第16話 飛ばされた二人、逃げ出した二人
「あれ? ここどこ?」
私の名前はレベッカ・スー。王立グリセード魔法学校の一回生。
「先程までの場所とは違うようですね」
隣で私と同じように首を傾げているのは王国第3王女のマリアンヌ。身分の差はあるけれど友達だと思ってる。うん。友達のはず。
本当は王女殿下と呼ばなければいけないのだけれど、本人が呼び捨てで呼んでほしいというのだから問題ないはずだ。
その割には私のことは呼び捨てで呼んでくれないのだけれど……。
「生えている植物も違うみたい。何だかヤバそうな色しているね」
学校の授業の一環で初級ダンジョンの探検に来ているのだけど、絶賛迷子中なのだ。どうやら罠に引っかかってどこかに飛ばされてしまったみたい。
「どうしましょうか? 上層に移動したのであればいいのですけども……」
マリアンヌがとても大事なことをつぶやく。
問題はそこにある。元いた場所よりも上層ならなんの問題もない。私達2人だけでも十分だ。
ただ、より下層に来てしまっているとよく分からない。マーガレット先生の説明は全く聞いていなかったので情報がないのだ。
「こんな風景、見た覚えないんだよね」
自慢ではないけども記憶力はいい方のはずだ。
「転移結晶を使いましょうか?」
マリアンヌが言うように、最悪、最初にもらった転移結晶を使えば地上に戻ることができる。
ただ……
「それは、最終手段として残しておこうよ――」
マリアンヌは王女だから何も言われないかもしれないけど、平民の私は、絶対、クラスメイトにバカにされる。特にジェーンは必ず「これだから平民は」ってマウントを取りに来るはずだ。
「――とりあえず、慎重に周辺を探索しよう。もしかしたらカルロも近くに飛ばされてきているかもしれないし」
カルロとは、私達のパーティーリーダで、1回生の中でダントツの主席を手にする男の子だ。因みに年齢は驚きの6歳。しかも、魔法に関する知識もまるで研究者かと思うぐらい造詣が深い。
そんなカルロと些細な喧嘩をして先走った結果が今の私達の状況だ。本当はカルロにも今は頼りたくないけど転移結晶を使うよりは100万倍まし。
「確かにそうですわね」
「そうと決まれば行こう!」
私はマリアンヌの手を握って、迷宮の奥へと足を進めた。
それが最悪への一歩だとも知らずに。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「どう?」
「わたくしの索敵魔法には反応はありませんですわ」
私達は、曲がり角の影に隠れながら道の先の様子を伺っている。
残念ながら私は索敵魔法を修得していないので索敵はもっぱらマリアンヌの仕事になっているのだけれど。
しっかりと索敵魔法を活用しているのにも関わらず私達はすでにボロボロ。その理由は簡単なこと。
「それなら、警戒しながら進みもう」
既に打撃強化のバフを付与した杖を構えながら少しづつ体を影から覗かせる。
「ガルルルルゥ!」
「キャッ!」
曲がり角の先から現れたのは『双頭の犬』が2頭。漆黒の鬣は、まるで生きている蛇のように蠢いている。確か中級魔獣に分類される魔物だ。
索敵魔法を使っているのに不意遭遇戦みたいになってしまう。これがボロボロになってしまっている理由だ。
マリアンヌの索敵魔法は初級魔法の感知の習熟レベルは、この階層の主だった魔物の魔法抵抗力よりも低いのだ。つまり、ここに来るまでの間にも数体の魔物との遭遇戦をしてしまっている。
私は改めて幼いパーティーリーダのすごさを感じる。いくら上層だったとしても、階層守護者以外の敵と遭遇すらしなかったのだ。
「マリアンヌ、下がって!」
そして、さらに問題なのがこの階層の魔物のレベルはマリアンヌのレベルと同じかそれ以上なのだ。私はかろうじてレベル的有利だと思うのだけれど、魔物は複数同時に現れてくる。少しくらい私の方が強くても数的不利を覆せるほどではないのが実情になっている。
私の叫び声と時を同じくしてオルトロスが跳躍力を活かして跳びかかってくる。
「守り給え! 防御」
跳び上がったオルトロスが見えない障壁にぶつかり地面に転がる。
「くらえっ!」
私はチャンスを逃さないようにすかさず杖を振り下ろすが、もう1頭の体当たりが私に直撃し、渾身の一撃は空をかすめてしまう。
そしてそのまま地面を転がるように飛ばされる私。
「カァハァッ!」
壁にぶつかり肺の空気が強制的に排出される。
「大丈夫ですか!?」
駆け寄ってくるマリアンヌ。
「グルルルゥゥウ!」
体勢を立て直して私達を睨みつける2頭のオルトロス。
「大丈夫、問題ない」
カルロのいないこの状況ではレベル的に高い私がパーティリーダーなのだ。弱音なんかはいていられない。今すべきことは弱音を吐くことよりも一瞬でも早く体勢を立て直すことだ。
オルトロスに鋭い眼光を投げつけながら立ち上がると、私は腰のポーチから回復薬を取り出すと一気に飲み干す。甘酸っぱさが口いっぱいに広がり少しだけ力が戻ってくる。
「どうしましょうか? わたくしも攻撃に参加いたしましょうか?」
「それじゃあ、牽制だけお願い。出来る限り離れてね」
マリアンヌは物理攻撃耐性のある防御魔法を習得していない。魔法使いとして防御魔法は必須なのだけれどもマリアンヌは王女様だ。本来は凄腕の騎士が周囲を固めているような存在だ。物理攻撃は元々想定していないのだろう。
そのため、この階層の魔物とことごとく相性が悪い。ほとんどが魔法攻撃ではなくて物理攻撃を主体に攻めてくるのだ。レベル的に低いマリアンヌがもしも直撃を受ければ、最悪一撃で死んでしまう可能性もある。
マリアンヌが「分かりました。お任せください」と言って私から離れていく。
私はその姿を確認してもう一度戦闘態勢を取り直す。もちろん強化魔法を杖に施すことも忘れていない。
じりじりと距離を詰めてくるオルトロスと私の間に何とも言えない空気が漂う。
迷宮の中に響くのは私のつばを飲み込む音とオルトロスの粗い息遣いのみ。
数秒の睨み合いの後、前衛を務めるオルトロスの後ろ脚の筋肉が膨らむ。
次の瞬間には「バウォッ!」という唸り声とともに肉薄してきたオルトロス。毒のある唾液が絡みついた牙が連なる顎が私の腕を噛みちぎろうと大きく開けられている。
「穿て、雷光」
後方から放たれた弱点属性の遠距離魔法がオルトロスに命中する。
しかし、ほんの少しだけ怯んだだけでオルトロスは攻撃を続行してくる。ほとんどダメージを受けていないのだ。
でも、その一瞬だけで十分。
「砕けなさいッ!」
魔結晶のある腹部に向かって殴打するために作られた武骨な杖を私はあらん限りの力を込めて叩きつける。
「アウオォォォォオオン」
悲痛な声を上げ倒れるオルトロス。私は、そのまま追い打ちとばかりに頭部を振り抜く。
オルトロスはクリティカルな打撃音を奏でてピクリとも動かなくなる。
「やった!」
なんとか1頭倒すことに成功したみたいだ。
しかし、神様は簡単には許してくれない。
「レベッカ様、申し訳ございません……魔力が底をついてしまったようですわ」
震える声の方を振り向けば、マリアンヌが杖によりかかるようになんとか立っている。顔色も良くない。
「神霊酒を早く飲んで!」
「……申し訳ありませんが、先程、最後の1本を飲んでしまいましたの」
「そ、そんなっ……!」
魔力切れは魔法使いにとって致命的だ。神霊酒を飲まないのであれば自然回復を待つしかないけど、長い時間が必要となる。
「これを使って!」
私は自分のポーチから神霊酒を取り出すとマリアンヌに投げる。私もこれが最後の神霊酒だ。
「あ、ありがとうございます……でも、レベッカ様は大丈夫でしょうか?」
丁寧にキャッチしたマリアンヌが心配そうに私を見つめる。
「う、うん。私は結構省エネ型だから」
嘘だ。私も度重なる戦闘のせいで魔力切れ寸前だ。
「ほ、本当ですか?」
「いいから、早く飲んで! 逃げるよ!」
こうしている間にももう1頭のオルトロスがゆっくりと近づいてきているのだ。
このまま戦闘を続けても負ける可能性の方が高いと私の本能が告げてくる。であれば、一刻も早く逃げなければならない。オルトロスが私達を警戒している今がチャンスなのだ。
私は、未だキャップを開けたまま神霊酒を見つめるマリアンヌから神霊酒をむしり取ると、強引にマリアンヌの口に神霊酒を流し込む。
「ゴホッ、ゴヘォッ!」
むせるマリアンヌを無視して私は「雷球」を唱える。
その眩い光の中、マリアンヌを引っ張って来た道に向かって駆け出した。