孤児の事情
「わたしは元々孤児院にいました」
孤児院とはその名の通り、孤児を住まわせ大人になるまで育てる施設だ。両親が亡くなり身寄りがない子や、捨てられた赤子を保護しているのである。基本的にこの世界の施設の運営は税金で賄われていることが多い。支払われる運営費こそ大なり小なりあれどこのシーケンス領も同じである。
「最初は皆で楽しく暮らしてました。先生はとても優しい人でした」
「だんだん、先生が外出する日が増えました」
「先生は笑ってたけど、明らかに疲れている様子でした」
「ある日、先生は帰ってきませんでした」
「知らないおじさんが来て孤児院が無くなると聞きました。せ、先生が死んだから運営していけないって」
「代わりに他の良い場所に連れていってくれると言われました。お腹一杯ご飯も食べれるって。他の子は皆、仕方がないとついていきました。でも、わたしはあんな作り笑顔を浮かべた大人についていきたくありませんでした」
「裏口からこっそり逃げて、けど、どうることも出来ずに川の水を飲んで、雑草を食べて飢えを凌いでました」
マリはリッテの話が終わるまで静かに聞いていた。リッテの話だけでは全貌を把握することは困難であるが、取り敢えずマリが知りたいことは聞くことができた。
「なるほどね、話はわかったわ。リッテ、あなたはこれからどうしたい?」
「これから……?」
「そう、他の子を引き取ってくれた人を探すか、他の誰かに保護を求めるか、しばらくの間私と一緒に過ごすか」
リッテの保護者である両親はいない。孤児院での保護者ももういない。つまり、リッテには身を寄せる相手がいないということである。この世界の法律がどうなっているのか知らないが、身寄りのない子供を引き取って罪に問われるようなことは無いだろうとマリは考えた。
「他の子を引き取ったおじさんを探す?」
「絶対に嫌❕」
高速で首を振り、力強く拒否する。それだけその男から嫌な感じを察知したのだろう。
「他の誰かに保護を求める?」
「や!…………マリさんがいい」
マリが提示するよりも先にリッテは答えた。全く知らない誰かよりも、短時間ではあるが、自分に親切にしてくれた彼女しかいないと直感が告げていた。
リッテの出した答えに対してマリは聖母のような笑みを浮かべ、少女の手を優しく包み込む。
「ふふ、それじゃぁ宜しくねリッテ」
「うん、マリさ……んーん、マリねぇ?」
その瞬間、マリは雷に打たれたように硬直した。小首をかしげながら、リッテはマリの目を覗き込む。
『なにこの可愛い生き物!?』と、内心テンション爆上げであるが、それを表情に出さないように抑え込もうとしたため結果としてフリーズしてしまった。
「わたし、おねえちゃんが欲しいと思ってて……だめ……でした?」
「そそそ、そんなことないわよ、敬語もいらないわ!」
マリから何の反応も帰ってこなかったため、リッテは不安げに尋ねる。そんなリッテの今にも壊れそうな表情を見て、しまったとマリは慌てて訂正した。
「うん、マリねぇありがとう!」
許可を得てようやくホッとしたリッテは満面の笑みを浮かべた。
こうしてマリは異世界で初めて家族を手に入れることとなった。生半端な覚悟ではなく、リッテの人生を背負うということを正しく理解したうえでリッテを受け入れることにした。
しばらくした後、電池が切れたようにリッテは眠りについた。久々にお腹いっぱい食べられったことと、今後の生活について心配がなくなったため安堵し、今度は安心して睡魔に身を委ねることが出来たためだろう。
マリが部屋から出て1階へ降りると、ウルススがいつものようにカウンターに腰かけていた。マリはカウンターへ直行し、ウルススに最大限の敬意を払って感謝を告げた。
「ウルススさん、あの子を勝手に連れてきてすみませんでした。それなのに色々とありがとうございました」
「ふん……あの子……」
「はい、ご飯も食べて元気になりました。今はお腹いっぱいになったせいかまたぐっすり眠っています」
「そうか」
ウルススは相変わらず口数は少ないが、その口角は僅かに上がっていた。その変化をマリも見逃さず、なんとなくではあるがウルススの人となりというのを理解することが出来るようになってきた。
「ウルススさん、それでご相談なのですが、元々1週間という予定を変更して、あの子も同室で1カ月の宿泊は可能ですか?そしてご飯は出来れば3食この宿でお願いしたいのですが……」
「230000メロ」
「え? それじゃぁ私の1日の宿代だけになるのでは? それにご飯代が含まれていませんが……」
ウルススが提示した金額は『1人1泊朝食のみ』の時と同じ金額であった。本来ならばそこに少女の宿泊費とご飯代、マリの昼・夜のご飯代が含まれていなければならない。マリは勿論お金が無いわけでもないのでしっかり払うといおうとしたのだが、ウルススは何でもないように鼻を鳴らした。
「しっかり面倒見ろ」
「……はい、ありがとうございます」
ウルススの言わんとしていることを理解し、ありがたくその気遣いを受け取った。マリは大銀貨2枚と銀貨3枚を渡し、改めてウルススに向き合った。
「ウルススさん、話は変わりますが実はお聞きしたいことがありまして……」
この街の情報を集めるにも、マリにはまだ知り合いがいない。強いて言えばこの宿の店主であるウルススだけがかろうじて知り合いの範囲に入るだろう。リッテの話だけでは情報が色々と足りず、どうしても情報を集める必要があった。ウルススならば、話を真剣に受け止め必要な情報を提供してくれると妙な信頼感がマリの中にあった。
「運営費……全領主……打ち切り……院長……激務」
運営費は数年前に前領主によって打ち切られていた。それでも院長は仕事を探し、なんとか孤児たちを育てようと無理を重ねていた。食べ物などは近隣の人から時々余り物を頂いていたが、それでも食べ盛りの子供たち数人を育てるにいは全く足りなかった。それで少しでも報酬の良い仕事をと、院長は体に鞭打って重労働をこなしていた。
「過労死……孤児たち……人身売買……帝国」
そして院長は無理がたたり、過労死してしまった。残った孤児たちは守ってくれる存在がおらず、院長の遠い親族と自称する奴隷商にいいように丸め込まれ、帝国へ売られてしまった。普通ならばそんなことまかり通るはずもないが、この領の兵士たちにはいくばくかの金を握らせることである程度自由に動くことが出来るようになってしまっていた。そして、帝国に売られた奴隷の末路は自由を奪われ、その命さえ所有者の自由となっている。
「……そうですか。情報、ありがとうございます」
行き場のない怒りがマリの中を駆け巡る。瞳があの時と同じように薄く濁り、強く拳を握りしめたせいでその爪は皮膚に食い込み、血液がしたたり落ちる。
「感情……コントロール……心配かけるな」
ウルススがマリの固く閉ざされた拳に手を添えると、リッテの時と同じように緑の淡い光で包まれた。今回は直ぐに光が収まり、手品のように傷が塞がった。
マリはハッとして、両手で頬に活を入れる。あのまま部屋に戻っていたらリッテを怖がらせてしまったかもしれない。心配をかけてしまったかもしれない。リッテを支えてあげられるのは現状ではマリしかいないため、そんな保護者であるお前が不安をあおるような行為をするなとウルススは助言した。
「何度もご迷惑をおかけしてすみませんでした。ありがとうございます」
マリの瞳は純粋な光を取り戻し、いつもの様な冷静さを取り戻すことが出来た。ウルススには足を向けて眠ることが出来ないなと苦笑しつつ、初めての知り合いが彼で良かったとマリは心の底から感謝した。
※ウルススさんとフラグは立ちません(ネタバレ)
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