第三十一話 散り散りの後に、よからぬ想いは蓋をした
「なんでまた、空港でお前とオセロなんかしなくちゃならねえのかねえ」
ジェイデンはサングラスをかけ直しながら、判りやすい溜息をついた。
対戦相手の市松は真剣そのもの、自ら賭けを申し出たからだ。
ところが受付まで残り五分だというのに中々半分までしか進んでないのだから、時間を惜しんだジェイデンは唸った。
「勝負はオレの負けでいい、何だ頼みたいことって」
「お仕事先、今回どこにいくんでしたっけ」
「ドイツに、イギリスに、ロシアに、アメリカ。長い旅だ、土産の強請りってわけじゃなさそうだな」
「僕は、まだあの狸爺が先生をお認めになったとは思えないのよ」
「免罪符があるのにか、あれが有る限り何処でも言うこと聞くぞ」
「僕は絶対という宣伝があるものほど、危険な気がするんです。たとえばですけど、うっかり先生が、どこぞのどなたに騙されて華石をなくすとしましょう。それはしかたないね、で済むと思いますか? その時のために、情報が欲しいんです」
「どういう情報だ」
「仕事のついでに、貴方のお母様に会いにも行くんでしょう? なれば、弱味の一つか二つ、持ってるかと。たいそう長生きされてますでしょうし」
「ひとんちの母親をばばあ扱いするなよ、まあ判った。お前の要求は。だがよ、狐、忘れてねえか? オレもあの女を好き勝手したいやつの一人だぞ」
「……好き勝手するまえに、傷物になることを貴方は嫌いそうだからこそ、頼んでいるのです。僕は傷物であろうと、ずっとお友達ですけど」
「……みえねえな、お前のその友達っていうものが」
ジェイデンの言葉こそ、市松には見えなかった。
ジェイデンの機嫌伺いに持ってきた芋の菓子を勝手に開けて食べながら、市松は不思議そうに小首傾げた。
ジェイデンはそれは自分にくれたんじゃないのかと呆れながら、頭をがしがしと掻きながら大きなスーツケースを手に取って席を立ち、オセロの片付けは市松に任せた。
もとより市松の持ち込んだものだ。
「お友達って、どこまでのラインを友達というのか。よく考えろ。お前のそれは、本当に色恋なしの無利益な関係でもそうやって、庇護をし続けるなら。オレからはお前がとち狂った奴に見える」
「どうして? お友達は大事にするでしょう?」
「友達だって明確な線引きってのもあるんだよ、時間だ。あとは帰ってから。じゃああとは頼む、いいか狐。鬼も一年は宛てに出来ない、オレもいない、メリーも。お前しかいないと思え。お前があの爺を信用できないなら」
「お言葉が長くて眠ってしまいそうです、ほらみて欠伸」
「腹立つやつだな! 端的に言えば、輝夜に何かあればぶっ殺すってことだ、いってくるわ、またな」
「貴方も保護者にとっくに仲間入りしてるのね」
ジェイデンは市松からの揶揄にふてくされると、そのまま受付を済ませ、搭乗口に向かっていった。
手をひらりとふり、一礼をしながら見送ると、市松は脳内が疑問で一杯だった。
人間の感情の話だろうか、ジェイデンも半分は人間だから。
色恋と友情の境目の話をしようとしているのなら、市松には未知数だ。
何せ、友達を持ったのでさえ、輝夜が初めてだと自称できるのだから。
ジェイデンは半分人間だから自分と違うのか、最初から市松が異常者なのかは判断しづらくて首を傾げる。
懐かしい感情を覚えるとしたらそれは。
妖怪になる前の魂のこと。
ただ一人愛した女が、遊女が、身請けされたときのこと。
でも風化した感情なので、市松にはぴんとこないし、その女と輝夜への感情は全て別物のようでやはりぴんとこぬ。
ただ判るのは、心から打算有りだとしても任せられる奴は、他にいなくなったこと。
全て、輝夜の安全は自分が管理するほかない。
「でもお嫌いそう、そういうの」
市松はオセロを片付けかけて、盤面をよくよく見ればはっと気付いた。
「まあ、ジェイデンが勝つじゃない、この戦況。不器用だね、あいつも僕も」
ジェイデンは何だかんだで、性格が市松寄りなので理由をつけて市松を信じてくれたのかもしれない。
*
何とか清掃業に間に合い、仕事帰りに事務所へ顔を出せば、社長椅子で堂々と転た寝している輝夜の姿だ。
銀次は何処かと見回せば、レースゲームではなく、パズルゲームをしていた。
パズルゲームは次々と一秒ごとに毎回綺麗に連鎖していくので、器用なものだとつい画面に見惚れる。
市松は銀次に声をかけることとした、銀次は驚くことも無かった。
「お上手ですねえ」
「頭の体操にとてもいいなこれは。輝夜なら先ほどからあの様子じゃ。何やら仕事が終わったようだな? うちあわせ、とやらも終わったようであるぞ。さて、お前も来たし、何かわしが作ってやろう」
「いえいえ、貴方様に作らせるわけには……」
「この何日か暮らしていてお前も作れないとは知って居るぞ、さて、寝ている子を起こしてまで夕餉を要求するほど非道ではないしな。任せておれ。親子丼でよいか」
「世俗的なもの知ってますね」
「これでも料理は趣味でな」
銀次が台所に行けば、不思議な気配を感じる。
これはきっと、妖怪ではなく、神域にちかい大きな存在の気配。
しかし吉野ではないはずだ、約束を破るようなやつではないと思っている。
何だろうと吉野は窓辺に立てば、月の側にそれはいた。
「……また、とんでもないものに好かれてますね」
月からの大きな眼差し、ただ一つの大きな眼は覚えがある。
バックベアードだっただろうか、西洋の妖怪だ。
神域ではないにしろ、自分たちとの気配が違うことには納得だ。銀次も料理に夢中で気付いていない、短時間ならよいかと市松は外に出る。
きっと輝夜を守る為に違う気配に敏感になった市松でないと気づけなかったものだ。
「よい夜ですね、四月にしてはまだ寒いけれど」
市松は外で大きな眼に声をかければ、眼は愉快そうに歪み、くりくりと廻った。
『免罪符を持つ女がいると聞いた』
「奪いにきたんですか、乱暴ですね」
『交渉でもいいぞ、幾らでも出すし何でも才能をやろう』
「いや、あの人はそういうの嫌うと思いますよ。何せ理解出来ない奇人だ」
『ではあの女を殺すしか、手に入る道はないか、非情に残念だ』
「……一つ提案があるのですが、貴方はどれくらいの妖怪に顔がききますか?」
市松は仮面を外すと、バックベアードの望んだ顔で媚びた笑みを浮かべた。
『いいだろう……お前の望みを言って見ろ』
「でしたら詳細はお手紙致します、ご内密にどうぞ。ご期待に添えると思いますよ?」
市松とバックベアードは交渉し、成立すると約束の期間がくるまでは、互いに接触することもなく。
平穏に日々はすぎ、五月になろうとしていた。
五月のゴールデンウィークの頃合いだ、その頃合いに銀次は忙しくなり、輝夜達のそばを離れた。
暫くは事務所で、輝夜と市松の二人きりが続く。
中頃で、輝夜は呆れたように市松に問いかける。
「華石を勝手にすり替えただろう?」
「どうせばれませんよ、ばれたところであの狸爺なら見逃すはずです、自分が一番愉しいと思う時期までは」
「どうしてそんなことを……」
「あの人は約束を守るつもり、ありませんよ。ならもっと条件のいい方にお譲りしただけです、その方には約束を大事にして戴きました、綿密な契約書もあります」
「……契約書」
瞠目した輝夜に、市松はレースゲームを終わらせ、仮面をずらす。
仮面を下ろしたところで、どんな顔に見えているかは市松には判らぬ。
母親かもしれない、吉野かもしれない、ジェイデンかもしれないし、大穴で父親かもしれない。
ただ思うのは。
「先生が間抜けなぶん僕がしっかりしないと。袋だたきにされるのですよ、貴方のファンたちから」
「まさかあ」
本当のことを言っても、きっと輝夜は気付かないのだろうなと、何となく市松は感じた。
変なところで聡く、変なところで鈍い女だ。
何より、己を信じ切ってくれる最近を見れば、市松が信頼を裏切らないと考えてるに違いない。
君のやりたいようにやればいいよ、と瞳が物を言っていてこんなときでも信じ切る輝夜には有難い気持ちと、呆れた気持ちが沸いて出る。
百パーセントのものなどないのに、どうして底なしに信じられるのか理解出来ない。
ただ裏切るつもりはない、市松にとって顔よりも大事にした友達を失うわけにはいかない。
「先生、いつか判る日がきます。契約書の効力が発揮する日が。そのときまでは、僕を信じてください、きっと貴方のお役に立ちます。僕は貴方のお友達ですから」
「君がそう言うならきっとそれでいいんだと思う。思考放棄じゃないよ、私もこの一ヶ月思ったことだ。君は、最初と何かが違うからね」
「……それならあの偽物は大事にしておいてください、華石から貴方の大事な物をあの偽物に移動させて輝かせてますから」
希有なことに年頃の乙女らしくはにかむ輝夜に、市松は面くらい、視線を反らした。
何だか、胸が、心がざわざわする。見ないふりをしよう、よくないものだ。
よからぬ感覚がした市松は、今までに体験のない感覚から逃げるようにレースゲームを再開した。
「お昼はちらし寿司がいいです」




