
「何だね、今日はお手伝いはせんぞ。すーぱあにはいかんからな、誘惑が多くて困る」
「……手紙を、預かっているんだ」
たった一言で、銀次の目は一気に真剣味を帯びた。
威圧のような凄み、それだけ生半可な気持ちで触れるなと示している。
輝夜は吃驚しながらも預かった手紙を全部引き出しから出し、どさっと机の上に置いておく。
「時間をかけて読むといい、君の愛しい人からの手紙だ」
銀次には信じられなかった。
妖怪の誰一人、伝手を使っても届くことの無かった夢の手紙が目の前にある。
手元が震えながら銀次は手紙に夢中になり、三日三晩で全てを読み尽くした。
銀次は全てを読み終わる頃には手紙の主が、只管待っていた相手だと悟った。
まごうことなく本人だと。
「息災ないか、あの子は」
「ああ、ただお婆さんになっていたがね」
「……構うものか、あの子はずっとわしの大事な人だよ。……手紙を送りっぱなしというのも寂しいだろう、返事を届けてくれぬか」
「いいよ、そのつもりで渡したんだ」
「……いかんな、大きな恩ができてしまった。お前に。半世紀ほど、ずっと待っていたんだ……」
銀次にとってその老人との思い出はどれほどの大きさかは判らない。
ただ判るのは、輝夜に決して向けない優しさを、手紙の主には向けていて愛情をたっぷりそそいでいるということ。
それは、春の終わる頃に相応しい暖かさだった。
返事を渡せば、ご老人もいたく感動し、暫し文通は続いた。
文通も何往復か続いた折りに、銀次はこっそりと打ち明けてくれる。
「あの人は昔、わしと駆け落ちしかけたんだ。わしが惚れ込んでいてな、あの人の親が宛がった婚約者に連れ添わせるのが嫌だった」
「でも君たちは今一緒でないね?」
「そう、土壇場になってひよったのだ、このわしが。お前は人間界で幸せにおなり、と。お前よりも美しい女であったよ」
「今も美人のお婆さんだよ。会うつもりはないのかい?」
「……怖いのだ、わしだけ見目が変わらぬのなら。共に時を経てない。だからこうして、空いた時間を手紙で埋めているのだ。この手紙は、わしの宝だ……有難う、輝夜」
銀次は文通を続け、ある日大騒ぎした。
老女から会わないかと誘われたのだ、銀次は真っ赤な顔で頭を抑える。
「このような童子の見目のまま会うわけにはいかぬよ」
「大丈夫だよ、君があの人を見た目で判断しないように、あの人も判断しないだろ」
「そういうものか……輝夜よ、可愛いあの子に言うてくれ。夜中の二時に会いにいくと」
銀次はいつもの飄々とした顔つきを一切無くし、感情で右往左往されるただの子供の表情に戻っている。
今の銀次ならば見た目の年そのものの、落ち着きのない表情で幼い所作も似合っている。
それでも決意した時は男らしさを見せ、輝夜は本当にあの老女が好きなんだなと微笑んだ。
時期はやがてやってきて、とても三日月の綺麗な夜だった。
真夜中まで起きたからか老女は輝夜に支えられてうつらうつらし、老女の家族には内緒にしている。
さぁあと木の葉の風が吹き荒れれば、瞬いた瞬間に銀次が杖をついて現れた。
老女は銀次を見つめ、涙目になり微笑む。
「遅いお迎えね」
「待たせたのはすまない、けど許してくれ。誰もお前の住所が判らなくて、逢い引きの手紙を送れなかったんじゃ」
「いいわ、ねえ、私踊りたいわ。折角貴方と会えたもの。踊りましょう。よく月明かりが綺麗だと踊ってくれたじゃない。貴方の独特の変な鼻歌で」
「脚は大丈夫か」
「気にしないでそんなの。老いてることを思い出させないで」
「っははは……わしが無礼だったな。世界一の、美しい女だよ、お前は今も」
銀次と老女は惹かれ合うように庭先に出れば、そのまま老女の鼻歌にあわせ、二人は手を取りゆっくり簡単なダンスをした。
身体を寄せて、ただ揺れ合うだけの。
それでも輝夜には、最高に美しい恋愛の結末を見せて貰った気持ちで、暖かな気持ちとなった。
春の終わりに相応しい、美しい夜のことだった。




