真夏の果実
咲幸は本当に星が好きな奴だった。
そのため、テストが終わりようやく訪れる夏休み。初めて一緒に出掛ける場所は、地元のプラネタリウムにしようと俺は決めていた。俺の住む町には博物館と美術館が複合した施設があり、その館内にプラネタリウムが併設されているらしい。
そこが俺たちの地元にある唯一のプラネタリウムだった。
提案すると、咲幸は飽きるほど見てきた大袈裟な笑顔で賛成してくれる。
「そこねえ、あたしも萩乃くんと行きたいと思ってた」
「へえ、そうか。よく行くのか?」
「うん、行く行く。それでいつにする?」
机に置かれたスケジュール帳。意外と几帳面なのか丁寧に予定が管理されているが、いかんせん字が汚い。
「あたしねー、七月はこことここと、あとここがお休みで。八月だと」
「え? なに休みって」
「あれ、言ってなかったけ? 夏休み短期でバイトするんだあ」
カレンダーの表示された携帯を落としそうになるのを食い止め、咲幸に振り返り尋ねる。マジ? と。
「うん、マジマジ。あたしの住んでるとこ温泉街でしょー? だから近所に旅館とかホテルとか多いんだよねえ。まあ、ウチも一応そうなんだけど。家にいると父さんに雑用とか畑とか押し付けられるから、その前に短期バイト募集してるところに逃げよー、と思って」
「そうなのか。っていうか千國ん家は旅館とかなのか?」
「小さいけどね、民宿。ペンションとも言うのかなあ、どっちでもいっか」
地図にも載ってるよ、と身を乗り出して手の中の携帯を近づけてくる。
俺の住む町の隣村、山道をずいぶん上った山奥手前に記されている、『民宿ちぐに』の文字。
「クソ田舎だな。周りなんもねえの?」
「言ったじゃん? 畑はあるよ。お隣さんウン十メートル先とかなの」
カラカラとした笑い声を上げる咲幸につられ、なぜか俺も笑えてしまう。
「人来るのかよ」
「来る来る。夏場とかめっちゃ来るから。萩乃くんも泊まり来る?」
行けるかよ、恥ずかしい。軽い相槌を打ちながら、家のことを話し出す咲幸の横顔を眺める。俺もバイトしようかなあ、とかぼんやり考えつつ。
***
八月の初日。
うだるような気温と蝉の声に包まれて、俺はフェンス越しから駅のホームを眺めている。やたらと呼吸が荒いのはさすがに興奮ではなく、暑さのせいだ。
それでもエサの時間を待つ犬のようだと、我ながら情けない姿だった。
「あ! 萩乃くーん」
古びた車両が無人駅に滑り込み、ホームに降り立つまばらな人影。
そのうちのひとりである彼女は俺の姿を見つけるなり、手を振りながら小走りを始めた。
運動苦手なんだろうな。瞬間的に察せられる、風にさらわれそうな足取りで。
普段は垂らしている栗色の髪は、淡いオレンジのリボンで一つに結われている。先端が渦を巻く特徴的な癖毛が、咲幸の動きに合わせて犬の尻尾のように揺れていた。俺に駆け寄る彼女自身も、どこか犬っぽい。ひょこひょこ、わんわん。……可愛らしい。
「ごめんね、待った?」
「……いや、今来たとこ」
「えへへー、デートみたいだあ」
え? これデートじゃねえの?
咲幸を乗せてくる電車の到着時刻は決まっているのに、本当のところ俺が着いたのは二十分前だ。線路沿いの小汚いフェンスにもたれ、携帯のインカメラを起動しては己の顔を映していた。
うっかり撮影してしまい、保存されるローアングルからのキモ顔。絶望しつつ速攻で消した。
咲幸はスケスケの白いレースカーディガンの下に、細かな花を散らしたライトグリーンのワンピースを着ている。ノースリーブで、全体的に涼しげだ。
そのスケスケ、着る意味あるのかなとは思うけれど、可愛いので意味はあるのだろう。
初めて咲幸の私服を目にした俺には、それが普通なのかおしゃれを決め込んだ結果なのか判別がつかない。
「一張羅です!」
訊きもしないのにあっさりとネタばらしをしていた。
ただ彼女はその後のデートでも別の服を着てきては『一張羅です』を繰り返したので、おそらく勝負服と意味をはき違えていたのだろう。
面倒なので訂正はしなかった。
この日の服装と同様、咲幸はいつもゆったりとしたデザインの服に体を泳がせていたように思う。
咲幸曰く、「太り気味だから体形を隠したいのー」とのことで、恥ずかしそうに両手をばたつかせていたことを憶えている。
俺が咲幸の後に付き合った女性は、みな細身だった。けれど今でもふと街中で視線を向けてしまうのは、咲幸のような全体的にふわりと丸みを帯びたシルエット。
肉付きのよい女性が本当はタイプなのか、彼女を重ねてしまっているのかは自分でもわからない。
しっかりめかしこんだ咲幸の一方、俺はというと、黒のナイキTシャツに同じくカーキのナイキパンツ。ご丁寧にバッシュまで履いて、どこを目指しているのだろう。
元々俺も一張羅ばりの服装をしていたはずなのだが、家を出る直前で中学生の妹たちに「兄ちゃん、そんなダサい恰好でどこ行くの?」「デート? キモいよ」と鼻で笑われ脱いだ。仕方がないので見繕ってもらった結果がこれだ。
どう見ても部活に行くそれなので、絶対あいつらふざけて選びやがった。
内心ため息をつく俺を前に、咲幸は晴れやかな笑い声をあげる。
「萩乃くん、今日の恰好!」
妹たち、絶対に許さねえからな。
「いいねえ、いかすねー。かっこいー。プラネタリウムのあとにバスケする?」
妹たち、ありがとう。プリンでも買って帰ってやろう。
「その、千國もいいな、服。……涼しそうで。髪も、涼しそうだし」
なぜ俺は機能性だけを褒めているのだろう。しかし咲幸は気の利かない感想に不満げな色を表すこともなく、俺の顔を覗きこんでは瞳を三日月に細める。
「萩乃くんはちょっとやぶせったくて暑そうだね」
それは髪型のことだろう。俺は高校に入学してから無造作に髪を伸ばし、今や後ろは襟首に、前髪は鼻先まで達しかけている。
もちろん暑苦しく根暗に見え視力まで落ちたが、一定数の中高生がかかる病気みたいなものなのだろう。俺は気に入っていた。
売れないバンドマン崩れで、周りからのウケは悪い。
「高遠や浦山にも切れってよく言われるんだよな」
カナ中のハギに戻れよーと。中学時代はかなり短めのツーブロックにしていた。
「そうなんだー」
「しばらくは切らねえけど」
「うん、今のままがいいな。萩乃くんの髪型はなんか、あんにゅい? だよねえ」
あたしは好きだよ、とはにかむ。彼女の頭では栗色の尻尾が踊る。
「意味、わかってんのかよ」
あとあと知ったことだが、アンニュイな髪型というのはファッション用語として普通に使われているものだったらしい。緩くパーマを当てたり、若干のマッシュ調だったりするやつが当てはまるのだろう。
俺のはその類ではなく、ただの根暗。しかし咲幸は好きだと言ってくれた。
俺はあれから、就活の期間を除き一度も髪型を変えてはいない。
あのころの俺は咲幸に「イイ」と言われれば恐らくブリーフも履いただろうし、女装だって喜んでしたはずだ。
つまるところ、典型的なアホ男子高校生になり果てていた。




