第34話 尖塔の教会、聖母の笑み
僕は疲労の蓄積による発熱の治療に来ていた。
治療と言っても病院に来ている訳ではない。
空にまで届きそうな尖塔を中央に据えた荘厳な建物。大きな窓にはステンドグラスがはめ込まれたその建物の名前はフランクデリカ大聖堂。
創造神ミシリアに祈りを捧げるために作られたこの大聖堂は300人の修道士に400人の修道女が暮らしている。そして親のいない孤児もたくさん生活している。
だから僕が大聖堂の門をくぐると、子供たちの元気な声が敷地内に響き渡り、それを追いかけるシスターのせわしない声も同じように響いていた。
「こんにちは」
洗濯カゴを手に抱えたシスターが聖者の微笑みを湛えて挨拶を届けてくれる。
「こんにちは」
「大司祭様に御用ですか?」
「はい。どうも気分がすぐれないので」
「そうでしたか。大司祭様が癒しの奇跡を施しているのはあちらになります」
シスターが洗濯カゴを置いて指差すのは礼拝堂。
「ありがとうございます」
このフランクデリカ大聖堂は創造神ミシリアへの祈りを捧げる役割のほかに無償で癒しを施してくれているのだ。
礼拝堂の前には、顔色の悪そうな人、妊婦、包帯を巻いた人が並んでいる。その全ての人が言い方は悪いけどもみすぼらしい姿をしていた。皆、正式な医者にかかることができない人たちなのだ。
そんな人たちにとってここは数少ない頼れる場所。
「次の方」
僕の番が来た。
声と共に礼拝堂の木製の扉が内側から開けられる。
「本日はどうされまし……って、カルロ君!?」
そこにいたのはマリア。
マリアが驚きの顔で礼拝の時には信徒が並んで座る木製の長椅子に座っていた。
そう。僕がフラフラする足取りでわざわざこの教会に来た理由の1番大事なところがこれだ。
マリアがいること。
この一点に尽きる。
この前、レベッカの姉弟の話を聞いて病気になったら必ず来ようと思っていたのだ。マリアがこの教会にいる時間の下調べも事前にしっかり行っている。
「お久しぶりです」
「本当にお久しぶりですね。あの時はケガをしなくて良かったです。カルロ君は本当に強いんですね」
そう、マリアはこのフランクデリカ大聖堂を統べる大司祭なのだ。そして、もちろん癒しの奇跡を施してくれるのもマリア。
「運が良かっただけですよ」
僕は苦笑する。
「マサキと互角に戦うなんて運でできることではないですよ。カルロ君の実力です」
「そう言っていただけると嬉しいで……す」
僕は、くらくらと力なく長椅子に座り込んでしまう。正直、結構つらい。
「あっ、すみません。今、治しますね」
駆け寄ってきてくれるマリア。
「ミシリアの導きによって生まれし癒やしの風よ、善なる信徒の願いを聞き届け、奇跡をおこしたまえ。『聖なるそよ風』」
僕を包み込んだのは淡い蒼い光。普通の治癒魔法は淡い緑の光が生まれるのでこれが聖職者にしか使えない神聖魔法の1つだと分かる。
蒼い光は僕の熱を下げ、目眩をみるみると治していく。
僕たち魔法使いにとって怪我は治癒魔法によって自分自身で治すことができる。ただ、病気は不可能なのだ。
疲労を飛ばすことも睡魔を忘れさせることもできるけども、病気だけは魔法使いに治すことはできないのだ。
「どうですか?」
「本当にすごいですね。さっきまでが嘘のようです!」
僕の体を襲っていただるさが嘘のようだ。
今なら迷宮の高速周回も出来てしまいそうだ。どうせ暇だし、ちょっとやって来ようかな。
「それは良かったです。もう、無理をしてはいけませんよ。魔法使いの方は無茶をよくしますから」
マリアはまるで僕が魔法で無理をしているのを知っているかのように言う。
「気をつけます」
「約束ですよ」
マリアの気遣いが心に染みる。これだけで病も治ってしまいそうだ。
「それで、これお布施です」
癒やしの奇跡は基本的に無償だ。
だけどもちろん完全な無料では教会の運営は成り立たない。
だから、こうしてお布施として気持ちを支払うのがマナーになっている。お金がない人は労働力で支払っても問題ない。
「ありがとうございます。カルロ君に神の祝福がありますように」
マリアは僕が出した革袋を両手で受け取る。
そしてその重さに驚いた顔をする。
「こんなにたくさん……いいのですか?」
実は7歳児が支払うような金額ではないお金が革袋の中には入っている。
本来、教会へのお布施に大金を支払うのはあまり良いこととはされていない。
それは、神に仕える聖職者は施しをする側であって、施しを受けてはいけないとされるからだ。
「気にしないでください。気持ちなので」
でも、現実は違う。いくらマリアたちが慎ましやかな生活をしてもお金はかかる。特にフランクデリカ大聖堂は孤児院も兼ねているのだ。出費は大きいに決まっている。
金儲けを行うことができない教会にとって癒やしの奇跡から手に入るお金は数少ない収入源なのだ。
王侯貴族や豪商からの寄付金だけでは教会は運営できないと僕は知っている。
だから、僕は多めにお布施を渡した。
僕みたいな研究職を目指す魔法使いはお金をたくさん稼ぐ。
今の僕でも、研究のために魔獣を倒した副産物としてお金を手に入れているし、その研究成果がお金を生んでいる。
ちなみに僕も安価な魔法具を作って売っている。
そして、僕のような研究者はお金を稼ぐ割に使わない。研究資材を買うことはあっても、遊ぶ時間なんて研究に当ててしまうので貯まる一方なのだ。
つまり、使わわないお金を有効的に使っただけ。マリアが困るようなことはない。
一応、子爵位を持つ貴族なので高貴なる者の義務を果たしているということにしてほしい。
という僕の気持ちを理解してくれたのかマリアは、
「はい。素直にお受け取りしておきますね」
と、受け取ってくれた。
「それと、カルロ君にお願いがあるんですけども、いいですか?」
申し訳なさそうに聞いてくるマリア。
マリアのお願いならたとえ龍の逆鱗が欲しいと言われてもなんとかしてあげるつもりだ。
「はい。なんですか?」
「あの、この子の点検をお願いしたいんです。カルロ君に前にしてもらってから調子が良くて……」
マリアは祭壇に祀られた聖杖を見る。
僕はその上目遣いのマリアに心臓が飛び跳ねた。
そして、もちろん誠心誠意、真心を込めて点検をさせてもらいました。




