第弐話 黒い足音
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「あれ……ここは?」
目を開けると、俺はなぜか駅のホームのベンチで寝ていた。
同じ体勢で寝ていたせいか、腰と尻がとても痛い。
それにしても肌寒く、思わず両手をすりすりとこすり合わせた。
とてもリアルな夢を見ていたせいか、思い出すだけでも吐き気がする。
早くここから出ようと立ち上がると、線路の先の暗がりから、電車の汽笛音が聞こえた。
「こんな時間に……電車?」
思わず自分で口にした言葉に、思わずハッとした。
先ほど夢だと思っていた光景とまったく同じことを繰り返している。
俺はまさかと思い振り返り、電光掲示板を見上げた。
『譁�ュ怜喧縺代ヱ繧ソ繝シ繝ウ』
そこには先ほども見た、文字化けした意味不明な言語を表示されている。
その言語が左へと流れていくと『七月四日 七時五分 椎名 カオリ』と表示されていた。
「椎名……カオリ」
俺は思わず生唾を飲んだ。
ホームへと突入した電車が警告をするかのようにブザー音を鳴らし、同じタイミングで急ブレーキをかけた。
その甲高い音が耳の奥へと突き刺さり、耳を塞いだ。
だが、目だけは瞑らずにぐっと抑える。
すると、音もなく自分の後ろから、先ほどの制服の少女が歩いていくのが見え、先ほども立っていた黄色い線の外側、ホームの淵ギリギリで立ち止った。
「危ない!」
今度こそと、俺は少女の手を掴もうと駆け寄ったが、一歩届かず、目の前で少女は加速する電車に衝突した。
その瞬間を目の当たりにした俺は、衝突の瞬間がコマ送りにして見えた。
電車に思い切り衝突し、脚と腕が捥げ、最後に首が90度に折れ曲がっていく。
「あっ……」
不自然に曲がった少女の顔が俺のほうへと向いた。
一瞬、少女の目が俺の目を冷たいまなざしで見つめていたような気がした。
◆
「あぁ……!!」
俺は少女と目が合った瞬間、あまりの恐怖から飛び起きた。
服の中は汗でびっちょりと濡れ、気持ち悪く肌に張り付いている。
これは夢の中なんかじゃない。
さっきから起きている同じシーンは、間違いなく現実で起こっていることだ。
ピーンポーンパーンポーン
『本日のロスタイムは九十分デス。皆さマ、弔いノ時間ヲ開始してくだサイ。』
三回目となる放送が流れ、咄嗟にあたりを確認した。
線路の暗がりからは同じタイミングで電車が汽笛を鳴らしながら突入してくる。
電光掲示板には相変わらず意味不明な言葉が流れ、『椎名カオリ』と表示された。
電車がホームへと突入し、大きなブザー音とともに、急ブレーキをかける。
制服の少女がホームまで歩いていき、黄色い線の外側の淵ギリギリに立つ。
「やめろ!!」
俺は次こそは失敗しまいと、少女の右腕を掴み、力づくでホームの内側へ引きずり込む。
加速する電車は風を切る音を立てながら、そのまま止まる様子もなくホームの先の方へと消えていった。
「お前……何やってるんだ!」
制服の少女の腕から俺は手を離した。
少女はその場でぺたりと座り込み、動かない。
「大丈夫か……?」
その華奢な肩に触れると、小刻みに震えている。
「……ありがとう」
少女の肩に乗っけた俺の手を握り、ゆっくりと振り返った。
俺は涙に濡れた可愛らしい顔に、思わず動揺した。
「立てるか?」
「……うん」
俺は少女を支えながらゆっくりと立たせた。
「君は?」
「……椎名カオリ」
椎名カオリ……薄々感じてはいたが、電光掲示板に表示された名前の子で間違いないようであった。
「なんでこんなところにいるんだ?」
「わかんないよ……」
少女の涙は止まらず、嗚咽を混じりな声を出していた。
「とりあえず深呼吸しようか」
俺は彼女の背中を優しく擦った。
そのおかげか、彼女は少しづつ息を整えていき、小刻みに震えていた体に熱が戻ってきた。
「大丈夫……ありがとう」
彼女は優しく笑った。その笑顔は年相応の可愛らしい笑顔であった。
ザッザー、ザザ、ザー
ピーンポーンパーンポーン
砂嵐がスピーカーから流れ、先ほどと同じ音が流れ始める。
「なんだ……?」
「さ、さぁ……わからないけど……なんだか寒い」
『皆さマ、弔いノ時間が中断サレましタ。コレより、結合ヲ開始しまス。』
スピーカーから流れるアナウンスの内容が変わっている。
明らかに、彼女を助けたせいなのはわかるが、『結合』とは何だ?
すると、線路の暗がりから電車がホームへと突入する汽笛音が聞こえた。
俺は無意識に振り返り、電光掲示板を確認する。
『譁�ュ怜喧縺代ヱ繧ソ繝シ繝ウ』
先ほどと同じく文字化けした意味不明な言語が流れていく。
『結合 百二十五ニン目 二ジ三十ゴ分 喰ジン鬼』
その掲示板の表示に悪寒が走る。
意味は分からないがここから逃げ出さなければ、大変なことになると直感的に感じた。
そんなことを考えていると、緩やかに電車はブレーキをかけ、いつも通りの場所に停車する。
ピンポーンピンポーンという音が鳴ると、ゆっくりと電車のドアが開いた。
俺は少女の手を握り、固唾を飲んだ。
電車の中は、光一つ点いていない暗闇であった。
不気味なぐらいに静かな時間が流れる。
ホームを照らす蛍光灯の点滅が早くなり、徐々に一つずつ消えていく。
―――ミシミシミシ
―――カンカンカン
電車内で何かが移動する音が反響する。
「……ここから逃げたほうがよくないですか?」
「あぁ……なんかヤバいぞ」
移動した音が止まり静けさが戻る。
すると、奥の最後尾にあたる10両目ドアを黒い手のようなものが掴んだ。
それは遠目でもそれがはっきりとわかるぐらい、異様に黒く細長い指だと分かる。
その黒い手は両手で両ドアを掴んだかと思うと、もう2本、3本と同じような手が車両の中から這い出し始める。
そして、その手の先の体がゆっくりと車両のドアから這い出た怪物を見た瞬間、俺の身体中にぞわりと鳥肌が立った。
「逃げるぞ!!」
俺は少女の手首を掴むと、近くにあった上へと上がる階段を一気に駆け出した。
電車から出てきた黒い怪物を全身見たわけではないが、それでも異様な形をしていることははっきりと分かった。
黒い腕のところどころから、人間の腕がキノコのようににょきにょきと生え、電車の扉からはみ出た体躯には、大小いくつもの人間の目がぎょろぎょろと辺りを見渡している。
いつかのジブリ映画でみた「シシ神」にも似ているが、正直それよりも生々しく、グロテスクに感じた。
俺は恐怖のあまり、一段一段飛び越しながら、勢いのまま駆け上がっていく。
「ちょっと……はや……」
彼女の足が階段でもつれ、1階まで駆け上がったところでこけてしまった。
「すまん!」
俺はハッと意識が戻り、彼女のもとに座り込む。
彼女の膝からは踊り場のコンクリートで擦りむいたのか、擦り傷ができている。
「大丈夫か?」
「うん……なんとか」
俺は安心したのも束の間、恐る恐る振り返った。
自分の肌がだんだんと寒気だけが近づいてくるのを感じる。
ズルズルという重いものを引きずる音が木霊し、徐々にそれが大きくなっていく。
電車から這い出たそれはホームを歩き、ついに階段の一段目に黒い手が伸びたのを俺は見た。
あんなものに追いついたら食われるに決まっている。
「いくぞ!」
俺はまた、彼女の手首を掴み、階段を駆け上がっていく。
大宮駅の埼京線のホームは地下1階に存在し、中間部の1階、そして改札出口のある2階へと繋がっている。
2階まで駆け上がれば確実に外に出れるという算段を立てながら、一目散に出口へと走った。
「よし!ここまでくれば……!」
階段を駆け上がった先、西口側の改札口へと体を向けると、そのまま改札を突っ切った。
西口に出ようと、出口まで走っていったが、すべての扉が封鎖されており、鍵がかかっている。
「くそ!なんで開かないんだ!」
扉を力づくでガンガンとこじ開けようとしたが、ビクともしない。
「私東口も見てくる!」
そういうとカオリは東口のほうへと走っていった。
右と左の隣の扉も同じくして錠がかかり、西口には出口がないことに焦り、俺は彼女が走っていった東口のほうへと向かっていった。
駅の中央改札口、ちょうど大宮駅のシンボルである「豆の木」で折り返してきたカオリと合流した。
「向こう側もダメ。全部封鎖されているみたい!」
俺たちは焦り顔を見合わせた。
ガランガランガラン!
何かにぶつかる音が、西口改札口のほうから聞こえてきた。
「あいつ、もうここまで来たのか!」
俺はどこか隠れる場所を周囲を見渡す。
「ここがちょうどいいんじゃない?」
カオリはインフォーメーションを指さした。
窓口にシャッターがかかっておらず、隠れるにはちょうど良い場所であった。
俺たちはカウンターを跨いで、カウンターの空洞となっている足元の部分に身を屈めた。
「上手く撒ければいいんだがな……」
隣に一緒に身を屈めている彼女に目を向けると、下を向きながらプルプルと小刻みに震えている。
「大丈夫か?」
「あ、うん……大丈夫……」
俺にはそれが到底本当のことだとは思えなかった。
彼女の顔は青白くなり、両腕の震えを抑えるように両手で二の腕を握っている。
「俺に任せとけ」
こんな臭いセリフ、自分がまさか吐くとは思ってもいなかった。
彼女の肩に手を触れると、先ほどまでの震えは小さくなっている。
俺の言葉にも、多少なりとも意味はあったんだなと、少しばかり嬉しさが込み上げてきた。
ガタン!ガタンガタン!
西口改札のほうでまた大きな音がした。
大きな体を無理やり改札口にねじ込ませ、乗り越えてきたような音に聞こえた。
その音を聞いた途端、俺の心拍数はいつもの倍以上に脈を打っている。
「俺に任せとけ」なんて言った手前、怖気づいた姿など女の子に見せるわけにはいかないと、そんな様子をおくびにも見せず、ただただ怪物がこっちに来ないことだけを祈った。
べた、べたべた、べた
這い歩きながら、重い体を地面に擦っている音が反響する。
来ないでくれとという必死の祈りは神に届かないせいか、その音は西口から右手へと曲がり、俺たちのいる中央改札口に向かいながら歩いている音が聞こえた。
べちゃ、べちゃべちゃ、べちゃ、べちゃ
その音が真後ろにあるかのように感じるぐらいまでの距離に怪物は近づいている。
俺は早まる鼓動を抑えようと、胸を手で押さえる。
(クソ……!早くどっかに行ってくれ!)
べちゃ、べちゃ、べちゃ
音が俺たちの隠れる建物の後方から前方へと移動し、カウンターという一枚の壁を挟んだ向こう側に怪物はいる。
怪物の口から、犬のような息の上がった声が聞こえ、俺の心拍数は一気に上昇した。
(なんだ……この臭い……)
怪物の息遣いが聞こえるたびに、生ごみを腐らせたような強烈な腐敗臭が鼻を衝いた。
俺は思わず鼻をつまむ。
べちゃ
カウンターに何かを落とした音がした。
息遣いだけが真上から聞こえる。
俺は思わず、息を止めるように口を押える。
(気付かないでくれ……!)
黒い手がカウンターの淵に手をかけた。
真横をみると、カオリが涙目になって同じく口を押えている。
俺たちは目を見合わせ、恐怖がどこかに立ち去っていくのを神に祈った。
ほんの数秒がこんなにも永く感じたことは生涯一度もなかっただろう。
神に祈りが通じたおかげなのか、カウンター越しの怪物はカウンターの中を覗きこもうとはせず、俺たちがいないと判断したのか、その手をカウンターからどかし、インフォメーョンから遠ざかっていく足音が聞こえた。
俺は足音が遠ざかっていくのを確認すると、その安心からか胸を撫でおろした。
「大丈夫か?」
「う、うん……ごめんね」
「ごめんって何が?」
「こんなことに巻き込んじゃって……」
「巻き込んじゃってッて、君のせいじゃないだろう」
「ううん……私のせいだよ」
カオリは体育座りをしながらため息をついた。
「私……もう死んでるのよ」