第19話 青と赤と黒
「まさかこんなところに氷の女王がいるなんて……あり得ないだろ」
クレアとマリアンヌ王女殿下が後にした氷の部屋で僕は氷の女王と対峙する。
「あらあら、新しいお客様ね。新しいお茶用意しましょうか?」
フフッと微笑む氷の女王。
僕は、基本的に言葉を理解する魔族は傷つけたくないし戦いたくないと思っている。それに氷の女王とお茶をするなんていう珍しい機会なんて魔法学研究者としてはぜひ体験したい。
だけど、今日は別だ。こいつは、まだ1年にも満たない付き合いだけど、僕の未来の共同研究者を傷つけた。
「残念だけどそれはできないかな。僕は君を許せない!」
僕は『真・紅炎の矢』を連続して撃ちだす。
「まぁ、それは残念ね。お茶が無駄になっちゃったわ」
氷の女王は軽やかにまるでダンスでも踊るかのように深紅の矢を躱す。
「さあ、私の最愛の坊や、相手をしてあげなさい」
地面の氷がパキパキと音をたてながら盛り上がると、氷の騎士……じゃない……氷の皇帝が現れる。
「ウソだろ!」
氷の皇帝はこんな低級迷宮に現れるような魔族ではない。というより、氷の女王よりも上位種の氷の皇帝が氷の女王によって生み出されるなんて世界の理に反した現象だ。興味深い。
ただ、今は氷の皇帝の相手をゆっくりしている余裕はない。危機的な状態は脱したもののレベッカもマリアンヌ王女も危険な状況であることに違いはないのだ。
「絡み付け、真・紅焔の大蛇」
炎の大蛇に巻き付かれた氷の皇帝は断末魔を上げることもなく溶け消える。
こういう、動物を形どったような自律魔法はイメージが重要になってくる。氷の皇帝を一撃で倒せたのも日頃の脳内訓練の賜物だろう。
「私の……坊や……」
消えた氷の皇帝を呆然と見つめる、氷の女王。
「お客様……許しませんわ。私の最愛の坊やを!」
「すぐにお前も一緒のところに送ってやるから安心しなよ」
まぁ、迷宮の魔族は死んだら魔力に戻るのであの世とか存在しないだろうけど。
「いえ……お客様を新しい私のお人形にすればいいんだわ。そうね。それがいいわね」
うわ言のようにブツブツと呟く氷の女王。
「でも、足りないわ。もっと、もっと、貰わないと!」
氷の女王が歪む。
そして、驚愕の現象が起こる。
この世の者とは思えないほどきれいに整った氷の女王の顔が醜悪に、そして凶悪に変貌する。元の顔と同じでこの世の者とは思えない程に。
変化は顔だけではない。
体の周囲には氷の茨が巻き付き、爪は伸び、筋肉が膨れ上がっていく。
「なんだよこれ! おかしすぎる!」
確かに魔族の中には状況によって形態変化をする種族も多数いる。しかし、氷の女王では確認されたことなど一度もないのだ。
地上の生態系とは全く違う生態系を持ち、特異な魔力が溢れている迷宮は魔族の進化が通常よりも早いため、過去に確認できていない事象が起こることが多々あることはもちろん理解できている。
だけど、これは起こりすぎだ。
氷の女王がこの迷宮にいること。氷の皇帝を従えていること。形態変化をすること。
こんないっぺんに進化が、誰にも観測されることもなく進むはずがない。
可能性があるとすれば、人為的進化。誰かが作為的に行った可能性だ。いったい誰が? 何の為に?
僕の思考を遮るように『氷の雨』が変貌を遂げた氷の女王から放たれる。
常に展開している防御魔法に氷の礫ががしがしと衝突し無惨に砕けていく。
「雪崩込め、氷河の崩壊」
続けざまに放たれる高位範囲魔法。
「流れ出せ、真・灼熱の大河!」
僕の唱えた魔法も同威力の高位範囲魔法。
寒波と熱波。
氷塊と溶岩。
広くもない部屋でぶつかり合い均衡する2つの魔法。
「人間ごときが魔族に相対魔法戦で勝てるとお思い!」
こんな相対魔法戦に最後を決めるのは、魔力の質と量。魔力量については、魔族である氷の女王に人間の僕が勝てるわけがない。
「思ってるよ。絶対に僕が勝つ!」
しかし、質は別。
赤ちゃんの時からコツコツ濃縮した僕の魔力は通常の濃さに対して100倍はある。それに魔法理論も魔族が使う原始魔法よりも、当然、僕の方が効率的だ。
だから――
徐々に氷塊を押し込み始める溶岩のうねり。
「そんな……馬鹿な……!」
今まで僕に驚愕を与え続けてきた氷の女王が事実を受け付けられないとばかりに呟き、溶岩の海に飲み込まれた。
「よし、帰ろう」
あれに耐えられる氷系魔族はいないはず。
僕は、氷の女王が創り出したティーセットを拾い上げる。やっぱり、この魔族が創り出したティーセットは持って帰らないとね。
「まだ、まだよ!」
溶け切ったはずの氷の女王がフラフラと立っている。それどころか、ボロボロの体で一歩ずつ僕に近づいてくるではないか。
あまりにもしぶとすぎ。生に人間ほどの未練が無い魔族がこんなにも生きようとしているなんて。
僕は、氷の女王がこれ以上苦しまないよう真・紅炎の矢の魔法式を組み立てていく。
「私はま縺?縲∫オゅo縺」縺ヲ縺ェ縺?o?」
「ん?」
それは唐突だった。
真・紅炎の矢を射出をする直前。
氷の女王の体が爆ぜた。
別に僕は何もしていない。
何もしていないのに氷の女王が体が爆ぜたのだ。
「雖後□?√??豁サ縺ォ縺溘¥縺ェ縺?シ」
無くなった体の一部から黒いドロリとした粘液を垂れ流しながらも、氷の女王は未だ聞き取れない何かを発しながら蠢いている。
「え!? なに、それ!?」
あの脈打つ黒い粘液が今までの氷の女王周辺の異常の原因だと僕の研究者としての直感が告げている。
あれを調べれば何かが分かる気がする。
しかし。
真・紅炎の矢を構成する魔法式はすでに発動をキャンセル出来ないラインを超えてしまっている。
この世界に発現した真・紅炎の矢は、魔法式に組み込まれた動きを愚直に再現する。
「待って!」
僕の声は虚しく部屋の中に響き、氷の女王と共に脈打つ黒い粘液を塵も残さず蒸発させた。




