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メアテボシのあなた  作者: つめ
第一章 高校生篇
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春は南天

 咲幸が隣にいた日々が、人生の絶頂期だった。


「萩乃くーん、やばいやばいやばい」


 やばい、の意味をわかっているのだろうか。

 チェックのスカートをひらひら、陽気な面をへらへらとさせた咲幸が駆け寄ってくる。大きな声で、教室中の注目を浴びながら。


「どうした?」

「あたし、留年しちゃうよ~」

「馬鹿かよ!」

「馬鹿だよお」


 咲幸は飴を持たずとも、俺に話しかけてくるようになった。俺の彼女になったからだ。

 休み時間までも、うっかりクラスに笑いをもたらしてしまうのが、俺の彼女。


「一学期で留年候補ってありえなくねえ?」

「わかんないよー。吉沢先生に色々言われたけどわかんなかったよう」


 元々の下がり眉をさらに八の字気味にして、咲幸は嘆く。

 夏休み間近。

 文化祭も終わりあの時のオーラを脱ぎ捨てた咲幸は、通常運転に戻っていた。学年一の馬鹿、に。


 俺と咲幸が付き合い始めたことは、高遠と浦山が教室中に聞こえる声で騒いだため、一瞬で学年中に広まった。『あの千國咲幸』と付き合っている奴、ということで俺は時の人らしい。

 最近ではクラスメイトにもよく話しかけられるようになった。


「『頼むから赤点は二科目にセーブしてくれー』だってえ」

「二科目でも普通にまずいんじゃねえの?」

「とりあえず数学と英語は赤点回避したことなくて、現国と古典もやばめかなあ。あたし英語はめっちゃ苦手なんだよお。日本史と世界史は覚えらんないしー、あ! あと数学ねえ。それと英語と現こ……あれ? 今回科目多くない?」

「いや、うん。……まあ」


 喋ってて違和感とかないのかな。 

 

「あ、でもあたし地学は得意だよー」

「今回ないぞ、地学。っていうか、全滅じゃん」

「あー。テストもいつもみたいに萩乃くんが教えてくれたらなあ」


 ちらちら、俺を覗く上目遣い。その愛らしい瞳に、答案そのものをあげたい気持ちにさせられた。けれど、さすがにそうもいかないわけで。


 学年一の秀才と学年一の馬鹿がカップルになった。その事実は教師陣にも衝撃を与えたらしく、すれ違いざまに教師たちは囁いていく。

 馬鹿が移らないようにな、と。

 馬鹿が感染なんかするわけないだろうが。呆れつつ、むしろ俺は少しでも咲幸の馬鹿をどうにかしようとしていた。




「あー、この時間眠いよう。あと暑いよう」


 野球部が響かせる小気味よい金属音や、吹奏楽部が奏でる調子っぱずれなメロディ。運動部の掛け声は、中学時代を思わせた。


 放課後を象徴する音が湿風に運ばれる。カーテンをなびかせ、夏の匂いもセットらしい。

 湯葉みたい。揺れるクリーム色のカーテンを、咲幸は目で追いかけてうっとりしている。……腹、減ってんのかな?


 誰もいない教室で、俺たちは机をともにした。日中は狭く感じたこの場所も、二人になると広さを持て余すのだ。


 西日の中、二人きり。

 一つの机だけに隔てられた距離感を、数カ月前の俺は想像できただろうか。

 このクソ馬鹿が彼女? いやいやいやありえねえから。あのころの俺はきっと鼻で笑う。

 けれど今はその光景に、汗で貼りつく髪の毛や暑苦しいワイシャツさえも許せてしまえた。


「ねえ萩乃くん。清少納言さんは『せい・しょうなごん』さんなの? それとも『せいしょう・なごん』さんなの? どこまでが名字?」

「『せい・しょうなごん』だな。つーか清少納言は女房名だから名字とかじゃねえの」

「女房名? へー、誰かのお嫁さんってことかあ」


 本当に馬鹿で可愛いな。

 そんな思考になり始めているあたり、もしかしたら馬鹿は感染するのだろうか。


「そんなことよりこの問題考えろよ」

「はーい」


 咲幸は下敷きをパタパタさせながら、机と一体化しかけていた。

 いつの間にブラウスは第二ボタンまで外されたのだろう。胸元がはだけているわ、その胸は机に乗っているわで、恐ろしく煽情的な絵面が広がっている。


 しかし当の本人は、まるで気付いていないらしい。もちろん、俺が教科書に目を落とすふりをしてガン見をしていることにも。

 机に落書きなんぞをして呑気なものだ。

 あまりに無防備なため不安すら覚えた。こいつ、他の男を前にして同じ格好をしねえだろうな。

 

 一学期の期末テストを目前に、俺は咲幸の勉強をみている。

 こうでもしないと彼女は、本当に来年クラスから消えかねない。


「春はあけぼの? ってなに。お相撲さん? 春は曙が強い。YOYO! のこったのこった! 白くなりゆく山……あ! 燃え尽きたぜ………真っ白に。つまり曙はジョーだったってこと?」

「いや、真面目にやれよ」

「わかんないよう」

「あけぼのは夜明けの方のあけぼのな。この一文は、後ろに()()()()を補って解釈しないといけないんだよ」

「ふむふむ」


 俺の解説に咲幸が身を乗り出す。その角度はさすがにまずいだろ。「第二ボタンは閉めねえ?」と提案してみても、咲幸は子供のように首を振るばかりだ。


「やー。暑いし苦しいもん」


 このままだと俺の股間も熱く苦しく以下略。セクハラまがいの発言は飲み込んで、親の顔を思い浮かべながら俺はノートに右手を走らせていく。


 咲幸はやる気のない馬鹿ではなかった。やる気があり、なおかつやってはいるけれども馬鹿。救いようがあるのかないのかわからない、真面目な馬鹿だった。

 だから俺の話にはきちんと耳を傾け、頷いてもくれる。理解をしているかは定かではない。


「つまり、春は南天ってことだねえ」

「なんだそれ」

「春は南天。ようよう白くなりゆく星空。赤色だちたる麦星。ほそく線引きたる。……どーよ?」

「どーよじゃないだろ。意味わかんねえ」

「つまりね」


 咲幸が真っ白なノートに、小さな六芒星を描いた。


「あたし、いつも夕飯とお風呂のあとに天体観測するんだけどねえ。春のその時間は南天――つまり南の空が一番いいなあって思うの」

「ふーん、なんで?」

「一番賑やかで、あたしの好きな星があるから」


 俺はもう一度短い相槌を打つ。


「春の夜は霞がかってちょっと白くなっちゃうけど、でも意外と賑やか。中でも少し赤みがかった金色の麦星……アークトゥルスが中心になるの。ここから北斗七星の方に一本、同じくらい明るいスピカの方に一本、こうやって線を引くと、春の大曲線になるんだよ」


 星マークから、前後になだらかな曲線が引かれていく。

 さっきまで刈られたままの雑草のようにぐったりしていたのに、急に生き生きしだす。再び根付いてしまったやつだ。


「さらにさっきのスピカと一緒に、獅子の尻尾デネボラと結んであげると春の大三角。ちょっとわかりにくいけど、少し顔を上げてのコル・カロリって星も仲間に入れてあげると、ダイヤモンドになるんだー」


 よどみない動きで、咲幸の右手はノートに宇宙を作っていく。咲幸が星を語る口が、目が、表情すべてが好きだ。


「つまりこういう星々があって綺麗だからねえ、春の夜は南天がいいってこと」

「なるほど。……いいな」


 内容はまるで異なるのに、結果的に元の文章とリンクしてしまった。いや、全然よくはないが。


「アークトゥルスは色の対比や距離から、スピカと夫婦星って言われてるの。けどあたしはその呼び方、アークトゥルスよりもこっちのレグルスとの方がいいなあって最近思っててね。少し離れているんだけどね。っていうのもねえ、レグルスは一番暗い一等星星で、少し影がある感じがするんだけど」

「ストップストップ、今は古典だ」


 いつもの間延びた喋り方が一.五倍速になり始めたところで、俺は慌てて止めに入った。このままでは延々と語った挙句、夏の星空解説までしかねない。


 咲幸は少し不満げな様子で口を曲げる。しかしすぐに濃い二重線の下の双眸を細め、口角を上げるのだった。


「じゃあ続きは本物の空でねー」

「お、おう」


 付き合い始める前も後も、俺は彼女の笑顔に翻弄されてばかりいる。

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