第二十七話 人工怪異の自覚
引き継ぎを頼まれ、空いた民俗学の准教授の席。
研究室に残る資料を整理する度、妙なことが起きる。
黒猫がよぎる、傘がなくなる、車に轢かれそうになる、階段から落ちそうになる。
それらでさえ不思議で不気味であったのに、その現象が起きる度に子供達の笑い声が明るくてノイローゼになりそうな黄色い声が囃し立てるのだ。
事件より、子供達の声を聞きすぎて頭が疲れてくる。
それはそれは頭を支配する、とても五月蠅い賑やかな笑い声なのだ。
とうとう子供達の正体が分かり、前任者の結末を教授から聞いたとき青ざめた准教授は人づてに聞いた、物好きに頼ることと決めた。
このままだと、怪死すると……前任者が海でポケットに沢山の溶けない飴がつまっていたらしきポケットにしながら、死体で発見された話を聞いた准教授は途方に暮れた。
それでも子供達の声は遠のかない。
*
少し約束の時間から遅れて、依頼人はやってきた。
見目は少し貧相な見目の眼鏡をつけた壮年の男性だ。
口ひげが印象的で、汚らしい印象ではなく好印象を持てる不思議な穏やかな男性だった。
春の気温になれないのか、着込んだ服から汗を掻き、ハンカチで顔を拭きながら輝夜と話し込む。
まずは依頼料の話をしてから、内容がただの人間向けの依頼か、そうでもない他の怪しい依頼かを確認する。
このところ輝夜の事務所には不可思議な依頼が増えてきたから、料金プランを練った最近のことだ。
輝夜の瞳を見つめながら、男性は悩んだように後者を示し話を切り出す。
「先生は、誰か様、って知ってますか?」
「何だねそれは?」
「……とある一部地域に伝えられている神様とされている集団のことですね」
「神様が集団? 精霊みたいなものかい?」
「いえ、複数存在がいる同じ存在名称の神様なんです。とても、その……まずい神様なんです」
「どうして?」
「気に入った人間や、執着する人間。それから暴こうとする人間を、自分たちの一部にするんです」
「……聞いただけでもまずそうだね。その神様がどうしたんです?」
「実は、私の同僚がとある村を調べてから、その神様に祟られて亡くしていましてね」
「とある村……地図を見せてくれるかね?」
嫌な予感がした。
感覚的に、母親と父親の育った村を思い出す話題だ。
二人は神に気に入られ、秘境の地から逃げ出したのだった。
結果的に母は市松に殺されたらしいが、きっとその出会いも神様からの呪いの一部なのだろう。
男性が出した地図は見覚えがあり、遠い昔父親が自分たちの故郷だと見せた場所だった。
輝夜は渋い顔をした。
「何をしてほしいのですか、この村に」
「誰か様からの興味を反らせたいのです、誰か様の研究文献をその同僚から送られてきたので私も呪われそうで……」
「その研究文献を私が戴くことで、解決になりませんかね? 気は私に反らせられるでしょう」
「でもそうすると貴方が……」
「大丈夫です、過保護な味方も沢山いますので」
輝夜は依頼人に頬笑みながら、脳内には一同には何を奢れば良いのか思案していた。
呆れられるか叱られるかは判らぬけれど、誰か様の執着については知っておきたい。
何となく、近い未来に絶対遭遇するだろう存在だと思うから。
自分がましてや母親似なら、誰か様からは逃れられない気がする。
それなら資料を用いて逃れる手段を知っておきたいのだ。
*
今度という今度は市松は激怒した。
言葉になりきれない怒りがこみ上げ、何故そのように火中の栗を拾うのかと激高する。
思案すればするほど、輝夜をそうなるように仕向けた神からの因果や、きっと天使からの呪いが忌まわしく。
市松は髪を両手でかきむしり、ソファーに乱暴に座った。
「本当に。心から、貴方を、蔑みます」
「敵を知るには飛び込まないと」
「ですがね、下手したら今度こそ本当に死ぬのよ? 判ってる?」
「それでも。一回は対峙して逃げ方を覚えた方がイイ」
「お父様にお聞きになればよろしいじゃない!」
「今……父さんはまた新しい病院に転院していてね。なかなか……」
「それはご病気?」
「原因が判らないんだ。きっと、誰か様の影響だと思う。父さん自身逃げ切れてないから、逃げ方を私が覚えられたら父さんにも行えるだろう?」
「ご自身を実験体になさるの? 呆れた! 丈夫だと思い込みすぎ! 吉野からも何か言ってあげて!」
「いやこれは……中々勇気出したなあ。なあカグヤ。これは……俺からの情報なんだが、その過程でもう一人救える奴がいるんだ」
「え、どうしたんだい。知り合いでもいるのかね」
「この件は俺に任せて欲しい。この資料貰っていいかな。ひとまず、俺に預からせてくれ」
「え? でもそれだと逃げ方が判らないぞ」
「俺からも模索してみる。一つだけ、ケリがつけそうなんだ、この資料で」
市松と輝夜は顔を見合わせ、輝夜は頷くと資料の入った段ボールを吉野の方向に差し出すように少し押した。
「……私にもできることはあるかい?」
「呼び出してくれればいい、あの子を。メリーくんを」
救いたい対象者の名が判明し、輝夜はこくりと頷きいつものとおり、電話を待つ。
なり出すと吉野は玄関先で待ち、やってきたメリーを捉えて俵抱きしてから、事務所のソファーに無理矢理座らせ、資料を見せる。
メリーは驚いてから、無理矢理渡された資料に目を通すと吸い付くように興味を持ち始める。
一気に夢中になり、メリーは朝になるまでその資料を読み込む。
市松は眠りこけ、輝夜と吉野はメリーを黙って見守っていた。
やがて最後の資料に目を通したメリーがぽろぽろと涙を零した。
「パパだ。これを書いたのはパパだ、思い出した、パパはあの怖い神様に祟られて死んだんだ」
「君も巻き添えを食らったのか」
「うん。葬式の帰り道鉄骨が突然落ちてきた、その直前に誰か様が現れて、僕を指さして笑ったんだ」
メリーは大事そうに資料を抱えて、うううっと泣き呻く。
「なんで、なんで忘れていたんだ、パパ。パパ……!」
「メリーは人間だったんだね……」
「僕は、思い出した。挙田桃という名前だった……パパは、妖怪や民俗学の研究をしていて、准教授だったんだ。僕とパパはとても貧乏でな、それでも楽しく暮らしていた……夜に一緒に星を見るのを日課にしていた」
桃が泣き出すと隣に座っている輝夜がそっと抱きしめる、温かみを感じれば桃はわっと泣き上げて唸る。
「どうして、パパ! なんで死んじゃったの! 危なかったならやめればいいのに!」
「……桃、私もねそいつらに母さんを呪われたんだよ。父さんも」
「カグヤもなのか?」
「そう、同じ敵だ。さらに呪われる候補に私がいる。うちの血族を嫌っている、誰か様は。母さんを囲いたかったのに、母さんは村から逃げたからね」
輝夜をじっと見つめてからメリーは輝夜に抱きつき、泣き終えてからこくりと頷く、凜とした表情を見せ決意を示す。
その表情には女々しさは宿っていなかった。氷の氷柱が刺さる瞬間の鋭敏な美しさを持っていた。
「……いいだろう。カグヤ、誰か様が敵なら僕はお前の味方になろう、僕は誰か様を倒したい消したい。パパと同じ存在を作りたくない。お前が誰か様と敵対する限り味方になろう。吉野さん、貴方はずっとパパの存在を知っていたんだね」
「ずっと恩人から君のことを任せられていてね。俺の神社に祈りが届いて、貴方たちの世界に桃がいったなら桃を守ってくださいって言われたんだ。君のお父さんの弟から」
桃は吉野に深々と頭をさげると、市松に視線を寄越す。
市松は騒ぐ物音で起きたのか、くらくらとする頭を眠気から立ち直らせ、仮面をおろし、桃を見つめた。
桃はそれで全てが納得した。
「貴方も大事な顔を持っているのか」
「貴方も?」
「僕は、猿のお面の人と出会い、パパの顔で頼まれたんだ。カグヤを殺せって。貴方も同じだ、お面を被っていてその下に大事な顔を持っている」
「……猿田彦だ、あいつ……」
市松は目を眇めると、嘆息をつき、桃を睨み付けた。
「それで、貴方はこれからも怪異として存在し続けるのですか?」
「その方が都合がいいだろう? 僕は誰か様を調査し続けてみる。僕らの大事なひとのためにだ……カグヤ、僕はお前が嫌いだ。それでも、お前を僕ら一家と同じ目に遭わせたくない。お前は逃げず、ただ構えていればいいのだ。逃げる必要も無い、逃げれば良いのはあいつらだ」
桃の強い眼差しには、拒否を受け入れる余裕などなかった。
輝夜は頷き、資料は形見として全て桃にあげることになった。
*
夜に輝夜が眠る頃合いに、白い人影が沢山集う。
一つの人影が他の人影を呼び、きゃらきゃらと子供の笑い声が響く。
楽しそうな声だった。複数重なりやたらと騒がしい。
それこそが誰か様だった、誰か様は輝夜の寝顔を大勢で覗き込むと、扉の近くに桃が現れる。
桃は冷たい笑みを浮かべると、誰か様に歩み寄る。誰か様は桃のまわりをばたばたと走り笑い声を響かせる。
「思い出すよこの耳障りな声。無駄だぞ、もう僕のような目に遭わせない。パパの書類を見て思いついたんだ、お前たちを追い払う方法。他の神様が、お前たちは大嫌いだとな?」
笑い声は増えて、桃は後ろに控えている吉野にお経を読んで貰う。
それはどこの仏様の宗派でもよかった、とにかく他の大きな神仏の存在や加護を持っていると意味すればいい。殊更、加護を司る吉野が読めば効果や、祈りの力はでかい。
誰か様は確かに他の神となれ合うこともないから、笑い声が一気にブーイングになって、部屋ではポルターガイストが沢山起こる。
異音、物体浮遊、とにかくなんでもおきた。
それを静かにさせたのは、桃の言葉だ。
「ばらばらになっちゃってひとりぼっちになるぞ、固まらないと」
誰か様は群れを好み、単独になるのを畏れる。
逃げ回る誰か様は群れでなくなりはぐれるのを嫌がると、今回は諦め集団で出て行った。
窓辺まで見送り、吉野と桃は誰か様の白い姿を遠くなっても睨み付けていた。
「集団にならないと何もできない奴らめ、一人一人消してやる」
「桃、根底から何とかしないとこいつらは消えないな」
「吉野さん、僕は決めたよ。……誰か様の発祥した村に行く、追い詰めて居場所をなくしてやる。神でもない人でも無くなった、命が亡くて呪いを受けない僕にしかできない」
「……一気に頼もしくなるなあ」
「僕は、メリーになりかけた者だ。いつもすぐそばにいる、何かあったら呼んでくれ。カグヤと狐によろしく。お猿さんに気をつけろと言ってくれ。それでは、またな」
桃はそのまま誰か様を追うために、日傘を開き、風に日傘を乗せてふわふわと飛び立っていった。
ゆっくりと輝夜は起き上がると、吉野を見やる。
「誰か様があのまま大人しくしてるとおもうかね?」
「少しは任せてみよう、それでも駄目なら大人の出番だ。子供の成長は止めてはいけないんじゃないかな、カグヤ」
「まるで桃のお父さんだね、意見が。君は本当に、人が大好きなんだなあ」
「まあな……それにしても。狐の一族は、よほどカグヤを嫌っているんだね」
「事情が事情だからね。私はあの一族から市松を取り上げた存在だ、どう恨まれてもしかたないよ」
「……カグヤ。これから、沢山もしかしたらメリーくんみたいに仕掛けられるかもしれない。それでもあの狐をそばにおきたい?」
「人の意思は誰であれ邪魔できないよ、あいつがいたいなら私はとめない。甘える。それはね、お友達だろうとそうなんだ」
輝夜は、桃が飛んだ方角を指さし、綺麗な星空に笑った。
「君もそばにいて、こうして一緒に星空見たいならいつでもおいで」
「……そうするよ、八十年ばかりは少なくとも」
いつの日か。いつの日か別れは来る、寿命なのか人の縁なのかは判らないけれど。
ただそれまでは、守ることを許して欲しい。
吉野は遠い空に、祈った。
星の降る夜だった。




