第二十八話 幻想の物語にしか住まない友を望んだ末路――逢魔が刻(前編)
前編・中編・後編と続きます。
何処かの観光地のような、沢山の紅葉と滝に包まれた寺のような室内に、凜とした少年が一人いた。
少年は白髪に青いメッシュがまばらに入った髪を持ち、金色の目をしていた。
金色の目は神格の証、それでいても神ではなく、ただ妖しの匂いを潜めていた。
少年が茶請けを食べ、お茶を飲むのを沢山の寺の影に潜む妖したちは待っていた。
「欲しい手紙は来ず、不必要な便りばかりが届くな。わしは、長らく待っているのに」
少年は茶請けを食べ終わると、送られてきた手紙を改めて広げ、達筆な文字を目を細め見つめた。
「猿田彦は、面倒な男だのう」
「何か要求でもありましたか?」
「いや、つまらぬ些細なことだ。赤い子を使い、弱い弱い人間を排他したがっている。その許しだ」
「赤い子、とは?」
「神の端くれだ。妖しをやめた鬼。わしはあれが大嫌いでな。……輝夜といったか、あれはたしかに我々の世界でも噂になるほど美しい女であると、わしの耳にすら入っておる」
少年は手についた餡をなめながら、小さく笑った。
「輝夜という女の所為で、神と妖怪のラインが曖昧になろうとしているらしい。赤い子が関与してる。どれほどに面白い女なのか。……妖しをやめた赤い子を地獄に落としてもいい案件だ」
「貴方様に我らは従います」
「では皆に伝えてくれ、百鬼夜行にて、涅哩底王に申しつける。人間との関与をやめるよう。皆々様、赤い月に会いましょう」
少年はお茶を飲み終わると、飲んでいた湯飲みを床に置き、湯飲みに指を乗せそのまま逆立ちをした。
綺麗な身だしなみの和服は一切乱れず、重力を無視した少年は湯飲みを指先でころころ転がしながら嗤った。
「逢魔が刻を、始めましょう」
*
蕎麦屋で奇妙な男に出会った。
家族連れの席に、どう見ても似つかわしくない和服の少年が家族に紛れて蕎麦を食べている。
鴨南蛮を平らげ、輝夜は少年と目を合わせないように努めた。
この日の輝夜がした今の段階の判断は、市松や吉野が聞けばよくぞ成長したと褒められるほどに、よくないものから警戒した態度だった。
普段なら気にせず見てしまうところだが、生命の防衛本能がこの少年にだけは気付かれるなと言っていたのだ。
そんな出来事生まれて初めてで、輝夜は蕎麦を食べた気がしなかった。
美味しい鴨南蛮で楽しみであったというのに、損した気持ちにもなるが、そんな気持ちも些末だと思うくらいには警告音のような動悸がする。
輝夜は自然な動きで食べ終わると会計をすませ、さっさと店を出た。
それなのに店を出た真正面に少年が立っていて、にこりと微笑んでいた。
先ほどまで家族連れの席にいたのでは、と思ったが目の前にいる少年に気を向けなければいけない。
過去にどこにいたかより、今をどうするかが生き残る重要さを持っていると輝夜は気付いた。
「私に用ですか」
きっと高貴な人なのだろう、よくない輩の中でも。
蕎麦を食べていたときの所作は優雅であったから。瞬時に敬語を使い、礼節を払う警戒心を働せた。
少年は輝夜の肝が据わっていると判るなり、瞠目し快活に嗤うと爪楊枝を使いながら輝夜を値踏みし始める。
「ああ、とても大事な用だ。お前が輝夜という女だな、一目で分かった」
「……何かしでかしましたか、私は」
「まあ、わしの判断はまだ降りてないから安心すると良い。ただ、お前の輩はまずいな。吉野と名乗っているあの鬼。お前を守る為にわしらに関わりすぎだ」
「……市松の話ではなく、吉野、なのですか?」
「妖しが悪さをするのはまあよくあることだ、しかし、神が我々を退けようと公に。それもたった一人を依怙贔屓し動くなど許されるわけない。今宵あの鬼を裁く、消すことにした」
「……私の所為なのですね。私に出来ることが、ありますか」
何かあるなら、と口調は静かでも目の奥は怒りを点して輝夜は、少年を睨んだ。
先ほどまで丁寧に警戒していたのに、吉野の話で一気に理性が消えたかと、少年は興味がわいた。
「あるとも。鬼を守りたくば、わしらの裁判にでるとよい。他の者が飢えていれば皆に辱められるか殺されるかするやもしれぬがな」
「どうすれば出られますか」
「即答だな、ははは! いいぞ気に入った。そうだな、姿勢がよいからお前にはきっとその探偵すたいるではなく。着物が美しい。振り袖でも着て、今宵待っているといい」
「妖怪にもドレスコードがあるのですね」
「美しい魅力ある者の意見は参考にするだろう? アドバイスだ、これは親切である。実践するかは好きにしろ」
「判りました……あの……不躾ですが貴方は何者ですか」
「真名は恥ずかしい、あとできっと判る。お前には、銀次と呼ばれたい。そうだそれがいい、そうしよう」
銀次は朗らかに笑って提案すると杖を持ち直してさっさと背を向けた。
輝夜は銀次が背を向けてから、自分の身体に冷や汗がびっしょりであったことを今更気付く。
三月の肌寒さに汗は冷たく、ぬぐいながら、少年の背をいつまでも見つめる。
「宵に迎えに行く、気をつけると良い。大事な者がいたら、外にださぬようにな」
銀次は愉しげに笑えば、瞬くと消えていた。
威圧感から解放された輝夜は、あの冗談にも思えぬ振り袖というドレスコードを守らねば命が危うい予感に、気が重くなった。
*
走って帰宅すれば事務所にある別室の部屋が荒れようが、振り袖を引っ張り出す。振り袖には真っ白な生地に赤と黄色の花が施され、鶴が映る振り袖を大事に握りしめる。
同時に懐かしい物を見つける、華石だ。
あの時、掃除していたときの桃の反応であればもしかすれば……。
電話を桃にかけてみると、桃は三回目のコールで繋がった。
電話越しの桃は吉野に対して心配そうだったが、今電波が不安定なところにいるらしく、移動が難しいらしい。駆けつけることはできなかった。
だが桃と、華石について答え合わせをし、かつて妖怪について研究もしていた父親からの情報だとの念押しを貰い、輝夜に必要なのはあとは度胸となった。
(きっと鍵を握るのはこの石だ……桃の話であれば、私は無くす覚悟をしなければ)
帯は願掛けに金色の物を選び、さっさと美容院に予約し夕方までに着付けを完了させた。
着付けた姿で事務所に戻るなり、ジェイデンと市松が事務所のソファーに座っていた。
振り袖に驚かない様子を見るあたり、ジェイデンから話は伝わったのだろう、いつもの盗聴器で。
「見棄てなさい、それが吉野の伝言と僕らの意思です」
市松は残酷な宣告をした。
「嫌だね」
「吉野の願いよこれは。怪物からの宴を拒否しなさい。このままだと貴方も吉野も殺される、貴方だけでもお逃げに」
「無理だね、私をいつだって吉野は助けてくれた。君もだ、市松。きっとあの様子は君たちにも関わりがある。そんな目をしていた」
「だから余計に逃げなさいって言ってるんです、もう我々も貴方と関わろうとしないことをお約束します。……側にいたいなんて、僕らが甘かったんです」
「まだだ、まだ悪いことになるとは決まっていない。私にはよくどうなるかが見えていない、だから君たちの言葉は聞かない。私は、全員守ってみせる」
「……結局、カグヤは性善説側だな、吉野側だ」
ジェイデンは嘆息をつくと、タバコに火を付け日が沈みかけている窓へ視線を向けながら、目を眇める。
眇めながら、空いた片手をばたばたと動かし、輝夜に提案する。
「オレたちは吉野側に立てない、それでもテメエは守りたいんだ」
「それは私は断るよ、私にだって出来ることがあると言われた!」
「具体的にじゃアなにをどうする?」
「策がある」
「策を披露するまえに食われることもあるぞ、興味が無ければ丁寧に全部喋り終わるのを待てない連中だ。喋り終わっても全部理解されるかも分からない」
「何でそんな……」
「人間と、人外の境界線だ」
ちらりとジェイデンは輝夜に一瞥し、タバコを指で押しつぶし火を消した。紫煙が場に渦巻き、ジェイデンは煙を手で叩く。
ぐっとジェイデンの言葉が詰まった輝夜は、顔を俯かせる。
「人間に何も出来ない領域だ、これは」
「だからなんだっていうんだ、この人とはこの程度までって終わる関係性は寂しすぎるよ」
「それが普通なんですよ、先生。先生、この世界でね、命を賭けてまで何かを棄ててもイイからと貴方を守ろうとするあの鬼がおかしいのよ。異常なの」
それは市松自身もなのだがやぶ蛇なので市松は輝夜の、人間関係への説教を続ける。
「友達だって本来は、熱い友情なんて嘘なの。夢なの。思い合うなんて幻想よ、だから人は描くのよ理想の友達話や愛の話を」
「それなら君たちはなんなんだ、君たちは私だけは思おうとしているじゃないか! 守ろうとしているじゃないか!」
「……ッそれ、は」
「市松、私は……夢を見て生きていたいんだ、吉野は沢山夢を見てイイって見せてきてくれていたんだ! 私だって君たちを守ったっていいだろう!」
「先生……夢の終わりです」
「いやだ!」
「話を聞かねえなほんっとう!!この手をとれよ、カグヤ! 取ってくださいよ、逃げましょう!? お願いですから! 意地悪じゃないんです」
市松から伸ばされた手を輝夜は払うと、ゆっくりと首を振り。
頑なな瞳を光らせた。
「熱い情が存在する夢を、私はまだ見るよ。人間の幻想が実在するって見せてやる。ご覧、外にはもう逃げられないどこにも。私も覚悟を決めている」
輝夜は窓をがらがらと開けて、沢山の妖怪を連れている銀次を見下ろす。
町中は不思議と霧に包まれ誰も居ない。
がしゃどくろに載った少年銀次と目があうと、相手はにっと歯を見せ笑った。
「宜しい、逃げなかった。誰一人。結構結構、さて愉しいパレードといこうじゃないか」
「パレード? 裁判をするんじゃないのか」
「ああ、するとも。百鬼夜行のなかでな。お嬢サン、百鬼夜行に招待しよう」
銀次は咳払いし、手を伸ばした。
だくだく冷や汗をかきながら喉がからからに乾きながら、その手を輝夜は取り、がしゃどくろの頭蓋骨へと載る。特別高い特等席は、身を震わせるに相応しい。
おぞましい光景だ、物の怪たちが山ほど後ろに連なっている。この幾つが自分を獲物と見ているだろう。
霧の中で、異形だけがはっきりと分かり、異形達は笑いさざめいている。
真っ赤な満月が、この夜の不穏さを示している。
「さあ、皆を呼ぼう。宴だ。宴の後に、お沙汰だ」




