第18話 氷の女王、氷の騎士
「カルロ! もうちょっと早く来て……よ……」
私はカルロが来たら必ず言おうと思っていた文句をぶつけようとしてフリーズする。
その理由は簡単で、そこに広がっていた光景が想像の反対にあったからだ。
「あら、久しぶりのお客様でしょうか……?」
部屋にいたのはカルロではなく、美しい姿の女性。
「こんな迷宮の奥底に人がいらっしゃるなんて驚きですわ! わたくし、マリアンヌと申しますわ。こちらに6歳ぐらいの男の子が来られませんでしたか?」
美しすぎる女性に近づいていくマリアンヌ。
「ダメッ!」
私はマリンアンヌの手首を掴んで制止する。
「どうされたのですか?」
「あれは人なんかじゃないの!」
私の知識が間違いでなければもう私達の命はここで終了かもしれない。
「あれは氷の女王! 上級魔族よ!」
氷の女王。氷結魔法を操る魔族。その美しい姿に惹かれた人を凍らせ、人形として愛でる性質があるとされている。
そして、最悪なのがその強さだ。
氷の女王の作り出す魔族氷の騎士が20レベル台。氷の女王自体は30レベル後半から40レベル前半なのだ。
ちなみに観測史上最強の氷の女王は52レベルだ。
「まぁ! 私のことを知ってくれているのね、嬉しいわ! ますます、お客様を歓迎しなくちゃいけないわね!」
心底嬉しそうに笑いながら、透き通るドレスの裾を揺らめかせて踊るようにくるりと回った氷の女王の周囲に4体の氷の騎士が現れる。
「逃げよう! マリアンヌ、走って!」
私は握ったマリアンヌの手首を引っ張ってくぐったばかりの扉に向かう。
今ならまだ間に合うかもしれない。
「どこいくのかしら? もう少し遊びましょうよ」
しかし、私はその判断が甘いことを知る。
冷たい風が通り抜けたたかと思うと、目的の扉は硬い氷で覆われる。
「火球!」
私は一縷の望みをかけて氷結魔法の対極に位置する炎魔法を放つ。
しかし、いや、予想通りに雀の涙ほど氷を溶かしただけで火球は霧散してしまう。
「私のかわいい氷の騎士、私がおもてなしの準備をするまでお客様と遊んでいなさい」
氷の女王は氷の地面から生える様に現れた青く光るテーブル、イス、ティーセットをテキパキと準備していく。
高位魔族が人間をもてなそうとするその姿は、4体の氷の騎士が乾いた足音を反響させながら私達に近づいてくることを除けばなんとも不思議な光景だ。
「マリアンヌ、避けることだけに集中して! 防御しようなんて考えちゃだめよ」
私達ぐらいのレベルの人間の防御なんて紙を破るかのごとく貫くはずだ。
「わかりましたわ。それでその後はどうするのでしょうか?」
「分かんない。小手先で何とかなる相手ではないのは確かよ! 来るっ! 避けて!」
空気中の水分を氷の結晶に変換しながら迫ってくる巨大なハルバードを紙一重で避ける。
「…………」
しゃべる余裕なんてない。全神経を集中しなければ一瞬でミンチに変わってしまう。
縦横無尽に振るわれるハルバードは止まる様子なんてこれっぽちもない。
氷の騎士からしてみれば、こんなのは氷の女王が言っていたようにお遊びなのかもしれない。
徐々に鈍くなる回避動作はあと何回できるかわからない。
そして、その時は訪れる。
「キャッッ!」
マリアンヌが氷に足を滑らせてバランスを崩す。
風切り音を伴ってマリアンヌに迫るハルバード。
私の体は勝手に動いていた。
ザシュッ!!!!
肉が潰れ、骨が砕ける音が響く。
「レベッカ様! レベッカ様!!」
遠のく意識の中にマリアンヌの声だけが鮮明に聞こえる。
霞んだ視界には、涙と鼻水でグシャグシャになったマリアンヌの顔が映る。
「……美しい顔が……台無しじゃない……」
マリアンヌの涙を拭おうと腕を動かすのに、ピクリとも動いてくれない。
「あら? 今回のお客様は脆いのね。せっかくおしゃべり出来ると思っていたのに、残念だわ。まあ、いいわ。さようなら」
場違いな氷の女王の妖艶な声が死を宣告する。
「……に……逃げて……」
氷の騎士が地面を揺らしながら近づいていくる。
「レベッカ様を置いてなんて行けませんわ!」
「……私は……もう、駄目みたい……行って……」
短い間だったけど友達になれたマリアンヌの為に死ねるならあの人も褒めてくれるに違いない。
「む、無理ですわ! 逃してくれるわけがありませんですの!」
確かにそうかもしれない。
でも、どちらにせよマリアンヌの助かる可能性が少しでもあるのは今すぐ逃げると言う選択肢だ。
「……いい……から……にげ……て……」
焦点の定まらない視線でマリアンヌを見つめる。
「……分かりましたわ……必ず助けを連れて戻ってきますわ!」
マリアンヌが氷の地面を蹴って駆け出す。
私は閉じようとするまぶたに抵抗することをやめ、冷たい地面に顔をうずめた。
あとは、ハルバードが振り下ろされるのを待つだけだ。
しかし、その最後の瞬間はいつまで立っても訪れない。
「救え、女神の奇跡!」
変わりに訪れたのは魔法書の中でしか見たことのない瀕死から回復させるの治癒魔法による温もり。
ゆっくりと瞳を開ければ、そこには私より遥かに幼く、そして遥かに強く優しい少年がいた。
「砕け散れ! 火炎の金剛拳!」
振るわれたのは灼熱の塊。
横凪に振るわれたそれは、まるで氷の騎士が元々そこにはいなかったかのように減衰も縮小もせずに消し去る。
一撃で4体の氷の騎士を跡形もなく葬った魔法はもはや聞いたこともない。
「レベッカ! 大丈夫!?」
強力な魔法を連発したばかりだというのに、軽い足取りで駆け寄ってきたのは、もちろんカルロだ。
「マ、マリアンヌは!?」
私は生まれたての子鹿のようにプルプルと震えながら立ち上がる。
逃げたはずのマリアンヌは大丈夫なのだろうか?
「まだ、動いちゃだめだよ!」
グラリと揺れる視界。体力は完全回復したはずなのに世界が歪んで見える。
「だ、大丈夫ですの?」
駆けよって来たのはマリアンヌ。
私はマリアンヌ支えられて何とか倒れるのだけは免れる。
良かった。マリアンヌも無事のようだ。
「だめだよ。回復酔いがあるはずだから」
聞いたことがある。瀕死や瀕死に近い状態で治癒魔法を使われると急激な変化に体が対応できずに馬車酔いみたいな状況になることがあるのだと。
「分かった。それとありがとう」
私は、素直にカルロの言葉に従う。悔しいけど、私なんかがどうこうできる範疇を超えている。
「どういたしまして。マリアンヌ王女殿下、レベッカと一緒に外に出ていてください。氷の女王を倒しますので」
「承りましたわ」
私はマリアンヌに支えられて氷に埋め尽くされた部屋を後にした。